長久啓太の「勉客商売」

岡山県労働者学習協会の活動と長久の私的記録。 (twitterとfacebookもやってます)

4月に読んだ軽めの本たち

前にちょっと書きましたが、
4月は軽い読み物しか読んでいませんでした。
以下、読んだ順に、ぜんぶ紹介します。
おすすめ度を★の数(5点満点)でつけておきます。

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本の表紙も、面倒くさいのでまとめて。

『詩人の旅 増補新版』(田村隆一、中公文庫、2019年)★★★
その名のとおり、詩人による旅エッセイ。時代は1970年代。
隠岐、若狭、伊那、釧路、奥津、鹿児島、越前、越後、佐久、
浅草、京都、沖縄。当時の人びと、風景が伝わってくる。
それにしても、酒好き、女好きの詩人だ(笑)。


『くれなゐの紐』(須賀しのぶ、光文社文庫、2019年)★★★
大正時代の浅草が舞台。少女ギャング団で生き抜く底辺の少女たちを描く。
いつの時代でも、誰もが何かしらの荷物を背負っている。生き抜かねば。


『本のエンドロール』(安藤祐介、講談社、2018年)★★★★★
大手出版社などの本を刷る印刷会社が舞台のお仕事小説。
主要な登場人物、すべて本好き。
それぞれの個性や仕事観がぶつかりあいながら、
1冊の本ができるまでの舞台裏、人間くさい行程を描く。
本は不滅!本好きにはたまらん!


『孤独の歌声』(天童荒太、新潮文庫、1997年)★★★★
天童作品は初めてだったけど、衝撃の鋭利さ。
きつい描写も多いので、好き嫌い別れるかもだけど。


『寝ぼけ署長』(山本周五郎、新潮文庫、1981年)★★★★★
さすが、さすがの山本周五郎。深くて、ユーモアがあり、
ヒューマニズムあふれる、一風変わった警察小説。
山本周五郎って、本当に貧しい人たちが好きなんだなと思う。
これこそ愛だ。「どんなに貧窮のなかにもそれぞれ生きた生活のある」


『晴れたら空に骨まいて』(川内有緒、講談社文庫、2020年4月)★★★★★
筆者の『パリでメシを食う。』のような本(面白い人がどんどん出てくる)
でありながら、それぞれの喪失との向きあい方に言葉の光が。
父との時間を書下ろした部分もふくめ、
自らの近しい人を思い浮かべながら読んだ。死者とどう生きていくか。
読みやすく、読後感爽快。


『盤上の向日葵』(柚月裕子、中央公論新社、2017年)★★★★
将棋と刑事物が混じりあった長編小説。
展開が見事で、読みごたえがあった。
天童市や浅虫温泉、諏訪など行ったことのある場所が
舞台でイメージも豊かに。将棋好きならさらに楽しめそう。


『悼む人(上)』『悼む人(下)』(天童荒太、文春文庫、2011年)★★★★★
一気にぐいぐい読める。見ず知らずの他人の死の現場におもむき、
悼み、「覚えておく」旅を続ける青年の物語。
変人、病人扱いされながらも、周囲の人を変えていく。
着想がすごい。直木賞作品。
さいごの「謝辞」で著者が述べていた執筆過程の逡巡、
苦悩を読み、本作の重みがさらに実感できた。
他人の死、自分の死、誰かに必要とされ、必要とする。
他人の死を悼み、覚えておくことは、難しい。
難しいからこそ、誠実に向き合いたい。


『凍える牙』(乃南アサ、新潮文庫、2000年)★★★
オオカミ犬と主人公の女刑事の疾走場面が気持ちよい。
あとは、まあまあかな。これが直木賞受賞したのはよくわからんな。


『孤狼の血』(袖月裕子、角川文庫、2017年)★★★★
警察もの、しかも描かれるのはヤクザの世界…。
「盤上の向日葵」を書いた同じ作家とは思えない、すご小説。
広島の呉が舞台。警察と暴力団の癒着ともとれる展開の最後に、
おおお!という結末。おもわずプロローグの場面をもう1度読む。すご。
 

