長久啓太の「勉客商売」

岡山県労働者学習協会の活動と長久の私的記録。 (twitterとfacebookもやってます)

わたしから『わたしの手』へ

さきほどまで、
ソワニエ看護専門学校の
3回目の授業でした。

今日はもちろん
「看護の日」ということで、
ナイチンゲールのことも
話をしましたが、
なんといっても授業の
中身に心がじん、
としたので紹介します。

今年は10年目ということで、
思い切ってカリキュラムを
変えて、ひとつのテーマに
つき2回かけて授業を
するというスタイルにしています。

前回と今回で扱ったのは、
「人間の手」について。

前回の授業は毎年やっている
内容と基本変わらないもの
でしたが、今週はまったく
初めての内容の授業になりました。

前回の最後に課題を出しました。

「わたしから『わたしの手』へ」
というメッセージ(手紙)を
書いて、みんなの前で
発表しよう、というもの。

内容、書き方は自由。

手にまつわるエピソード、
苦い思い出、感謝、
これからどう自分の手を
使いたいか、叱咤激励・・・。
などなど。

もちろん、学生さんだけに
課題を課すのは申し訳ないので、
ぼくも書いて発表しましたよ!
しかし、ぼくのものより、
学生さんのメッセージのほうが
圧倒的に素晴らしかったです。

手には、
その人らしさが表れます。
手には、
その人の歩みが表れます。
手には、
その人の人格が表れます。

授業であれこれ語ったことと
あわせて、学生さんが具体的に
「自分の手へ」のメッセージを
発表しあい、聴きあって、
学びあう効果は絶大でした。
ぼくもたくさん学べました。

いくつか、学生さんの感想文を
紹介します。

■クラスのみんなの手の手紙が
聞けて、「手」に対して考える
よい時間になった。「手」をどう
活かすかは自分しだいなので、
人のため、社会のために
有意義に使っていきたいと思う。
自分も、いずれ他人の手に
助けられる日がくると思う。その
時まで、自分の手を他人の
ために使い、手を通じてさまざま
な人と関わり助け合っていき
たいと思う。

■皆の自分の手へのメッセージ
が人によって全然違って個性が
あるなと思いました。素晴らしい
ことを言う人、おもしろおかしく
言う人など、私自身でも、そう
いう見方があったのかと思う
こともありました。手は便利
だけど、それも人にとって見方、
使い方が違うんだなと感じました。
皆の発表を聞き、さらに「手」へ
の感謝の気持ちが強くなりました。
この授業のおかげで、あたり前に
思っていることを深く考えるので、
気づかされることがたくさんあり
ます。

■私の85歳になる祖母の手は、
本当にしわしわで、ごつごつして
います。厳しい戦争時代を4人の
子どもを育ててきた人です。
手はその人の生きてきた証です。
私もおばあさんになったら自分の
手を誇れるようになっていたいです。

■少し恥ずかしかったけど、「わ
たしの手へのメッセージ」、とても
良かったです。生まれたときから
あたり前でついてくる手だと思って
いたが、この講義のおかげで、
手の大切さ、奥深さを改めて
知りました。また皆さんの手に
まつわるエピソードもおもしろかっ
たです。

■クラスの人たちの手への手紙
を聞いていて、それぞれ10人
10色なメッセージを書いてあって
面白かったです。人それぞれに
人生があるように、手にもそれ
ぞれの人生があるんだなと思い
ました。

■クラスの人たちの手のありが
たみや、メッセージをいろいろと
聞くことができて、いろいろな方
向から聞くことができて良かった。
人間って、不必要なものは何も
ないな、と思った。手は自分だけ
ではなく、周りの人を幸せにして
いるんだと思った。

以上。


今日の授業の最後に、
『ハルばあちゃんの手』という
絵本を読みました(福音館書店)。
いちばん前の学生さんが
目を真っ赤にさせていました。
自分の祖母と、
重なったんでしょうね・・・。
心あたたまる時間でした。感謝。