長久啓太の「勉客商売」

岡山県労働者学習協会の活動と長久の私的記録。 (twitterとfacebookもやってます)

『学校はぼくの生きがい』 『シャッター通りに陽が昇る』

『学校はぼくの生きがい』
      (桐山京子、労働旬報社、1977年)を読み終える。

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40年前、東京荒川区の中学校での教育実践記録。
こどもたちへの揺るぎない信頼と要求。
もちろんすべてが今にそのまま適用はできないが、
普遍性をもつ実践。
労働者教育の立場からも学ぶべき教育観・方法論がたくさんあった。

以下、メモ的に引用。

「集団を育てることが、個を育てることに通じ、
また、個を育てることが集団をたかまらせる」(36P)

「1人の個人の問題をみんなで考え支えた集団の質は、
飛躍したのです」(47P)

「子どもの表面的なあらわれの内部にひそんでいるもの―
それを、あたう限りの場面で共同の力でひき出すこと、
表面のあらわれにふりまわされずに子どもをみていること。
そして、その子の個性的な突破口を、自発性という内側の
力と、教育という外側からのはたらきかけで、作りだせた
とき、子どもは学習主体となり得る」(62P)

「子どもたちが学びの方法論を身につけられる授業」(138P)

「教育は創造だし、冒険をともなうものだと考えています。
どこかにあぐらをかき安全だけを追い求めようになると、
もうそこには感動がなく、子どもと教師の心を変革する
なにものもないのです」(214P)

「教師が疲れて、計画も、例年どおり踏しゅうするような
時は、やはりその行事の生命力がややしぼんで、十分な
成果をあげられないのです」(215P)

「行事はすべて教育的意図のもとに、子どものものとして
しくむこと」(247P)

「多くの仲間の中に安定した自分を発見できた時人間は
大きく心をひらかれて、自分のもつ力を、2倍にも3倍
にもおしひろげていける」(262P)

「“自分を知る”ことは、自分の歩どまりを知ることや、
身分相応だとあきらめさせることではありません。自分の
内面を表出すること。つまり書くこと、しゃべること
などによって自分の考えや生き方をより深く意識して
いくことだと思います」(264P)

「自分の歩みを克明にかき綴るということは、その時、
その時の自分の内面をひき出し、ひきすえて、自分の
成長や足ぶみを、しっかり見つめて、次の1歩のエネルギー
にしていくこと」(268P)

「子どもたちの成長過程での、なんとも表わしようのない
心のうごめきや、沸々ともえたぎってくるものに表現の
手だてを与えなければならないのです。だから、子どもが
精一杯にぶつかっているチャンスをとらえて、文を綴る
ことを、どんどん要求し続けているのです」(268P)

「コトバによる表現の手だてをつかんだ子どもたちは、
次第に、表現の世界をひろげていき、その認識も、次第に
深まっていきます。書くことは読書とともに自分の思想を
育てていくのです」(268P)

「集団の中で起こる相互変革こそ、学校全体の教育力を
たかめる」(274P)

「事実との出会いをできるかぎり組織して、子どもに
ぶつけよう」(282P)



『シャッター通りに陽が昇る』

    (広谷鏡子、集英社文庫、2015年12月)を読み終える。

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香川県丸亀市(小説では亀山市)のシャッター通りと化した商店街。
骨付鶏、歴史文化、ファッションをつなげ再興する町おこし小説。
丸亀を知っていれば面白さ5割増し。丸亀はたしかに魅力的なまち。
丸亀城も素晴らしいし、骨付鶏もうまいよ。