「働くことの意味と矛盾―人間と労働について」がテーマ。
一。労働とはそもそも(前回のふりかえりもかねて)
1。人間社会を成り立たせている
◇人間が生きていくために必要なものをつくりだす
*現在、太陽や空気以外のほとんどの「人間にとっての有用物」は、
人間の労働によって「つくりだされている」。
*道具や機械を使い、自然に働きかけ、環境と整えたり変えたりして。
*人間は、労働なしには、生きていけない。したがって、労働は
「やらなければならない」という性質を強くもつ。どんな時代や社会でも。
◇無数の人びとの労働によって支えられて
*『いっぽんの鉛筆のむこうに』(谷川俊太郎文ほか、福音館書店)
「自分たちの地球が宇宙の中心だという考えにかじりついていた間、
人類には宇宙の本当のことがわからなかったと同様に、自分ばか
りを中心にして、物事を判断してゆくと、世の中の本当のことも、
ついに知ることが出来ないでしまう。大きな真理は、そういう人の
眼には、決してうつらないのだ」
(吉野源三郎『君たちはどう生きるか』岩波文庫)
2。人間らしさを育てたのも労働
◇手の使用、道具の使用(生産力の高まり。未来への備え)
◇手と脳は相互に関連・刺激しあいながら、精巧に発展してきた。
◇労働は協同でやるもの(言語や、相手の立場や感情を察する力の獲得)
◇芸術や文化も労働から生まれた
◇「しなければならない」側面をもちながらも、「喜び」にもなる。
*ものを生み出す、創造する、形にする、むすびつける、人の役に立つ
*「労働」をつうじての仲間とのつながりは、独特な連帯感を生み出す
3。社会を支える「働く人びと」-その状況はどうか?
◇「私」の生活を支えている人びとのことを想像する
*生活はどうか? 働き方はどうか? その人の労働は尊ばれているか?
「生み出してくれる人がなかったら、それを味わったり、楽しん
だりして消費することは出来やしない。生み出す働きこそ、人間
を人間らしくしてくれるのだ。これは、何も食物とか衣服とかいう
品物ばかりのことではない。学問の世界だって、芸術の世界だ
って、生み出してゆく人は、それを受取る人々より、はるかに肝
心な人なんだ」 (吉野源三郎『君たちはどう生きるか』岩波文庫)
「労力一つをたよりに生きている人たちにとっては、働けなく
なるということは、餓死に迫られることではないか。それだの
に、残念な結果だが今の世の中では、からだをこわしたら一
番こまる人たちが、一番からだをこわしやすい境遇に生きて
いるんだ。粗末な食物、不衛生な住居、それに毎日の仕事
だって、翌日まで疲れを残さないようになどと、ぜいたくなこ
とは言っていられない。毎日、毎日、追われるように働き
つづけて生きてゆくのだ」 (前掲書)
◇「労働のあり方」は、「社会のあり方」と結びついている
*いまの社会は?・・・21世紀の高度に発達した日本の資本主義社会
*資本主義社会のもとで働くとは?・・・
二。資本主義社会で「働く」ということ
1。生産手段(土地、建物、機械、原材料etc)の所有関係
*労働者が労働力を売るのは、「使用価値」(商品)が必要なため
商品 - 貨幣 - 商品 が私たち(労働者)のお金の流れ
貨幣 - 商品 - 貨幣 ということ
重要なことは、はじめの貨幣量よりもおわりの貨幣量が
大きくなるということ。
この運動の目的は、貨幣の増加、つまりより大きな貨幣(価値)の
獲得にあること。 資本=自己増殖する価値のこと。
では、なぜ「はじめ」より「おわり」が大きくなるのか。
それは、「労働力の使用」に秘密がある。
「資本主義的生産過程を推進する動機とそれを規定する目的
とは、できるだけ大きな資本の自己増殖、すなわちできるだけ
大きな剰余価値の生産、したがって資本家による労働力ので
きるだけ大きな搾取である」
(マルクス『資本論』第11章「協業」)
三。社会による規制が、資本の横暴を規制する―人間の復興へ
1。社会による「強制」とは
◇資本を野放しにすると、どんどん人間を疎外する―規制が必要
◇多用な方法
*権力者をしばる憲法。
*国法(法律)による規制=政治闘争を基本にしながらも。
*国際的な条約。行政の指導や世論の監視など。階級闘争。労働運動。
◇19世紀~20世紀に大きな発展をとげてきた規制の力
*労働時間の規制、賃金、雇用形態、解雇規制、差別禁止…
*社会的・政治的自由、女性差別禁止、障害者差別禁止…
*企業活動のルール、企業の社会的責任、環境対策…
*資本に対抗する人間集団・組織の発展
労働・人間の疎外の克服へ=人間の復興を
◇資本主義の歴史的発展の度合いを
はかる尺度としての資本の民主的管理
「むきだしの資本の論理を、社会全体の安心や安定、平和や
豊かさを求めるその国の労働者・国民がどこまで制御し、管
理することに成功しているか…つまり、…国民による資本主義
の民主的管理がどこまで達成されているか」
(石川康宏「『資本主義の限界』を考える」、『経済』09年1月号)
以下、参加者の感想文です。
* * * * * * * *
資本のもとにおける「人間の疎外」が印象に
残りました。
「賃金は、労働者がまた次の日も元気に働く
ために必要な額を基準に」という考え方はなかなか
考えたことがなかったですが、成果主義賃金で
仕事の成績が悪いと給料が低く抑えられることは、
仕事できない人の生活、はたまた人生は知った
こっちゃないってことか!? と考えました。就職難や
非正規雇用もあたりまえになってるし、国民の人生も
生活もどうでもいい社会になっている・・・。
働く喜びややりがいがないと、働きつづけることは
むずかしい。人間が自由を勝ちとるためには、
働きつづけないといけないし、学びつづけないと
いけない。
今日も資本=自己増殖する価値のこと、学びました。
資本主義では、できるだけ大きな資本の自己増殖、
大きな剰余価値の生産、資本家による労働力の
大きな搾取、今の日本、過剰なりすぎ、国民が怒って
組合的な活動が発展するといいな。しかし、今、
日本の反対運動がさかんになり始めた。資本の横暴を
とめましょう。
資本家と労働者のそれぞれの特質、力関係について
改めて確認できました。資本のもとにおける労働の
「人間の疎外」についての整理が、いろんな気づきに
つながりました。
「自由な時間は富そのものである」というのは、まさに
そう考えることが、労働者の喜びにつながると思いました。
人間の疎外の話ははじめて聞いて、なるほど!!と。
せっかく働くんだったら、より良い働き方がしたいと思い
ました。そのためには学びつづけるのだ!!
労働者が労働者でない働き方で生きてゆくには、
どうすればよいのでしょうか。疎外のない状態になる
には、どうすればよいのでしょうか。資本家には
なりたくないし、特異にならないとあり得ないですね。
資本のもとにおける労働の「人間の疎外」で生産物が
自分たちと対立する(資本を増殖させている)矛盾は、
新しい視点だった。
また、資本の人間観が一般的に支配していて、
学校の成績が良く、いい学校にいけば良い(給料が・・・)
仕事につけるという考え方をあらためていかないと
いけないと思う。