生誕200年。統計学者としてのナイチンゲール。

5月12日は、ナイチンゲールの誕生日。
また生誕200年(1820年生まれ)で、ちょこちょこ話題に。

で、今日はこんな本もありますよ、の紹介。

『統計学者としてのナイチンゲール』(医学書院、1991年)

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ナイチンゲールは、幼少期から数学が大好き、また得意で、
やがて統計学を研究し、実践に活かした人でもあった。

本書は、冒頭でこう指摘している(早川かつ「刊行に寄せて」)。

「ナイチンゲールはデータ収集の科学的方法を利用する
看護研究者であり、また事実の証明をグラフで示す熟練
した統計学者であった。
 彼女はデータを集め、分析して、よりよい看護の方法
を計画するという組織的研究を、1800年の半ばという時
代に行ない、理論的概念を看護の実践に適用したのであ
る。もし研究が看護ケアを進展させる方向のものならば、
その研究結果は実践に適用されなければならないもので
あって、ナイチンゲールはまさにその実践者である。そ
して看護理論が看護実践と看護教育の書くことのできな
い部分として統合されないならば、それは無用の長物と
なるのであって、ナイチンゲールはまさにその方法を示
したのである。
 ナイチンゲールは、スクタリの野戦病院で、傷病者や
瀕死の患者が夜間は看取られることなく、ただひとり
寂しく死んでゆくのを見て、早速データを集め、調査
した結果、彼女は彼女の看護師たちと夜間の看護を始め
たのである。したがって夜間の看護はこのときから始ま
ったといえる。さらに彼女は患者の環境、食事、個人的
ニードが看護の重要な要素であるという考えをもってお
り、それらの改善に不眠不休の努力を続けた結果、スク
タリの病院では6か月の間に死亡率が40%から2%に減少
したのである。
 このクリミアの白衣の天使は、傷病兵を愛し、正義の
ためには如何なる権力にも屈しなかった情熱の統計学者
でもあったのである。彼女は統計について進んだ考えを
もっており、データを集めるのに科学的方法を用いて、
実際の証拠を生き生きした統計グラフで示したのである」


ナイチンゲール自身の言葉も紹介しよう
「病院覚え書」(1863年)という論文の、しめの言葉である。

「真実をつかむために私はいたるところに情報を請求し
たが、比較検討の目的にかなうような病院記録をほとん
ど手に入れられなかった。それらが手に入れば、ここに
言及したほかの多数の問題にも判断が下せたかもしれな
い。そうしたものがあれば、それら病院の財力がどのよ
うに使われているか、本当にはどのくらいの利益が得ら
れたか、財力は利益どころか危害をもたらさなかったか
どうか、などの記述が出てきたであろう。各病院の実際
の衛生状況も告げてくれるであろうし、その記述に不健
康の原因とその種類を探し求めることもできるであろう。
そしてもしうまく利用すれば、そうした進歩した統計は
現在確認しているものよりもより比較価値のある特殊な
手術や治療方式をわれわれに知らせてくれるかもしれな
い。さらに、いろいろな病気の患者の同居、過密でおそ
らく換気不良の病室、位置の悪さ、排水の悪さ、不純な
水、清潔の不足、あるいは以上全部の反対の状態を備え
た病院が、そこの病室で経験される手術や疾病の一般
経過に及ぼす影響をも確かめられる可能性がある。かく
して確認された真実をもとに、われわれは生命と苦しみ
とを救うことができ、また病気や負傷した貧民の治療と
管理とを改善することができるであろう
  (『ナイチンゲール著作集 第2巻』現代社、325P)

いま新型コロナウイルスの感染拡大で、
日本は検査数があまりに少なく、感染者の概数や
感染傾向を、誰も把握できていない。

事実や統計を軽視した政治は、「生命と苦しみ」を
救うことはできない。

いま、ナイチンゲールが生きていたら、
烈火のごとく怒り、「真実」「統計」を求める行動を
起こしているだろう。命を救うために。

ごく簡単な、近況報告。

ありがたいなあ。

今日、『学習の友』の配達でいくつか職場をまわっていたら、
「あ、長久さん!元気なんですか!?」
「フェイスブックぜんぜん更新してないんで、
心配してたんです。お顔がみれて良かった」
と、幾人から声をかけられた。

