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長久啓太の「勉客商売」

岡山県労働者学習協会の活動と長久の私的記録。 (twitterとfacebookもやってます)

茨城セミナー講義概要(1)

昨年11月7日~8日に行われた
「2015 学習教育運動セミナーin茨城」で行った
問題提起(講義)を何回かに分けて掲載します。

労働者教育協会の会報用に活字化したものですが、
岡山県学習協の会報「明日の考察」の新年号にも
加筆して掲載しました。
以下は「明日の考察」に掲載したものです。

テーマは「理論学習を力に、青年が活躍する運動に」です。


*   *   *   *   *   *   *   *

教育的視点からの問題提起
 
岡山県学習協で専従の事務局長をしています、長久です。労働者
教育協会でも常任理事をさせていただいています。今日の問題提起が、
みなさんが日夜努力されている運動や活動のお力に少しでもなれば
うれしいです。
 学習運動とは何かをみるときに、いろいろな角度から考えることが
できるし語ることができると思いますが、今日は、そもそも「人が
育つこと、育ちあうこと」とは何なのか、について、つまり教育的
視点での問題提起を前半させていただき、後半、学習運動論について
私の問題意識をお話させていただこうかと思っています。もちろん
現在の情勢とのかかわりのなかで学習運動の必要性や学びの内容の
議論なども必要ですが、今回はそうした角度からの問題提起だという
ことをご了解いただければと思います。

教育のない組織に未来はない
 
どんな組織でも、人間の集まりである以上、「教育」という営みが
あります。人が育つプロセスです。教えたり、育ちあったり、学び
あったり。そして相互作用のなかで高まりあうことも教育の大事な
獲得目標です。教育なしには組織は生き生きとしてこないし、理念や
目標の達成はおぼつきません。なぜなら担い手が育たないからです。
しかし悩ましいことに、職場でも労働組合でも、教育そのものが目的
になることはありません。職場には職場の具体的な課題や目的があり、
労働組合も労働者の要求実現・人権保障が目的です。また教育という
のはすぐに成果がでにくい本質的性格をもっていて、地道にねばり
強く続けないと変化がつくられないわけです。したがって結果がすぐ
に求められる環境や人間関係のなかでは、教育そのものが後回しに
なりがちです。忙しいとどうしても目の前のことにせいいっぱいになり、
長期的なスタンスで物事を取り組めなくなります。
 でも、教育のない組織に未来はない、とも言えるでしょう。典型的
なのはブラック企業といわれるところで、人を育てるつもりがない。
逆に人を酷使して使い倒し、短期的利益を追求していきます。短い
スパンでは利益が上がるかもしれませんが、長期的にみると、必ず
そういう企業は衰退していきます。人が育たないということは、組織
にとっては致命傷になるのです。
 私たちの運動のなかでは、教育観や日々の教育実践を学びあう機会が
少ないと思います。労働組合なども、課題が山積していますから、学習
教育の課題にしぼって学びあう機会というのは、あまりないのではない
でしょうか。そうしたなかで、なんとしても職場の人々に育ってほしい
という「教育欲」や、組織のなかで確認される「教育の言葉」が乏しく
なっていないでしょうか。教育というのは一筋縄ではいかないものです。
人が育つというのは簡単なことではありません。待つことやじっくり
という姿勢が欠かせません。でも人の育ちを求め続けることが私たちの
運動には欠かせません。
 今日はまず、育つ、育ちあうこと、についての一般的な原則について
確認していきたいと思います。

育つ、育ちあうこと
 
まずそれは、「変化する」ということです。育つ、という言葉は
人間だけに使われる言葉ではありません。野菜が育つ、猫が育つなど、
幅広く使われます。子どもの育ちは右肩上がりで早いですから変化は
かなりはっきり目に見えます。人として成熟する、というのはなか
なかたいへんですが、これも大事な変化です。共通することは、変化
とは、あるものが、あるものでありながらそれまでの状態から変わる
ことです。私が私でありながら、それまでとは変化する。AがBに
なるわけではなく、Aが新しいAとなるわけです。
 人の場合、「~ができるようになる」以外にも、たくさんの力を
つけることが課題になります。「~ができる」というのは能動的で
目に見えやすい力なので、評価もしやすいわけですが、たとえば洞察
力や感性、問題に気づく力、社会性、受容力、待つ力、聴く力など、
人間には多面的な力があり、そうした力をつけていくことも、育ちの
課題です。
 労働者教育の目的は、ひと言でざっくり言ってしまえば「労働者が
労働者らしくなること」だと私は思いますが、労働者AさんがAさん
でありながら労働者らしく変化する、成長する、育つ。これが労働者
教育の目的です。労働者らしさとは何かについては、また後ほど考え
たいと思います。

内的な力と環境
 
次に、育つ主体と環境、ということを考えたいと思います。まず
自然の例をあげます。種を土に植えれば芽が出て、やがて成長します。
これは必然であり、種自身に育つ内的な力があるからです。つまり
育つのはあくまで主体内部の力なのです。これは種でも人間でも同じ
です。だから、教育的視点としては、「育てる」という関わりもあり
ながらも、対象の主体内部に「育つ力」がある、ということなのです。
しかし、種に主体的な力があるにもかかわらず、適切な土壌や水分、
環境を整えなければ、種は枯れてしまう、死んでしまう危険があり
ます。ですから、対象の育つ力を芽吹かせる環境整備、これが育てる
側にとっては大事な課題となるわけです。育つ主体はあくまで相手。
内的な力です。あわせて、その力を伸ばすためにも、外的な要因、
環境整備が必要なわけです。
 人間の場合は、「たまたま」(偶然)をたくさん準備する、という
言い方をぼくはしています。いろんな土壌や栄養素をたくさん準備
する、ということです。どんなきっかけや場や出会いがその人の成長
のエネルギーになるかは、なかなか予想できないものです。だから
たまたまなんです。たまたま「あの集会に参加したことがきっかけ
で」。たまたま「職場の先輩に誘われて行った学習会で」というふ
うに。人との出会いであったり、学びや気づきの場を、職場や組織の
なかでたくさん準備していくことが育ちの土壌になるわけです。仲間
との相互作用で伸びていくこともたくさんあります。
 つまり多彩な「たまたま」「きっかけ」を育てる側は周到に用意
するということです。不純なきっかけでも構いません。私が3年ほど
前から関わっている岡山民医連の平和ゼミナールという取り組みが
ありますが、これは各職場から若手職員がでてきて、一年かけて戦争
と平和の問題を学びあう機会になっています。これはある職場の看護
師さんの話ですが、職場の上司に「沖縄にタダでいけるからこのゼミ
ナールに参加してみない?」「最後にちょこっと発表するだけだから」
と誘われたそうです。その看護師さんは沖縄に行ったことがないので、
即答で「いきます!」となったそうです。平和を学びたいなどの動機
はほとんどありませんでした。そんな彼女も、一年間ゼミナールの
仲間とさまざまな学びや討論をするなかで、また沖縄に3日間の
フィールドワークに行ったことで、大きく変化し、見事な卒業発表
を行いました。彼女いわく、ニュースに関心をもつようになった、
職場で署名を「集めてまわる側」になったなどの成長がありました。
ですから、動機やきっかけははっきりいってなんでもいいんです。
若い人には育つ内的な力がありますし、それを伸ばしてあげる環境を
つくれるかどうか、これが課題なわけです。