長久啓太の「勉客商売」

岡山県労働者学習協会の活動と長久の私的記録。 (twitterとfacebookもやってます)

「やはり資本をコントロールすることがカギだなあ」

きのう(21日)の夜は、
第86期岡山労働学校「超入門! 資本論教室」の
第6講義でした。15名参加。

 

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テーマは「労働時間の延長」。

 

マルクスの『資本論』のなかでも、

その熱が最も伝わってくるのが、

第8章「労働日」だと思います。分量も多い。

 

テキスト『理論劇画マルクス資本本』でも

おおくのページをつかっています。

 

自然と、私の話にも熱がこもりました。

 

 

以下、講義の概要です。

 

 

 

一。おさらい

 

二。搾取を強める方法の第1番手―労働時間の延長

(先週に引き続き、生産労働の職場をイメージしてください)

 

  労働時間の延長(絶対的剰余価値の生産)の構図

 

 

三。労働時間とは何か、どうやって決まるのか

 1。労働時間の最低限度と最高限度

  ◇労働時間の最低限度は?―必要労働時間分

  ◇労働時間の最高限度は?

   *最高限度を規制する二重の規定

    ①労働力の肉体的制限

     「1日のある部分のあいだにこの<生命>力は休息し、睡眠を

     とらなければならず、また他の部分のあいだに人間は食事をし、

     身体を洗い、衣服を着るなどの他の肉体的な諸欲求を満た

     さなければならない」(『資本論』第8章、394P)

 

    ②社会的慣習の諸制限

     「労働者は、知的および社会的な諸欲求の充足のために

     時間を必要とするのであり、それら諸欲求の範囲と数は、

     一般的な文化水準によって規定されている」(前掲、394P)

 

   *弾力性に富む「制限」

「それゆえ、労働日の変化は、肉体的および社会的な諸制限

の内部で行なわれる。しかし、この二つの制限はきわめて

弾力性に富むものであって、変動の余地はきわめて大きい。

こうして、8、10、12、14、16、18時間からなる労働日、

したがってきわめて相異なる長さの労働日が存在するのである」

(前掲、394P)

 

 2。権利vs権利

 

     「資本家は、労働力をその日価値で買った。一労働日のあいだ中、

労働力の使用価値は彼のものである。したがって、彼は労働者を

1日のあいだ自分のために労働させる権利を手に入れた。しかし、

一労働日とはなにか? いずれにせよ、自然の一生活日より

は短い。どれだけ短いのか? 資本家は、この“極限”すなわち

労働日のやむをえない制限については彼独自の見解をもっている」 

(前掲、395P)

 

 

     「私の日々の労働力の使用はあなたのものである。しかし、私の

労働力の日々の販売価格を媒介にして、私は日々この労働力を

再生産し、それゆえ新たに売ることができなければならない。

年齢などによる自然的な消耗を別にすれば、私は、あすもきょう

と同じ正常な状態にある力と健康とはつらつさで労働できなけれ

ばならない。(略)私は分別のある倹約な一家のあるじのように、

私の唯一の財産である労働力を管理し、そのばかげた浪費はいっ

さい節約することにしよう。私は毎日、労働力の正常な持続と健

全な発達とに合致する限りでのみ労働力を流動させ、運動に、

すなわち労働に転換しよう」  (前掲、397P)

 

 

   *第5講義でつかった図をもう一度。

    「労働力を再生産する」ってどういうこと?

 

「あすもきょうと同じ正常な状態にある力と健康と

はつらつさで労働できなければならない」! 40年…!

 

  ◇強力がことを決する

「ここでは、どちらも等しく商品交換の法則によって確認された

権利対権利という一つの二律背反が生じる。同等な権利と

権利とのあいだでは強力がことを決する。こうして、資本主義

的生産の歴史においては、労働日の標準化は、労働日の

諸制限をめぐる闘争…総資本家すなわち資本家階級と、総労

働者すなわち労働者階級とのあいだの一闘争…としてあらわ

れる」   (前掲、399P)

 

労働時間は、資本家階級と労働者階級の力関係によって決まる!