ブログも、FBも、3週間ほど更新していなかった。
こんなことは初めてのことだ。
毎日なにかしら書いていた人間が、断りもなく
ぷつっと書くのをやめたら、たしかに心配になる。

すみません。

理由は自分でもよくわからないけど、
書くには気力も体力も必要だから、
それが弱っていったのだと思う。

3月終わりに、5月からの労働学校の延期を決めたときから、
徐々に、心の張り合いが「プツッ」「プツッ」と
1本ずつ切れていく日々だった。

燃えに燃えていた取り組みの、突然の喪失。
楽しみにしていた学習会や研修会は次々となくなり、
スケジュール帳はどんどん真っ白になっていく。

介護生活の息抜きだった県外講師仕事も、ない。
飛行機や電車に乗り風景を眺める。そんな気晴らしが、できない。

いまの生活が苦痛なわけではない。
が、生活の変化に、心がおいついていないのかもしれない。

柔軟なメンタルの持ち主であるぼくも、
さすがにこの状況は、しんどいなと思い始めた。

しかし、こういうときの対処法は心得ている。
仕事のことは考えない、切り離す。
「こんなときだから頑張らねば」と思わない。
自分の好きなことをして過ごす時間を増やすことだ。

4月に入ってからは、学習会もゼロになり、
16日の岡山県学習協の総会が、唯一の仕事らしい仕事。

自由な時間が増えた。でも、仕事に関わる勉強はしない、と決めた。
(新聞は毎日読んでますけど)
仕事も頑張らない(というか人に会えないで頑張りようがない)。

まず熱中したのは、韓国ドラマの『ホジュン』を
アマゾンプライムでひたすら見たこと。
135話(1話30分程度)もある、時代物・医療物。
『チャングム』のような展開のおもしろさで、
4月の中頃にはすべて見終わってしまった。

4月後半からは、ひたすら軽い読みもの、
小説とかノンフィクションとか旅エッセイとかをズンズン読んでいる。
(そのうち紹介します)
物語は、人を救う力がある。
(そのうち読んだ本、紹介します)

5月も、ほぼ、何もない。
だけど、やはり難しい本には手を出さず、
しばらくこの時間を楽しみたいと思う。

相方と予定していた3月、4月の旅行も中止。
楽しみにしていて宿も押さえていた8月の青森、ねぶた祭りも中止。
幸い、日々の自宅生活にはとくに変わりなく、
ヘルパーさんはじめ、多くのみなさんに支えられて、
今日も相方は美味しいものをパクパクと食べている。

そうそう。

3月10日から、恒例の「失敗しないダイエット」をはじめて、
いま5キロ減。今回は、68キロまで落とそうと思っている。
40代になってから、68キロ台は経験がない。ちょっと楽しみである。

以上、ごく簡単な近況報告。

楽しく生き延びていきます。
みなさまも、ご自愛ください。

かつてない「ヒマ」な時間をどう活用するか

新年度がはじまり、私も専従生活23年目に入った。
しかし、こんなに気分の晴れない節目はかつてなかった。

とにかく、集団学習することを組織するのが、
学習運動の基本形態なので、
新型コロナ感染の影響ははかりしれない。

労働学校や講座も基本的にはできないし(少数で行う方法はあるが)、
オルグに行くことも、やはり躊躇する。
人と会いまくれば、感染リスクもそれだけ多くなるわけだから。
私が感染したら、間違いなく相方にも感染するので、
それだけは避けなければならない。

そんな事情もあり、なんとも動けない状況。
そして先が見通せない。なので気持ちはずっとモヤモヤ。

こんなに「ヒマ」だったことは、
専従生活でかつてないと思う(苦笑)。
4月も、土日の予定(学習会)はすべて中止となり、
週末はまったく空白である。すごいことが起きている。

