長久啓太の「勉客商売」

岡山県労働者学習協会の活動と長久の私的記録。 (twitterとfacebookもやってます)

講義記録 「労働者の立場と、労働組合の役割」(上)

6月に全組合員学習に取り組んだ倉敷医療生協労組での
学習会「労働者の立場と、労働組合の役割」の講義の
内容を書き起こしてみました。以下です。

*  *  *  *  *  *  *  *  *

 みなさんこんにちは。岡山県労働者学習協会の長久です。
今日は「労働者の立場と、労働組合の役割」というテーマで
30分ほどお話させていただきます。
 ここに集っているみなさんの「労働組合への認識」は
人それぞれだと思います。「活動がんばらなきゃ」と思って
いる人もいれば、「なんとなく大切」と考えている人、
「よくわからない」と思っている人もいるのではないかと
思います。なぜバラバラな認識なのか。そのひとつの理由は、
学校で労働組合のことをほとんど教えてくれないからです。
ですから、知らないのは当然ともいえます。
 でも、労働組合はとても大事な役割をもっている組織です。
その歴史や性格、現在の役割など、今日はさわり程度ですが、
知ってもらい、今後の活動の力にしていただければと思います。
 
 まずレジュメの「1」ですが、「労働組合のかかげる旗」
というように書いています。つまり労働組合の目的は何か
ということです。法律的には、労働組合は労働者の労働条件
や地位の向上のために活動する、ということが書かれて
います。しかし私はあえて、労働組合の目的は「1人ひとりの
人間らしい生活を実現するため」にあると言い切りたいと
思います。つまり、労働条件を改善することを通じて、
私たちの「人間らしい生活」を保障すること、ここに労働組合の
目的があります。
 人間らしい生活、という場合の「生活」について、少し
考えてみたいと思います。私たちの生活は、じつに多面的な
要素から成り立っています。衣食住、嗜好、環境、雑貨、買物、
家事・育児、教育、老い、介護、医療、健康、芸術、教養、
音楽、趣味、娯楽、スポーツ、団らん、社会関係、交友、恋愛、
ペット、余暇、散歩、遊び、旅、ぼんやり、活動、ライフイベント、
季節、風景、動植物…。まだ他にもありそうですね。
 多様な部面から成り立っている生活ですが、中心線はなんと
いっても「文化」です。人間は生きていくために絶対に必要な
「衣食住」も、ファッション、食文化、住文化、というように、
文化を取り入れています。生活が文化的になれば、私たちの
生活はより人間的なものになるともいえます。
 そして生活は多様であるからこそ、1人ひとりちがいます。
ちがうからこそ、生活がその人らしさをつくるのであり、
生活が1人ひとりの尊厳をつくるのです。

 その大切な「生活」を「支えるもの」には、何があるでしょ
うか。まず「お金」です。現代社会では、「お金」がなけれ
ば生活できません。先日『ジヌよさらば』という映画を観まし
たが、松田龍平さんが主演で、お金を1円も使わない生活をする
ために東北の過疎の村に引越して生活をはじめるという物語
でした。面白かったのですが、「実際には無理だろうなあ」と
思いました。病気になったらどうするのか、子どもができたら
教育費もかかる。お金なしの生活は、きわめて難しいのが
現代の生活です。
 でも「お金」がたくさんあっても、「時間」がなかった
としたら、人間らしい生活を送ることはできません。「時間」
がなければ、何もできないからです。そして「健康」も必要
ですね。人間ひとりでは生きられませんので「人間関係」も
生活を支えるものの1つです。レジュメに「社会的労働」と
書いていますが、蛇口をひねれば水が出る、スイッチを押せば
電気がつく、これは水道局や電力会社の人が日夜働いている
からこそ、私たちはそれを使えるのです。「いろんな人が、
いろんな場所で、いろんな労働をしている」からこそ1人
ひとりの生活が成り立っている、という意味で、社会的労働と
書いています。
  あと、なかなか見えにくいですが、「政治」もほんらい、
私たちの生活を支えるものです。そして「平和」も生活を土台
から支えています。

 以上、生活を支えるものについて考えてきました。ここで、
私たち人間にとって、生活とは2つの側面がある、という
指摘をしたいと思います。ひとつは、「生存を保つ」という
側面。もうひとつは、「よりよく生きる」側面です。
 つまり人間はたんに「生存する」ためだけでなく、「より
よく生きる」ことを考えるのです。そして、生活に「ゆとり」が
あれば、「よりよく生きる」条件が広がります。逆に言えば、
「生きるためだけに、せいいっぱい」な状態では、人間らしい
生活とはいえません。 
 「ゆとり」について、もうちょっと考えてみようと思います。
2つ辞書をひいてみました。岩波の『国語辞典』(第5版)には、
ゆとりとは、「余裕のあること、窮屈でないこと」とあります。
三省堂の『新明解国語辞典』(第7版)には、「当面の必要を
満たしたあとに、自由に使うことが出来る空間・時間や体力、
他のことを考えるだけの気力があること」と書かれていました。
  つまり「ゆとり」とは、必要なことを満たしたあとも、まだ
余裕がある状態、のことです。たとえば、仕事が忙しくて、家に
帰ったらバタンキュー。もう何もする気も考える気も起きない、
これは「ゆとり」がない状態です。お金の面でのゆとりでいうと、
賃金から必要な生活費を払いますよね、それでもまだお金が残っ
ている、余分があるからほかに使うことができる、これが
「ゆとり」です。
 ちなみに、ゆとりは、「寛容」や「民主主義」ともかかわって
います。職場でも忙しいと、職場の同僚のミスなども「イラッ」と
きますよね。子育てなんかでも、余裕がないと、「早くしない!」
「なにやってんの!」となりがちです。他者への寛容精神は、
ゆとりがあれば湧いてきやすくなります。また、民主主義の
反対物は「おまかせ」ともいえますが、余裕がなければ、
どうしても「勝手にやっておいて」となり、みんなぜじっくりと
意見を出しあいながら結論を導いていくという民主主義は弱く
なってしまいます。民主主義にはゆとりが欠かせません。

