長久啓太の「勉客商売」

岡山県労働者学習協会の活動と長久の私的記録。 (twitterとfacebookもやってます)

痛みに鈍感な最高裁判所になっていないか

わがフーフは事実婚なので、
先日の最高裁の判断についてはがっくりきたけど、
自分自身の問題としてはそれ以上ではない。

でも実際に同姓を強要されることに
「たいへんな苦痛や不利益」を受けている人は確かにいる。
それがもし多数ではなかったとしても、
「すべて国民は、個人として尊重される」(憲法13条)という
人権の根幹から導きだされるのは、
そうした苦しみを放置しない、ひとりひとりの尊厳を守る、
ということではないのか。

名前は社会性をもち、人格権の一部。
その「選択の自由」を認めてほしいという
最低限の要求も認めない「人権の番人」最高裁。

人権意識って、想像力が問われる。
痛みはとても個別性が高いから、わかっているつもりでも、
「ほんとうにその痛みを自分はわかっているだろうか」
という自戒が必要。

自分の価値基準や常識だけで判断すると、
人権って遠くなってしまう。