このあまった「ヒマ」を、いまこそ有意義に使わねば、
とも思う。

さてどうするか。
どうすればモチベーションを保てるか。

この時期、ぼくは何をするべきか。

そんなことを考える4月のスタート。
まずは、事務所の整理整頓から始めたいと思う(笑)。

キレの、病気は、あやうく、みんなの、これからも

最近読み終えた本。


『「キレ」の思考 「コク」の思考』(村山昇、東洋経済新聞社、2012年)

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先日読んだ、同じ著者の『働き方の哲学』の様々な図解やモデル図は、
こうした思考から生まれているんだなと確認。
ものごとの本質にせまる、抽象化の作業は、とても大事だ。


『病気は社会が引き起こす~インフルエンザ大流行のワケ』
                 (木村知、角川新書、2019年12月)

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元外科医の著者。問題意識は広く、健康が自己責任でなく
環境に強く影響を受けることを様々な角度から力説。
カゼへの対処法は服薬でなく休息。
新型コロナが席巻する今だからこそ読みたい1冊。


『あやうく一生懸命生きるところだった』
   (ハ・ワン=文・イラスト、岡崎暢子=訳、ダイヤモンド社、2020年1月)

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韓国のイラストレーターによるエッセイ。
会社勤めを辞めたのをきっかけに考えた、人生や働くこと。
これ読んで、肩の力抜ける人がいたらいいな。
たぶん、訳が素晴らしい。


『みんなのコミュニズム』
 (ビニ・アダムザック、橋本絋樹訳、堀之内出版、2020年3月)

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うーん、イマイチ。ワクワクしない。
資本主義を変える主体が自分たちなんだと思えない。


『これからも生きていく THIS IS ALS ―難病ALS患者からのメッセージ』
                (武本花奈、春陽堂書店、2020年2月)

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久しぶりにALSの本を読んだ。
写真と、患者の言葉を重ねながら読みすすめる。
様々な思いが湧いてくる。相方の診断から3年半。
あっという間だったな。これからも生きていく。

94期労働学校は延期、4月22日リーダー講座は中止

岡山県学習協は、昨夜行われた常任理事会のなかで、
新型コロナ感染拡大の影響を考え、
5月14日に開校を予定していた94期岡山労働学校
「変わる、変える!働き方教室」の開催の延期を決めました。

93期の成功を土台に、94期は、
50名の受講生を目標にすでに募集活動もはじめていたが、
①労働学校らしい労働学校にできないこと
 (感染対策で対話・交流を十分できない)
②集めれば集まるほど、密集度が高まり、感染リスクを高めてしまう。
 募集にも思いきり取り組めない。すでに足がとまっている。
③募集定員(25名程度)を決めて開催の方向も考えましたが、
 感染リスク対策徹底の準備が大変、今後の岡山での感染予想がつかないこと、
 「労働学校らしい労働学校にできない」の問題は何人で開催しても同じ。
④現状では、医療関係者の受講生が多いことからも、集まることに
 難しさがある。

などの理由です。

延期の時期については、毎年10月に秋の労働学校を開校していることから、
10月1日(木)の開校をめざしたいですが、開校できる条件としては、
コロナ問題で一定の収束が見とおせている状況が生まれていることが
前提となるため、 再延期の可能性もあります。

また、4月22日(水)に予定していた、
岡山県学習協主催の
「リーダー講座・夜間研修編 会議をおもしろくする基本技術」も
同様の理由で中止といたします。

労働学校やリーダー研修に参加を予定されていたみなさんには、
たいへん申し訳ありません。

集まって学ぶことが難しくなっている状況のなかで、
『学習の友』や勤労者通信大学の普及、良書の紹介など、
みなさまの学びのサポートとして、引き続きさまざまな形で
努力を続けていきたいと思っています。

今後とも、よろしくお願いいたします。

看護と、患者家族として伝えたいことと

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昨年10月に、近畿高等看護専門学校(京都市)の
「卒業生支援研修」でお話しする機会があったのですが、
その話の大要をまとめた文章が、このたび学校の発行する
パンフレットに掲載されました。
テーマは
「ものの見方と人間らしさ~患者を支える家族の立場から伝えたいこと~」
でした。長いですが、以下にご紹介します。

