長久啓太の「勉客商売」

岡山県労働者学習協会の活動と長久の私的記録。 (twitterとfacebookもやってます)

「非労働時間」(余暇)の過ごし方の発展

『「非労働時間」の生活史ー英国風ライフ・スタイルの誕生』
             (川北稔編、リブロ、1987年)を読み終える。

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イギリスで労働者階級が増え、
労働力を販売する時間とそうでない時間の区別が明確に。

「農村的な労働形態では、『労働』と『余暇』は不可分
に結合ないし融合しており、両者を切り離して考えること
はむずかしい。労働の時間と『生活』の時間には、判然
とした区別がなかったのである。しかし、工業化と都市化
は、民衆の時間を、資本家に売り渡した『労働の時間』と、
残った『非労働時間』―「生活の時間」であり「余暇」で
ある―とに分解してしまう。ここではじめて、『余暇の
過ごし方』の問題が、社会的な課題となるべき理由が生じ
たのである」(1P)

飲酒、音楽、ギャンブル、自転車、スポーツ、読書、公園、
レジャー、映画など、「非労働時間」の過ごし方の変遷が
分析されていて興味深かった。

余暇さえも「産業化」「商品化」の対象とされ
資本を増やす資本主義のあり方も。

いずれにせよ、文化とは耕すものであること、
さらに「非労働時間」の過ごし方も階級対立というか、
経済的土台に規定されているのだということを
再認識させられた読書であった。


以下、メモ的に。

「生活文化とは、そこで人がよりよく生きるための
技術の総和のことであろう」(22P)

「『階級』といえるかどうかは別にして、下層民にも
それなりに仲間意識があったことは間違いない。とす
れば、そのような仲間意識はどこで培われたのか。答
えは、おそらく『非労働時間』の側にこそある、と思
われる。ここに、飲酒を伴う『社交』の意味があった
と思われる・・・(略)かれらの社会的アイデンティティ
もまた、労働や生産の局面よりは、こうした『非労働
時間』に展開された『社交』の局面で形成されていっ
たというべきではないだろうか」(52P)

「イギリスは、今日普及している各種スポーツの最大
の母国である。この国は、まず18世紀に、競馬、ゴ
ルフ、アーチェリ、クリケットを生み、ついで19世
紀の後半、とくに60年代から90年代にかけて、一
挙にサッカー、ラグビー、クローケー、テニス、陸上
競技、水泳、漕艇、ボクシング、サイクリング、登山、
バドミントン、卓球等々を今日ある形態のスポーツと
して生み出した。(略)・・・それは、この国が世界で
最初に産業革命を起こした資本主義の国であったから
で、だからこの国は、19世紀後半にいち早く、国民
が各種スポーツを楽しむことができる経済的発展段階
に到達することができたのであった」(126P)

塚本監督は『野火』になぜこだわったのか

『塚本晋也「野火」全記録』(塚本晋也、洋泉社、2016年8月)
を読み終える。

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昨年、映画館でみた塚本晋也監督の『野火』。
太平洋戦争のフィリピン・レイテ島での日本兵の苦悶と
徹底した戦場の非日常性を描いている。

あまりの凄惨な戦場の描写に、見終わったあとは呆然。
もう2度と見たくない映画だが、見てよかった映画でもある。

本書は、その制作過程と関わった人のインタビューなどで、
作品の深層にせまる。

金がない人がないという、自主映画。数々の壁。
なぜ、そこまでこの映画製作にこだわったのか。
塚本監督の時代認識と危機感。
戦争映画をつくる視点にも共感。

あ、でもまだ原作、読んでないんだよな~。
気の重い読書になるけど、読まなきゃな~。


以下、塚本監督の言葉。


「作っても総スカン喰らう世の中になるか。それなら
いまのうちに、このイヤ~な空気に一石を投じる映画
を作るしかない。平和ボケした人たちの頭をハンマー
でひっぱたくような映画を世に送り出さねばならない」(20P)

「戦争のことだけはムキになってしまうんですね。ど
うしても戦争に近づいているとしか思えなくて」(90P)

「恐ろしい過ちをした過去に美徳を見いだそうとして
いる空気」(91P)

「戦争へ行ってしまうと、そこで行われるのはやりす
ぎの世界ですので、ここまで描かないと(表現が)足
りなくなってしまいます。戦争はそこへ行けば人間の
体が尊厳もなく急に物に変わってしまいますので、映
画の中でもきっちりと、やりすぎな表現をしました」(126P)

「自分としてはやられたことを声高に言うよりは、や
ってしまう可能性が十分にある、人を殺してしまうこ
ともある、という戦争の恐ろしさのほうなんです。こ
の映画では、加害者に誰しもがなってしまう恐怖を描
いてみたかった」(128P)