長久啓太の「勉客商売」

岡山県労働者学習協会の活動と長久の私的記録。 (twitterとfacebookもやってます)

戦後、学校教科書にもなった『民主主義』の労働組合解説がすばらしい

先日たまたま買った、
『民主主義―文部省著作教科書』(径書房、1995年)
10章「民主主義と労働組合」部分を読んで、おどろいた。
なかなかすばらしい労働組合の解説なのだ。

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1948年に中学・高校用教科書として
本書を発行したらしい。
こんな労働者教育をしっかりと学校で受けたら、
労働組合への認識が底上げされるだろうなあと。

以下、メモしておきます。


「資本がほとんど無制限にその力をふるいうるような
経済社会では、労働者は、だいたいとして資本家側が
決めた条件によって工場などに雇い入れられる。この
ような事情の下では、労働によって得られた生産の
価値の大きな部分が、資本家の手に吸収されることを
免れない。・・・資本家の方は自分たちにだけ都合が
よいような条件を持ち出しうるのに反して、労働者の
方は、生活の必要上やむをえずそれを受諾するという
ふうであっては、その間に結ばれた契約は、決して
ほんとうに自由なものであるということはできない。
また、そういう状態をそのままにしておくことは、
民主主義の原理に反する。
 なぜならば、民主主義の根本精神は、人間の尊重で
ある。人間は、だれであろうと、すべて生活の福祉を
享有する権利を有する。それなのに、まじめに働いて
いる人々が、人間として生きて行くだけの衣・食・住
に事を欠くようなことになっては、一大事である。
だから、すべての人間は、自分と自分の家族とのため
に働く権利を持ち、その勤労によって一家の生活をさ
さえるだけの収入を得ることを、平等に要求できる
はずでなければならない。それが、国民のすべてに
対して等しく認められている基本的人権である。基本
的人権を何にもまして重んずる民主主義が、経済生活
のいろいろな弊害や不合理を除き去ることに努力する
のは、きわめて当然のことであるといわなければなら
ない。
 ・・・特に労働者の地位の向上という面から考えて行く
と、それがいわゆる労働問題となる。労働問題の対策
にはいろいろありうるけれども、それを根本から解決
する道は、労働者にとって、不当に不利な諸条件を
取り除くという方向に求められなければならない。
働者の団結によって作り上げられるところの労働組合
は、そのような要求から見て最も重要な意味を持った
組織なのである」(192~194P)

「労働組合は、適正な労働条件を確立しようとする勤
労大衆の自主的な団結である。したがって、その精神
とするところは、企業経営者の力が不当に濫用される
場合に対して、労働者の立場から基本的人権を守ろう
とする民主主義的な運動であるといってよい。言い換
えれば、労働組合は、経済上の民主主義を実現するた
めの大衆組織にほかならない。
 もしも労働組合という勤労大衆の自主的な組織が
存在せず、あるいはその成立が禁ぜられていたとする
ならば、近代の民主主義の原理は、よしんば法律の
形式の上では認められ、制度としては確立されていて
も、実質的には十分に実現されえない。だから、労働
組合は、民主主義の原則を近代的な産業組織の中で具
体化するものであり、民主主義を単なる法律制度とし
てではなく、動く生命体のある生活原理として発展さ
せていくための、不可欠の条件なのである。
 ゆえに、労働組合の第一の任務は、適正な労働条件
を作り上げることにある。しかし、ただ単に労働条件
をよくするというだけならば、独善的な官僚や「慈悲
ぶかい」独裁者でもできることであろう。たとえば、
ヒトラーなどは、労働者をおだてて「勧喜力行団」と
いう組織を作らせ、大いに勤労大衆のごきげんをとろ
うとしたことがある。しかし、このようにして与えら
れた労働条件の改善は、決して正しいものではない。
なぜならば、そこでは労働者の自主性が無視されてい
るからである。封建時代の民衆統治の原則は、「由ら
しむべし、知らしむべからず」であった。これに対し
て、現代の労働組合の理想は、勤労大衆が、正しい労
働条件を自分たちの組織の力で自主的に実現して行く
ところにある。「上から」の命令によってではなく、
「下から」の組織と、盛り上がる力とによって経済的
民主主義の発展を図るところにこそ、労働組合の大き
な使命がある
 その点をよく深く考えてみれば、労働組合の精神が
いかに深く民主主義の原理とあい通ずるものであるか
がわかるであろう。民主主義の政治は、「国民のため
の政治」である。しかし、「国民のための政治」なら
ば、どんな方法で行われてもよいというのではない。
「上から」の命令によって国民の幸福が増進されえた
としても、それは民主主義ではない。国民自らの力に
より、国民自らの手によって、国民のための政治を行
うのが、真の民主主義である。それと同じく、政治的
な野心家や、労働者のうしろに隠れているボスの力に
よってではなく、労働者自らの力により、勤労大衆自
身の団結によって、働く者の生活条件を向上させて行
くのが、労働組合のほんとうのあり方である。そうい
う自主的な組合の活動によって、労働者は、自分自身
を社会的に、また政治的に教育することができる。そ
の意味で、労働組合は、自治的な組織を持った民主主
義の大きな学校であるということができよう。
 それだから、労働組合の任務は、決して賃金の値上
げや労働時間の短縮やその他の労働条件の改善を要求
するという経済上の目的だけに尽きるものではない。
労働組合は、それ以外に更に重要な社会的・文化的な
任務を担っているのである」(195~197P)

「労働組合は、適正な労働条件を確立するために、政
治に対して強い関心を持たなければならない。・・・
組合は、勤労大衆の自主的な団結であるから、その組
織の力を正しく発揮して行けば、民主政治の発達に強
い影響を及ぼすことができる。経済民主主義の実現を
図る上からいって、労働組合の健全でかつ建設的な政
治活動に期待すべきものは、きわめて大きい」(209P)

「民主主義は、それを自分たちの力で築き上げ、それ
を自分たちで運用し、それが自分たちみんなの生活を
どれだけ向上させうるかを体験することによって、は
じめてほんとうに自分たちのものになる。その意味で、
労働組合では、組合員のたれしもが先生であると同時
に生徒でなければならない」(211P)