今日は電車通勤。早島駅まで歩きながら、
月刊誌『学習の友』で次に書かせてもらえるなら、
このテーマだなあ、ということを考えた。
連載 『時間の哲学』。
6回連載の内容案。
(1)時間のなかで生きている
(2)自由な時間と人間
(3)労働時間とは何か
(4)労働時間をめぐるたたかい
(5)家事労働時間とその意味
(6)時間の使い方をめぐる考察
* * * * * * *
トマス・モア(英国の思想家、1478~1535)が
約500年前、著書『ユートピア』(岩波文庫)で
提唱した労働時間は、6時間である。
「牛馬のごとき生活こそ、悲惨と酸鼻を極めた
奴隷の生活よりも、なおいっそうひどいもので
あるからである。しかし、思うに、かような生活
はユートピアを除いては実は世界中のすべての
労働者と職人の生活にほかならないのである。
例えばユートピアは昼夜を24時間に等分し、
その中僅か6時間を労働にあてるにすぎない。
すなわち、午前中3時間の労働、正午には
直ちに昼食、食後は2時間の休息、その後で
再び3時間の労働、次に夕食、とこういう風に
なっている。(略)空いている時間、つまり、
労働・睡眠・食事などの合間の時間は各人が
好きなようにつかっていいことになっている」
「この国家の制度においては、まず考慮され、
求められている唯一の主な目的は、公共生活
に必要な職業と仕事から少しでも割(さ)きうる
余暇があれば、市民はそのすべての時間を
肉体的な奉仕から精神の自由な活動と教養に
あてなければならないということである。人生の
幸福がまさにこの点にあることを彼らは信じてい
るからである」
マルクスが『資本論』のなかで「労働時間」についての
根本原理を明らかにし、労働時間を制限するために
国法を奪取せよ! と呼びかけたのは150年前である。
「自分たちを悩ます蛇にたいする『防衛』のために、
労働者たちは結集し、階級としての一つの国法を、
資本との自由意志的契約によって自分たちとその
同族とを売って死と奴隷状態とにおとしいれること
を彼らみずから阻止する強力な社会的防止手段を、
奪取しなければならない」
そして、今の日本社会である。
読みかけの『過労死は何を告発しているか』(森岡孝二著)は、
この問題の根深さをあらためてつきつけられる。
「貧困が人並みにあるべきものがない状態、したがって
社会的剥奪や排除を意味するとすれば、働きすぎも
また貧困の一つの表れである。働きすぎ/働かされすぎの
状態におかれた人はほとんど自由時間をもつことが
できず、趣味を楽しむことができない。また、まともに家庭
生活や地域生活に参加することができず、政治や社会
への参加もおぼつかない」
そんなわけで、
『時間の哲学』について、
考えを深め、書きたいのである。