TVドラマ「ダンダリン」が話題になっていますね。
ぼくテレビ見れないので、第1回みてませんが…。
労働基準監督官で思い出すことのひとつと言えば、
やはり『資本論』第8章でマルクスが
数多く引用している工場監督官の報告書です。
すごいですよ。彼らは。
日本でもこの『資本論』の工場監督官のような監督官に
なりたくて労働基準監督官になった人も昔は大勢いたみたいですね。
(という話をどこかで聞いた)
いま、監督官になろうという人って、
どんな動機なんだろ? そのへんのこと、
ドラマでは描かれているのかな?
監督官が異常に少ない現実も描かれるのかな?
まあ、いずれレンタルで見ることにしましょう。
以下は、以前講義のために準備したメモ資料で、
その『資本論』第8章「労働日」に出てくる
工場監督官の報告をマルクスが引用しているものの一部です。
日本の労働時間問題に、そのままあてはまります。
【工場監督官報告書。1858年4月30日】
「私は相変わらず同じ数の苦情、すなわち労働者に法律的に保証された食事時間および休養時間を侵害することによって、労働者から毎日半時間または3/4時間がひったくられているという苦情を受け取っている」
【工場監督官報告書。1860年10月31日】
「われわれが食事時間中または他に違法な時間に労働者たちが仕事しているのを現場で押さえると、労働者たちがどうしても〔定時に〕工場を立ち去ろうとしないとか、また彼らの労働」(機械の掃除など)「をやめさせるためには、とくに土曜日の午後には、強制が必要であるといったことが、しばし口実とされる。しかし『工員たち』が、機械の停止後も工場に残っているとすれば、それはただ、朝の6時から晩の6時までの間に、すなわち法定労働時間中に、そのような仕事をするための時間が彼らには許されていなかったからにほかならない」
【工場監督官報告書。1856年10月31日】
「法廷労働時間を超えた過度労働で得られる特別利潤は、多くの工場主たちにとってあまりにも大きい誘惑であり、これに抵抗できないように思われる。彼らは運よく発見されないことをあてにしており、発見された場合でさえも、罰金と裁判費用とが取るに足らない額なので、相変わらず自分たちには差引利益が保証されると計算している」
「1日中、“こそどろの積み重ね”によって追加時間が得られる場合には、監督官たちにとって、それを立証するのはほとんど乗り越えられない難事である」
【工場監督官報告書。1848年10月31日】
たいていの「超過時間労働者」は次のように供述しているー
「彼らは、もっと少ない労賃で10時間働くほうが好ましいのであるが、彼らにはまったく選択権がない。彼らのうちの多くの者が失業しており、多くの紡績工が余儀なくただの“糸つなぎ工”として働かされているのであるから、もし彼らがより長い労働時間を拒絶すれば、すぐさま他の者が彼らに取って代わるであろう。こうして、彼らにとって問題になることは、より長時間働くか、それとも首を切られるかということである」
【工場場監督官報告書。1859年10月31日】
10時間法案は、それが適用された産業部門において、「労働者たちを完全な退化から救い、彼らの肉体的状態を保護した」。
「労働者自身に属する時間と彼の事業主に属する時間がついにはっきり区別されたことは、さらにいっそう大きな利益である。いまや労働者は、彼が販売する時間がいつ始まるかを知っている。そして、彼はこのことをまえもって正確にしっているのであるから、自分自身の時間を自分自身のために予定することができる。・・・それら(工場法)は、彼ら〔労働者たち〕を自分自身の時間の主人にすることによって、彼らがいつかは政治権力を掌握するにいたることを可能にする精神的エネルギーを彼らに与えた」