長久啓太の「勉客商売」

岡山県労働者学習協会の活動と長久の私的記録。 (twitterとfacebookもやってます)

今を生きる若者の、政府の憲法解釈

最近読み終えた本。 

 

 

『今を生きる若者の人間的成長』(都筑学、中央大学出版部、2011年)。

 

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心理学の先生による「生き方」「成長とは」「人生とは」などのエッセンス。

おもしろいところもあったけど、もうひとつ深まりがほしかった。

 

やっぱりぼくは史的唯物論の立場から生き方や人間論を語るのが好きだな。

 

 

 

 

『政府の憲法解釈』(阪田雅裕編著、有斐閣、2013年)

 

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ヒジョーにおもしろかった。元内閣法制局長官の著者が、

60年間以上にわたって国会論議も経ながら

積みあげられてきた政府の憲法解釈を解説。

 

ときどきの国会論戦の議事録を紹介しながら、ポイントを述べる。

 

法解釈の重み。

安倍政権の解釈改憲による集団的自衛権の容認が

いかに「クーデター」的であるか実感する。

 

以下、メモ的に。

 

「仮に9条の解釈を変更しようとする場合には、国民に対して、

過去60年間にわたって採り続けられてきた解釈のどこが間違い

なのかを法律論として説明し、より的確で納得のできる法論理を

示すことだけは避けられない」

 

「憲法が『・・・・・・してはならない。』と命じている相手方、つまり

憲法において義務を課せられているのは、基本的には国家であり、

立法、司法、行政の三権はいずれも憲法に服さねばならない」

 

「推敲を重ねて確定した法文の解釈を変えるためには、十分に

合理的な理由と説得力のある論理が必要であり、法治国家で

ある以上、時々の内閣が恣意的にこれを行なうことは許されない」

 

「なかでも、国自らが守るべき規範たる憲法の解釈の変更には

とりわけ慎重でなければならず、『国会等における論議の積み

重ね』は、政府の憲法解釈に矛盾がないか、一貫性があるかと

いった点に厳しい目が注がれてきたことを意味している」

 

「集団的自衛権は一般に、『自国と密接な関係にある外国に

対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、

実力をもって阻止する国際法上の権利』と定義される」

 

「第9条の下では、自国が武力攻撃を受けていない状況下で

我が国が同盟国等のために武力行使をすることは許されない、

とする政府の憲法解釈は、集団的自衛権の定義について議論の

あった当時から変わっていない」

 

「集団的自衛権は、我が国に対する武力攻撃が発生しておらず、

国民や国の存立が直接危険にさらされていない状況下での

武力行使である点において、個別的自衛権とは決定的にその

性格を異にするものである」

 

「一言でいえば、個別的自衛権が『我が国に対する武力攻撃の

発生』を発動の要件とする自国防衛権であるのに対して、集団

的自衛権は『外国に対する武力攻撃』があったことを前提とする

他国防衛権にほかならない」

 

「第9条が集団的自衛権の行使を禁じていないと解することは、

同条の文理に照らしても問題がある。すなわち、仮に9条を集団

的自衛権の行使を禁ずる規定ではないと解するとした場合、同

条2項の戦力の不保持や交戦権の否認の意味を説明することが

極めて難しくなる」