長久啓太の「勉客商売」

岡山県労働者学習協会の活動と長久の私的記録。 (twitterとfacebookもやってます)

働くって何?―これから社会に出るあなたへ(2)

「民青新聞」3月21日付に寄稿した文章を掲載。
今回は2回目です。これも若干加筆してます。

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 「労働すること」のそもそもを考えてみましょう。
人類は大昔から労働を通じて社会と生活を維持し、
居住環境を整えてきました。知識や技術を増やし、
モノや文化を創造してきました。労働が人間と人間
らしさをつくったのです。決定的なのは、2本足で
立ったこと。自由になった前足が「手」となり、道
具をもち自然に働きかけ、あらゆるものをつくりだ
していきました。みなさんのまわりにあるものも、
ほとんどが人間の労働、人間の手で生み出されたも
のです。いまは機械やIT技術もすごいですが、も
とをたどればすべて人間の手がつくりだしているも
のです。手は人を助け、支え、気持ちをつなぐこと
もできます。人間の手はすごいのです。ただし、手
は人を傷つけ、奪い、壊すこともできます。自分の
手をどう使うのか、何のために使うのか。それは私
たち一人ひとりの生き方にかかっています。
 労働が社会を支え人間らしさを生み出してきまし
た。であるならば、それは喜びや誇りであるはずで
す。社会に役立つ、誰かを支える、ものを創造する、
自分の成長を感じる・・・。
 でも日本社会の働くひとの現実は・・・。とても「人
間らしい働き方」とはいえない状況がまんえんして
います。喜びや誇りを感じられないほど、仕事がゆ
がんでしまうこともあります。「なぜそうなるのか
?」を科学の視点でとらえることが大事です。
 みなさんは、「労働者」という言葉をどうイメー
ジしますか。じつはこれも社会科学の定義がありま
す。たんに「働くひと」じゃないです。単純にいう
と、「雇われて働くひと」です。つけ加えると、
「雇われないと困るひと」です。学生は就職活動を
しますが、あれは自分の雇い主を探す行為です。そ
して就職しなくても生活に困らないという人は、ほ
とんどいません。お金がなければ生活は総崩れしま
す。数億円もの財産があれば別ですが、そんな人は
ごくごく少数です。
 生活のために自分の労働力を雇い主(社会科学で
は資本家といいます)に時間決めで売り、その対価
としての賃金をえる。それでさまざまものを買い、
生活を支える。生きていくためにそれしか方法がな
い。これが労働者です。ちなみに、自営業者や農林
漁業で働くひとたちは、基本的に「誰かに雇われて
働く」という形態ではないので、労働者とは言いま
せん。ただ生活実態はほぼ労働者と同じです。働き
方がちがうのです。
 雇う人間が資本家、雇われる人間が労働者です。
社会を成り立たせている多くの商品・サービスはこ
うした雇用関係のなかでつくられています。資本家
は、所有する生産手段(職場)と労働者のもつ労働
力を結びつけ、商品やサービスをつくりだします。
労働者の立場からいえば、毎日生産手段(職場)の
もとに時間通りに通勤し、働くということです。自
宅から離れた場所に毎日毎日移動するという通勤は、
労働者特有のものです。
 資本家は、労働者によって作り出された商品・サ
ービスを市場で売り、利潤を手に入れます。しかし
ここがポイントですが、「売る」ことをめぐっては、
資本家どうしの激しい競争があります。車も、服も、
お菓子も、他社との競争にさらされます。競争に負
けると会社自体が成り立たなくなることもあります。
倒産です。労働者にとっては失業です。だから「つ
くったものを売る」ことはこうした生産のあり方に
とって至上命題です。結果として人や社会の役に立
つことになるとしても、まず「売る」ことが第一の
目的になってしまいがちです。生産活動のあり方そ
のものが、「売れればなんでもいい」という力が働
いてしまう仕組みになっています。逆に、どんなに
人や社会の役に立つものでも、きちんと売れなけれ
ばつくれない、採算がとれなければつくれないので
す。
 「働き方」もこれにひっぱられます。働くことの
目的が、「売ること」「利潤をあげること」にゆが
められてしまうのです。これは逃れられない資本主
義の法則です。この、資本主義社会の利潤第一主義
を、どう人びとの力でコントロールするかが、これ
からの社会発展を考えるうえでは大きな課題です。