 

 

四。資本を社会的に規制せよ!

 1。資本は、生きた労働を吸収することによって吸血鬼のように

活気づく(マルクス)

  ◇労働時間の「ひったくり」「こそどろ」「ちょろまかし」(資料①~③)

  ◇昼夜労働と夜勤労働ー交替制

 

     「1日の24時間全部にわたって労働をわがものとすることが、

資本主義的生産の内在的衝動なのである。しかし、同じ労働力

が昼夜連続的にしぼり取られるなどということは、肉体的に不可

能であるから、この肉体的障害を克服するために、昼夜食い尽

くされる労働力と夜間に食い尽くされる労働力との交替が必要

になる」(前掲、440P)

 

  ◇現代日本ではどうか

   *先進国でもまれにみる長時間労働。あいまいな労働時間の「くぎり」。

   *有休休暇は取得率50%をきる。バカンスって、なんの話?

   *残業規制が弱すぎる。割増率の低さ。36(サブロク)協定。

   *サービス残業・・・吸血鬼がもっとも活気づく時間!

 

 2。労働者は、働きすぎるとどうなるか

  ◇「不幸をもたらす」

*家庭的および私的生活への不法な侵害

*健康を破壊し、早い老化と早死においこむ(資料④)

  ◇ゆとりを奪う―人間らしい生活、文化を蝕む

 

  ◇「感覚麻痺が彼らを襲う」

 

      「ロンドンのある大陪審の前に3人の鉄道労働者、すなわち車掌、

機関士、および信号手が同時に立っている。ある大きな鉄道

事故が数百人の乗客をあの世に送ったのである。鉄道労働

者たちの怠慢が事故の原因である。彼らは異口同音にこう

言明している。10年ないし12年前には、自分たちの労働は

1日にたった8時間にすぎなかった。最近の5、6年のあいだ

に、労働は14、18、20時間へしゃにむに引き上げられ、また

行楽専用列車の時期のように旅行好きな人人がとくに激しく

殺到する場合には、労働は、しばしば中断なしに40―50時

間続く。彼らは普通の人間であって、キュクロープスたち〈ギリ

シア神話に登場する巨人族〉ではない。ある時点では、彼らの

労働力は役に立たなくなる。感覚麻痺が彼らを襲う。彼らの脳

は考えることをやめ、彼らの目は見ることをやめる、と」(前掲、432P)

 

   *これは、現代日本のさまざまな「事故」「労働災害」にも

言えるのではないか。

 

 

 3。資本を社会的に規制せよ!

 

「資本は、剰余労働を求めるその無制限な盲目的衝動、その

人狼的渇望のなかで、労働日の精神的な最大限度のみでは

なく、その純粋に肉体的な最大限度をも突破していく。資本は、

身体の成長、発達、および健康維持のための時間を強奪す

る。それは、外気と日光にあたるために必要な時間を略奪す

る。それは食事時間をけずり取り、できれば食事時間を生産

過程そのものに合体させようとし、その結果、ボイラーに石炭が、

機械設備に油脂があてがわれるのと同じように、食物が単

なる生産手段としての労働者にあてがわれる。それは、生命

力の蓄積、更新、活気回復のための熟睡を、まったく消耗し

切った有機体の蘇生のためになくてはならない程度の無感覚

状態の時間に切りつめる。この場合、労働力の正常な維持が

労働日の限度を規定するのではなく、逆に労働力の最大可能

な日々の支出が―たとえそれがいかに病的で強制的で苦痛

であろうと―労働者の休息時間の限度を規定する。資本は労

働力の寿命を問題にしない。それが関心をもつのは、ただ一つ、

一労働日中に流動化させられうる労働力の最大限のみである」 

(前掲、455~456P)

 

「“大洪水よ、わが亡きあとに来たれ!”これがすべての資本

家およびすべての資本家国民のスローガンである。それゆえ、

資本は、社会によって強制されるのでなければ、労働者の健

康と寿命に対し、なんらの顧慮も払わない。・・・自由競争は、

資本主義的生産の内在的な諸法則を、個々の資本家にたいし

て外的な強制法則として通させるのである」 (前掲、464P)