*  *  *  *  *  *  *

 私と看護とのかかわりは、岡山にある民医連のソワニエ
看護専門学校に2006年から非常勤講師で行くようにな
ってからである。看護についてまったく無知であったので、
ナイチンゲールをとりあえず読んでみたが、驚いた。彼女
の論理の確かさと倫理観、患者へのまなざしなど、まった
く古くなっていないと感じた。看護や医療の学びは、私の
仕事である労働者教育にも活きる内容が多く、ほんとうに
ありがたい機会をいただいたと思っている。

Ⅰ.相方の入院経験から
 
私のパートナーである曽根朋子が2016年秋にALS(筋
萎縮性側索硬化症)の診断を受けた。私も今は介護生活を
している。ALSと診断された大学病院での入院体験をお話
ししたい。
 まず初めに、入院初日に神経内科病棟の若い看護師さん
がいろいろ説明してくれたのだが、“タメ口”であった。馴
れ馴れしい言葉づかいで驚いた。社会一般では初対面の目
上の人にタメ口は絶対にしない。結局、ケアする側が上で、
ケアされる側が下という人間関係が口調に現れているので
はないかと思った。もうひとつは、“看護”がなかったこと
である。看護師が看護をしていなかった。ケアがなかった
のである。ルーチンワークしかしておらず、難病と診断さ
れた曽根に対して、なんのアプローチもなかった。
 きわめつけは、主治医が告知の場面で言った言葉「曽根
さんはひとり暮らしでしたっけ?」だ。曽根が誰と住んで
いるのか、入院5日目、告知に際しても、主治医は知らな
かった。関心がないのだろうと思う。ほんとうにびっくり
した。これでは、絶望に陥ることの多いALS患者への励ま
しはできない。じっさい、身体と数値しか見ていなかった
のだろう。
 私の尊敬する医師のひとり、徳永進さんは、「入院して
病室で過ごしている患者さんは、普段はどんな風に生活し
ているんだろう、どんな家で、どんな人たちとどんな町や
村で生活されているんだろう・・・、あまりにもぼくら医療
者はそれを知らない。例えがよくないが、患者さんをスー
パーの切り身の魚のように思って済ましているところがあ
る。ほんとは1匹の魚で、それぞれに泳いでいた自然の海
や川があったはず」1)と著書で述べているが、まさに切
り身として扱われた入院体験だった。
 常識というのはその場にいる人間で作られ、文化となり
固定されていく。おかしいことも恒常化すると、おかしい
と思えなくなる。「慣れる」という力は大事だが、慣れて
いいことと、慣れてはいけないこと(立ちどまるべきこと)
があるはずだ。ただ、問いをもち議論することは、エネル
ギーが必要。流すほうがラク。日々の仕事や生活にゆとり
がない場合や、めんどうくさい摩擦・対立を避けようと、
慣れてはいけないことにも、慣れてしまう可能性がある。
だからこそ、理念が必要なのだと思う。理念によって現実
を照らす。理念と現実とは当然ギャップがあるから、その
ギャップが変革のためのエネルギーになるのだ。理念がな
ければ、現実にどこまでも流されていく。
 ひとりでいる時間、じっくり考え、自分の価値観を問い
直す時間を意識的につくってほしい。同時に、なんでも自
由に議論できる仲間や集団のなかに身を置くこと。自己の
相対化はひとりではできない。

Ⅱ.ものの見方と人権をまもる看護
 
ナイチンゲールは問いを持ち続け、考え続け、看護とは
何かをみがき続けた人だ。
 「われわれは病院において、はたして患者をケアしてい
るのであろうか。病院は患者のために存在しているもので
あって、病院のために患者が存在しているのではない」2)
 「看護のような仕事においては、忙しくてもう頭も手も
いっぱいといったときに、もし神と隣人とに対する真剣な
目標を心の中にもっていないとなれば、・・・もっぱら自分の
ためだけで終わっているといった事態が、いともたやすく
起こりうるのです」3)
 「新しい年のくるたびに、私たちひとりひとりは、自分
のあり方を『棚おろし』して吟味してみようではありませ
んか。そうして常に、自分の看護のありようを、良心の計
りにかけてみようではありませんか。婦長や医師がそばに
いなくてその判定を仰げない場合や、自分が婦長であるよ
うな場合は、なおさらその反省が必要なのです。私はこの
歳になってもそうしています。あなた方にも生涯を通して
そうあっていただきたい。・・・優れた看護婦というものは、
自分の看護婦としての生命が終わるまで、自分の看護を
“吟味”し、また新しいものを学び続けるものなのです」4)
 こうしたナイチンゲールの言葉は、私の背中を押し続け
ている。