 さて、「お金の面でのゆとり」について、もう少し考えて
みたいと思います。ここで押さえておきたいことは、日本は
必要な生活費にやたらとお金がかかる国だ、ということです。
 たとえば住宅費です。じつは日本は先進国のなかで、いちばん
「住む」ことにお金がかかるんです。賃金のなかから、家賃や
ローンにどれだけ消えるのか、という割りあいで、先進国No1
です。
 教育費も高い。小中高大、ぜんぶ公立で通ったとしても、
授業料ほかいろいろかかりますので、1人平均約1000万、
2人産んだら2000万、3人産んだら3000万です。
そりゃ、少子化にもなるわけです。医療費も保険料払ったうえに、
病院にいけば3割の負担がある、介護保険も高い、地方では
車なしには生活できませんから車代・ガソリン代、あとこれは
現代の特徴ですが1人ひとりスマホ・携帯をもっていますので
通信費もけっこうかかります。
 以上、住宅・教育・医療・介護・移動・通信。どれも生活に
欠かせないものですよね。それにお金がとてもかかるのです。
さらに消費税です。昨年4月に8%になりました。日本の
消費税はほとんどすべてのものにかかってくる税金です。お米、
しょう油、トイレットペーパー…。こういう生活必需品には
ほんらい税金をかけてはいけないのです。なぜなら、どんなに
生活がカツカツの人でも、お米やしょう油やトイレットペーパー
は買わなきゃならない。そこに税金がかかってくれば、生活が
カツカツの人は「ますますカツカツ」になります。もっと
生活が苦しくなる。なにかをあきらめる生活になる。それは
尊厳を削ることです。だからこんな税金の取り方はしては
いけないのです。
 こんな日本ですから、生活費だけで余裕なし、カツカツだ。
そういう人が増えているわけです。「よりよく生きる」ために
まわすお金がないわけです。

 さて、お金はたくさんあったほうがいいですよね。では、
お金をどうやって手に入れるか。残念ながらお金は降って
きませんし湧いてもきません。 だから、おおかたの人は
「働いて」所得を得ています。その「働いて」所得を得る
場合に、おもな方法は3つあります。
 1つ目は、自営業で働く、という方法です。つまり自分の
お店をもつ。パン屋さんとか、美容院とか、飲食業とか。
日本ではだいたい600万人がこの方法で生活しています。
 2つ目は、農林漁業で働く、という方法です。自分の土地を
もち農作物をつくって売り、それで生活をする。あるいは
自分の船をもって、海に出て魚をとりそれを売って生活する。
こういう方法です。日本では最近ぐっと減ってしまい200
万人です。
 自営業・農林漁業の「働き方」の特徴は、「雇用関係がない」
ということです。つまり誰かに雇われて働く、という形ではない。
だから、自分の「働き方」を決める裁量のおおくは、自分に
あります。もちろん、生業の最終的な責任は自分にかかってくる
のですが、何時から何時まで働くとか、 いつを休みにするだとか、
今日は何をするだとか、こういう裁量はかなりある働き方です。
 で、3つ目ですが、これがみなさんなわけですが、「誰かに
雇われて働く」という方法です。日本では約5200万人、就業
人口の約8割がこの方法で所得を得ています。これがいわゆる
「労働者」という人びとです。「雇われ組」とも言えます。
 労働者の働き方の特徴のひとつは、 「使用者と労働契約を
結んで働く」ということです。そして、時間を決めて働きます。
時間を決める。これがないと奴隷になります。なぜなら、雇用
関係というのは、人的従属性がとても強いからです。
 労働契約法の第2条では、「労働者とは、使用者に使用
されて労働し、賃金を支払われるもの」 とあります。つまり
人に「使われる」ということです。たとえば8時半から17時
まで働くとすると、そのあいだは、使用者の指揮命令下で
働きます。 どこで、どんな仕事を、どれだけするのか、
それを自分で決める裁量はきわめて少ないのが特徴です。
いやな仕事も命令されたらしなければなら ないことが多い。
ストレスの多い働き方です。だから、「8時半から17時」
まではあなたの元で「使われ」ますが、それ以外の時間は
あなたとは関係ありません、 私の自由な時間です、という
ことをきちっと決めないといけないわけです。 24時間
だれかの指揮下にあるということは、奴隷です。だから
「時間」をきっちり労働契約で決めて働くわけです。

 そして自分の働く力、これを労働力といいますが、労働力を
時間決めで販売し、対価として賃金を得る。これが雇われ組の
生活の特徴です。 そして賃金とは、よりよく生きるために
生活費です。さきほど「ゆとり」が 大事だ、という話を
しました。賃金が生活費だけで消えてしまう、カツカツだ、
これでは人間らしい生活は営めません。
 だから賃金とは、よりよく生きるための生活費、という
とらえ方が大事だと思います。
 労働組合法第3条には、労働者とは、「職業の種類を問わず、
賃金、給与、その他これに準ずる収入で生活する者」と
あります。ここれではたんに「生活」としか書かれていませ
んが、労働基準法第1条では、「労働条件は、労働者が人たるに
値する生活を営むための必要を充たすべきものでなければ
ならない」と書いています。こちらは「人たるに値する生活」
と規定していて、よりまっとうな定義だと思います。

 生活を左右する「お金」や「時間」を決める労働条件。
では、労働条件は、 じっさいどうやって決まっていくの
でしょうか。

(つづく)