 

*マルクスは、資本論の「注」でこんな話も紹介している。

 

「住民の健康は国民的資本のきわめて重要な要素であるに

もかかわらず、遺憾ながらわれわれは、資本家たちがこの宝を

保存し大切にする用意がまったくないことを認めざるをえない。

・・・労働者の健康への顧慮が工場主たちに強制された」 

(『タイムズ』 1861年11月5日)

 

  ◇標準労働日(労働時間の国家的規制)の確立は

   *「資本家と労働者とのあいだの数世紀にわたる闘争の成果

である」(前掲、466P)

   *『資本論』には、イギリスの労働者が、労働時間を制限するために、

半世紀にわたって闘いを続けた歴史が、生々しく記述されている。

   *労働時間を10時間に制限する工場法獲得の結果、イギリス資本

主義は驚くべき発展をみせた!(生産性があがった)

 

◇マルクスの指摘ー自由な時間の確保は、仕事にも反作用する

 

     「労働時間の節約は、自由な時間の増大、つまり個人の完全な

発展のための時間の増大に等しく、またこの発展それ自身がこれ

また最大の生産力として、労働の生産力に反作用を及ぼす。

・・・余暇時間でもあれば、高度な活動のための時間でもある、

自由な時間は、もちろんそれの持ち手を、これまでとは違った主体

に転化してしまうのであって、それからは彼は直接的生産過程にも、

このような新たな主体としてはいっていくのである」  

(マルクス『資本論草稿集2』)

 

  ◇自分自身の時間の主人になることによって・・・(資料⑥)

 

「われわれは、労働日の制限こそ、それなしには改善と解放の

ための他のいっさいの企てがむだに終わるような予備条件であ

ると考える。それは労働者階級、すなわちあらゆる国民の基幹を

なす多数者の体力と健康とを回復させるために必要である。そ

れは、知識的発達や社会的交際や社会的政治的活動の可能

性を労働者に返還させるためにも、それにおとらず必要である。

われわれは、労働日の法定限度として8労働時間を提案する」

1866年9月、ジュネーブの国際労働者大会の決議)

 

  ◇社会的バリケードを

 

     「自分たちを悩ます蛇にたいする『防衛』のために、労働者たちは

結集し、階級として一つの国法を、・・・強力な社会的防止手段を、

奪取しなければならない」(前掲、525P)

 

   *資本への「社会的規制」は、

今後の社会発展を考えるうでの重要なキーワードに!

 

 

 

 

労働時間 資料編

(『資本論』第8章「労働日」に出てくる引用です)

 

資料①『工場監督官報告書。1858年4月30日…』

 「私は相変わらず同じ数の苦情、すなわち労働者に法律的に保証された

食事時間および休養時間を侵害することによって、労働者から毎日半時

間または3/4時間がひったくられているという苦情を受け取っている」

 

 

資料②『工場監督官報告書。1860年10月31日…』

 「われわれが食事時間中または他に違法な時間に労働者たちが仕事し

ているのを現場で押さえると、労働者たちがどうしても〔定時に〕工場を立

ち去ろうとしないとか、また彼らの労働」(機械の掃除など)「をやめさせ

るためには、とくに土曜日の午後には、強制が必要であるといったことが、

しばし口実とされる。しかし『工員たち』が、機械の停止後も工場に残って

いるとすれば、それはただ、朝の6時から晩の6時までの間に、すなわち

法定労働時間中に、そのような仕事をするための時間が彼らには許され

ていなかったからにほかならない」

 

 

資料③『工場監督官報告書。1856年10月31日…』

「法廷労働時間を超えた過度労働で得られる特別利潤は、多くの工場

主たちにとってあまりにも大きい誘惑であり、これに抵抗できないように

思われる。彼らは運よく発見されないことをあてにしており、発見され

た場合でさえも、罰金と裁判費用とが取るに足らない額なので、相変

わらず自分たちには差引利益が保証されると計算している」「1日中、

“こそどろの積み重ね”によって追加時間が得られる場合には、監督

官たちにとって、それを立証するのはほとんど乗り越えられない難事で

ある」

 資本がこのように労働者たちの食事時間や休養時間から「こそどろ」

することを、工場監督官たちも、「数分間のちょろまかし」「数分間のひっ

たくり」または労働者たちが呼んでいるように「“食事時間のかじり取り”」

と言っている。

 