Ⅲ.人権をまもるための射程
 
ハーバード大学の公衆衛生の先生、イチロー・カワチ
さんの例えを紹介したい。
 「岸辺を歩いていると、助けて!という声が聞こえます。
誰かが溺れかけているのです。そこで私は飛び込み、その
人を岸に引き上げます」
 「心臓マッサージをして、呼吸を確保して、一命をとり
とめてホッとするのもつかの間。また助けを呼ぶ声が聞こ
えるのです」
 「私はその声を聞いてまた川に飛び込み、患者を岸まで
ひっぱり、緊急処置をほどこします。すると、また声が聞
こえてきます。次々と声が聞こえてくるのです」
 「気がつくと、私は常に川に飛び込んで、人の命を救っ
てばかりいるのですが、一体誰が上流でこれだけの人を川
に突き落としているのか、見に行く時間が一切ないのです」5)
 下流が病院、という例えである。病院にやってくる患者
を次から次へと治しても、病気になる原因(上流)が改善
されなければ、またその人は病気になって病院に流れつい
てくる。パブリックヘルス(公衆衛生)は、川全体に責任
を持って、溺れる人を極力少なくするのがゴールである。
1人ひとりの命をどう救うかと同時に、社会全体の健康を
いかにして守っていくのかを考えることが大事だ。上流
を改善しないかぎり、人権を守ることはできない。下流
とともに上流へのアプローチを組織的に、運動として取
り組んでいるのが民医連だ。
 患者の生命力を消耗させる、健康の社会的要因(SDH)
は、さまざまである。居住環境、貧困と格差、孤立、教育
格差、長時間労働、ハラスメント、制度・政策、医師・看
護師不足、地域医療崩壊、医療労働者の過酷な労働条件、
環境問題、戦争…。目の前にいる「患者個人」を看ると同
時に、その患者個人の「生命力の消耗」をもたらす社会問
題について、洞察力をもち、改善のためのアプローチをし
ていくことが求められている。

Ⅳ.ゆらぎのなかで成長する
 
尊厳をめぐって、せめぎあいの時代になっていると思う。
パートナーである曽根も障害者になったが、移乗の2人体
制を交渉していた時に、自治体職員から「オムツを使わな
いのはわがままなんじゃないですか」となんべんも言われ
た。人の手を借りればポータブルトイレに行き、自分で排
泄できる。なぜこれがわがままなのか。障害者に人権はな
いのか。生産性で人間を判断したり、優劣をつけたり。ほ
んとうに人権学習が欠かせないと思っている。
 ただ、現在の政治状況のなかで、「1人ひとりの尊厳を」
「誰も見捨てない」という人権の理念は、現場の状況とか
ならずぶつかる。経済的にも、制度のなかでも、考え方の
うえでも、困難がある。でもそれが原動力に転化する。人
権感覚を育て、人間らしさを問い続ける。不当・理不尽な
ことに慣れない自分を。集団でなければ立ち向かえない。
 「ゆらぐ」ことができることを肯定しよう。これでいい
のか? という問いが現場には山ほどわいてくると思う。だ
から考える。議論する。ゆらぐ。逆に「ゆらがない」とい
うことは、そこで成長・進歩が終わるということだと思う。
苦悩は成長への過程である。矛盾のなかで高まりあう人間
集団をめざそう。

Ⅴ.みずからの「人権感覚」をみがき続ける
 
人権感覚は、もろく、さびつきやすいのが特徴だ。だか
ら何度でも学び、議論し、みがき続ける。人間は劣悪な環
境でも、「慣れる」「順応する」ことができる。適応力が
高い。人間らしさの「基準」「限度」は、気をつけないと
スルスル下がる。「折り合い」という名の「がまん」。
「しょうがない」「どこもこんなもんだ」「働けているだ
けで幸せだ」。こんな感覚に陥るリスクはつねにある。
 「健康で文化的な生活」「人間の尊厳」とは?つねに考
え続けていってほしい。自分の人権感覚をみがきつづける
ことで、患者さんの人権を守るアンテナをさびつかせない
ことができる。自分の人間らしさ、にこだわって、声をあ
げてほしい。
 「当事者とは、『問題をかかえた人々』と同義ではない。
問題を生み出す社会に適応してしまっては、ニーズは発生
しない。ニーズ(必要)とは、欠乏や不足という意味から
来ている。私の現在の状態を、こうあってほしい状態に対
する不足ととらえて、そうではない新しい現実をつくりだ
そうとする構想力を持ったときに、はじめて自分のニーズ
とは何かがわかり、人は当事者になる。ニーズはあるので
はなく、つくられる。ニーズをつくるというのは、もうひ
とつの社会を構想することである」6)
 めざす看護、めざす医療、めざす社会。その構想があっ
てこそ、人は当事者になる。考え続け、当事者として成長
してほしい。

1)徳永進:野の道往診、NHK出版、2005年
2)F・ナイチンゲール:病院と看護、1880年
3)同上:看護婦と見習生への書簡(1)、1872年
4)同上:看護婦と見習生への書簡(6)、1878年
5)イチロー・カワチ:命の格差は止められるか、小学館101新書、2013年
6)中西正司・上野千鶴子:当事者主権、岩波新書、2003年

『それを、真の名で呼ぶならば』

『それを、真の名で呼ぶならばー危機の時代と言葉の力』
(レベッカ・ソルニット、渡辺由佳里訳、岩波書店、2020年1月)を読了。

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読みごたえのあるエッセイであった。
著者は米国の作家・歴史家・アクティヴィスト。
物書きであり、活動家である。

「まえがき」で著者は、こう言う。

「ものごとに真の名前をつけることは、どんな蛮行や腐敗が
あるのか —— または、何が重要で可能であるのか ―― を、
さらけ出すことである。そして、ストーリーや名前を変え、
新しい名前や言葉やフレーズを考案して普及させることは、
世界を変える作業の鍵となる。解放のプロジェクトには、
新しい言葉を作り出すか、それまで知られていなかった言葉
をもっとよく使われるようにすることが含まれている」(2P)

たとえば、「ジェンダー」という言葉も、
”真の名をつけること”の賜物であり、
縛り付けられていたものの正体がわかり、
ストーリーが生まれ、世界を変える力になる。

「真の名前をつけることによる変化」の例は他にも山ほどあるだろう。
セクシャル・ハラスメントしかり、
賃金不払い労働しかり(サービス残業と呼ばないようにしましょう)。


私は以前、『資本論』の第3篇について書いた文章のなかで、
以下のように書いたことがある。

“『資本論』ではマルクスが「~と名づける」として新しい概念
規定がたびたび登場しますが、この6章・7章でも、「不変資本」
「可変資本」「必要労働時間」「剰余労働時間」のように、マル
クスによってはじめて定義づけられた資本主義理解の重要な概念
が登場してきます。マルクスがいかに前人未到の領域で理論を
展開し概念をつくりだしていったのかが実感されます“

それを、真の名で呼ぶこと、新しい概念を生み出すことは、
社会科学の分野でも重要な意味をもつ。
自分や自分のまわりの世界に対する認識が変わると、
生き方も変わるからである。

「学習は、その知識、概念が持っている意味や価値を丁寧に
解明し、既習の知識や認識の体系に対する揺さぶりや組み替え
をもたらしつつ、まさにそのネットワークの組み替えをとも
なって進むとき、すなわち認識が組み替わるとか、いままでの
考えが変わるとか、わからなかったものが見えるようになるとか、
自分の感性や感情あるいは価値観が組み替えられるなどの内的な
構造の変化、主体の組み替えをともなって進むとき、印象的かつ
感動的なものとして実現される」
(佐貫浩『学力と新自由主義』大月書店、2009年)