 

資料④『1861年度のアイルランドの製パン業にかんする調査委員会の報告書』

 「本委員会は、12時間を超える労働日の延長が労働者の家庭的およ

び私的生活の不法な侵害であり、各人の家庭生活を妨害し、彼が、息子、

兄弟、夫、および父として家庭義務を履行するのを妨害することによって、

有害な道徳的結果をもたらすものと信じる。12時間を超える労働は、労

働者の健康をむしばむ傾向があり、早い老化と早死とをもたらし、それゆ

え、労働者家族の不幸をもたらすのである。これら家族は、家長による世

話と扶養とを、もっとも必要としているときに奪われるからである」

 

 

資料⑤『工場監督官報告書。1848年10月31日』

 たいていの「超過時間労働者」は次のように供述しているー

 「彼らは、もっと少ない労賃で10時間働くほうが好ましいのであるが、彼ら

にはまったく選択権がない。彼らのうちの多くの者が失業しており、多くの

紡績工が余儀なくただの“糸つなぎ工”として働かされているのであるから、

もし彼らがより長い労働時間を拒絶すれば、すぐさま他の者が彼らに取っ

て代わるであろう。こうして、彼らにとって問題になることは、より長時間働

くか、それとも首を切られるかということである」

 

 

資料⑥『工場監督官報告書。1859年10月31日』

 10時間法案は、それが適用された産業部門において、「労働者たちを

完全な退化から救い、彼らの肉体的状態を保護した」。

 

「労働者自身に属する時間と彼の事業主に属する時間がついにはっきり

区別されたことは、さらにいっそう大きな利益である。いまや労働者は、

彼が販売する時間がいつ始まるかを知っている。そして、彼はこのことを

まえもって正確にしっているのであるから、自分自身の時間を自分自身

のために予定することができる。・・・それら(工場法)は、彼ら〔労働者

たち〕を自分自身の時間の主人にすることによって、彼らがいつかは政治

権力を掌握するにいたることを可能にする精神的エネルギーを彼らに与えた」

 

 

 

以上。

 

 

感想文を少し。

 

◆労働時間を短縮していろんな活動を元気にできる

ようにすることが、労働者のたたかいにとって第一義的

課題というのは納得! 本当に残業時間を規制して

ほしい。労働者のギリギリのがんばりに甘えすぎじゃ~!

 

◆サービス残業=契約違反という考え方。労働力を

時間で売っている。その分の賃金をもらっているという

契約。つまり、それをこえた時間は労働者が自由に

使える時間。自分の為に使わなければ。きちんと管理

しなければならない。法による規制の必要性がよく

わかりました!

 

◆病院にいた頃は、日勤→当直→日勤で連続32時間

働いていた事もあります。思考が止まります。身体も

いうことをきかなくなります。今の職場では、毎日残業

4時間×2か月したことがあります。みんなが敵に見え

ます。家庭も壊れます。心も身体も病みます(経験者は

語る)。まずは8時間労働! と考えるのは甘いかなあ・・・。

仕事が終わったらヘロヘロの日もあります。ヘロヘロに

ならない程度の仕事量にしたいけど・・・。

 

◆主人の仕事が当てはまるかもしれませんが、長時間

労働で時給にしたら最低賃金を切っているようです。

ただ、自由に休めて、人と接しないのでストレスを

感じる時間が少なくていいらしい。私は医療生協に

入る前に働いていた会社では仕事が始まる前にすぐに

働ける準備を終わらせてタイムカードを押すように言われ

てました。それも搾取だったんだ!

 

◆日本に残業を規制する法律がないことを初めて知り

ました。ショック!! やはり資本をコントロールするのが

カギだなあ。運動はやりつづけないといけないと思いま

した。ガンバル!!