本書では、
最近のアメリカを論じているのだが、
現在の日本にも通じる傾向や考え方が随所に見いだせる。

「Ⅳ」の“可能性”の章は、
私たちの背中を熱く押してくれる言葉が綴られている。
活動家の方には、ぜひ読んでほしい。

希望はかぼそいものだけれど、必ずある。
物語を語る努力をしていきたい。

次は花見だ~!

快晴なり快晴なり。

火曜日(24日)はお出かけ日和。
相方とめいっことヘルパーさんと一緒に、
倉敷の児島(相方の地元)にGO。

ほんらいは今ごろ旅行していたのだが、
コロナのことを考え、3月の旅は中止に。来月のも厳しいかも…。

さて。

準備がスムーズにできて11時には出発!
よしよし今日は順調! と思っていたら、
人工呼吸器のホースが福祉車両のスロープに挟まっていて、
途中でスースー抜けはじめ、「空気来てないよー」と相方。
あわてて車をとめて応急処置。ホースが破けてた。でも事なきをえる。

やれやれと思ってランチのお店に着くと、
12時前なのにすでに満席で1時間近く待つことに…。
今日のお出かけ危うし!の情勢。予約しとくべきだった。

ランチの質で挽回! を期待。
相方はふわふわオムライスを注文。

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ふわふわ卵は美味しかったけど、ご飯が固くて喉につまり、
これまたヒヤッと。やれやれ。
結局、卵しか食べれなかったけど、
相方は赤ワインぐびっと飲んで赤ら顔。まあ、よし。

ランチ終了後、買い物してから、鷲羽山の展望台へ。

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病気になってから2回目の場所だったけど、
前回は曇だったので、今回は最高!
春のわりには空気が澄んでいて、香川の坂出もくっきり見通せた。
いやあ、本当に気持ちのよい見晴らし。

最後は昨年オープンした難波牧場のジェラート屋さんに。
わかりづらい場所だったがなんとかたどり着く。
ここも見晴らしよし。ジェラートもスッキリ美味しかった。

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後半盛り返してよい1日に!
旅行にいけないぶん、日帰りお出かけを充実させたい。

次は花見だ!

桜は開花したけど

ほんらいなら、今頃は相方との旅行に。
でもコロナで中止。
今週、日帰りのお出かけはしようと思っているけど。

そして仕事のモチベーションを上げようにも、
日々刻々と状況が変わるコロナ感染状況に気持ち揺さぶられ。
きのう、岡山にも感染者が。これからも、増えていくだろう。

講師仕事も、10人以下のものはかろうじてやるけど、
あとは軒並みキャンセルになっていく。

モヤモヤ。

こういうときって、気持ち切り替えて
別のことに集中できればいいんだけど、なかなか。

桜も開花したけど、春という気分にはなれないな。

集めたいけど、多くなればリスクも…

『学習の友』を配布しにいった岡山県庁で。

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醍醐桜がきれいに咲いていた。今日は最高気温20℃の予想。
春を感じます。

しかし。

新型コロナ感染問題で、
5月14日開校の労働学校の募集活動の足がとまっている(ぼく自身の)。

募集とは、まさに集まってもらうもの。
とくに労働学校は1か所にたくさんの人を集める。
で、岡山労働学校では近距離での対話もがんがんやる。
講義を聞くだけで帰るのは、労働学校ではない。

人数が多ければ多いほど、感染リスクは高くなる…。
今期は50人集めようという目標。
部屋の換気をしたとしても、どうしても密集度は高くなる。

募集が成功すればするほど、リスクが高まるというジレンマ。
5月中旬までに、今よりもおさまってくれていると、いいんだけれど。

しかし、割り切って募集活動をすすめるしかない。
足がとまれば、それだけ影響はじわじわあとに響く。

ということで、モヤモヤしながらも、
来週からまたグッと募集活動に比重を移していきたい。