16日(日)の、
青森県第31回医療福祉研究集会(青森県医労連主催)での
講演「働き方と人権~私が私であるために」のレジュメ後半
部分をとりあえず以下ご紹介したいと思います。
二。「なんかへん」「もやもや」をきちんとした言葉に変換する
―人権感覚をみがこう
1。人権とはなんだろう
◇人間関係のなかで問題になる「人権」
*強弱、力の差がはっきりしている関係性のなかで起りやすい。
*相手を尊重しないこと、自由を奪うこと、尊厳を侵害すること。
【尊厳とは】
「人間を非人間的に扱ってはならないこと、人間としてふさわ
しい扱いをすべきことを意味する」
(高橋和之『立憲主義と日本国憲法 第3版』有斐閣、2013年)
「人間の尊厳の意味は多様ですが、私は人間を道具とみないこ
とが重要と考えています。会社の利益追求の手段として低賃金
で酷使したり、医学の進歩と称して人体実験に利用したり、国
を守るために国民の命を利用したりしないということです。言
い換えれば、命の価値は、何かの役に立つことにあるのではな
く、命をもって存在すること自体にあるのです。寝たきりにな
っても、また障がいのため働けなくなっても、そこに命がある
限り、かけがえのない個人として尊重されるのです」
(伊藤真『新婦人しんぶん』2016.9.1付)
◇日本国憲法を手がかりに考えてみよう
◇憲法は労働者に一方的に「肩入れ」している。なぜか。
*「労働者とは、使用者に使用されて労働し、賃金を支払われる者」
(労働契約法2条)
*立場の強弱がはっきり。尊厳が侵害されやすい領域。それは
労働条件にあらわれる。低賃金や失業による貧困は、生活が
総崩れする。働きすぎは生活が乗っ取られ、健康破壊に結び
つく。ハラスメント、過労死なども。
*つまり労使関係には、人権をまもる特別な手立てが必要ということ。
「27条・28条は、経済市場において労働者等を勇気づける
(empowerする)こと(労働基本権保障等)を要求している
のである」。国家にたいして。
(青井未帆・山本龍彦『憲法Ⅰ 人権』有斐閣、2016年)
「現実の労使間の力の差のために、労働者は使用者に対して
不利な立場に立たざるをえない。労働基本権の保障は、劣位
にある労働者を使用者と対等の立場に立たせることを目的と
している」 (芦部信喜『憲法 第5版』岩波書店、2011年)
*労働条件を交渉できなければ、働き方・職場環境、労働者の生
活・人生の質は良くならない。医療や介護、福祉の現場では、
仕事の質にも直結する問題。だから労働基本権が不可欠。労働
条件を交渉できる法的根拠を唯一もつのが労働組合。
*27条・28条と25条はつながっている。根本には個人の尊重・
尊厳という価値。
◇労働組合の活動のうえで、「人権感覚」というのはとても大事
―自分の人権、他人の人権
*「おかしい」に気づく力。異議申し立てをする原動力(正しい
ことだという確信)。
*自分の生活(人生)や仕事の質を問う。大事にする。だから労
働条件にこだわる。他人まかせにしない。貧困は人権問題。
8時間労働。余暇。職場で1人ひとりが尊重される。
*「個人の尊厳」という価値。私も尊重される。あなたも尊重さ
れる。かけがえのない1度きりの人生。だから他人の人権侵害
に対しても怒る、ほっとかない。
2。人権感覚はなぜ「むずかしい」のか
◇目にみえにくい。実測・数値化などもできない。歴史を学ばなけ
れば自覚が育ちにくい。
◇自分の生活や働き方の「質」「あり方」を考え問うこと
―そうした訓練や環境が必要
「人間は、草木とちがって、ただ生きてゆくだけでなく、人間
らしい生活をしてゆかなければなりません」
(文部省『あたらしい憲法のはなし』)
■1週間以上の旅行をしていない人は貧困?
―バカンスは人権であることが定着した社会
「フランスの貧困指標の1つとして、『過去1年に1週間以上
の旅行をしなかった』という項目があり、貧困家庭の子どもた
ちには自治体や民間福祉団体によって海や山への旅行が組織さ
れています」(都留民子「フランスの労働者生活を支える、短
い労働時間と余暇」、『学習の友』2016年8月号より)
■「人間らしい住まい」を求めて
-イタリアの「住宅ゼネスト」(1969年)
・政府に住宅政策改善を求めて約2000万人の労働者が参加した
ゼネラルストライキ。
・人間らしい住まいとは? 居住環境とは? その質とは? を問う力
「欧米の立派な住宅、美しい街並み、豊かな自然、といったも
のは、自然にできたのではない。(中略)・・・彼らは『人間にふ
さわしい住居に住むことは生活の基本的な条件』と考えている。
そして『住居は人権』と位置づけるゆえに、その実現には国民
諸階層が努力する。居住条件の悪化や政策の後退にたいしては、
力をあわせて抵抗する。高い住居水準と生活環境の実現は、こ
うした努力の結晶であり歴史の成果なのである」
(早川和男『人は住むためにいかに闘ってきたか~欧米住宅物語』
東信堂、2005年)
◇人間は劣悪な環境でも、「慣れる」「順応する」ことができる。
適応力が高い。
*人間らしさのハードルは、気をつけないと下がっていく。あき
らめること、「折り合い」という名の「がまん」をすることで
自分の気持ちを保つことも。
*「しょうがない」「どこもこんなもんだ」「働けているだけで
幸せだ」
「人間はなにごとにも慣れる存在だ、と定義したドストエフス
キーがいかに正しかったかを思わずにはいられない。人間はな
にごとにも慣れることができるというが、それはほんとうか、
ほんとうならそれはどこまで可能か、と訊かれたら、わたしは、
ほんとうだ、どこまでも可能だ、と答えるだろう」
(V・E・フランクル『夜と霧 新版』みすず書房、2002年)
「健全な権利感覚は、劣悪な権利しか認められない状態に長い
間耐えられるものではなく、鈍化し、萎縮し、歪められてしまう」
(R・イェーリング『権利のための闘争』村上淳一訳、岩波文庫)
◇私たちの人権感覚が問われている。「おかしい」と気づく力。
それを言葉に変換できる力。
*人権感覚は、つねに磨かないと、もろい。訓練と環境。
「ものの水準を高めることよりも、水準を低めることのほうがは
るかに簡単なことは、誰しもよく知るところです」
(F・ナイチンゲール「看護婦と見習い生への書簡(8)」)
「人権の保障を実効的ならしめるには、どうしても、国民1人
1人が『人権の感覚』ともいうべきものをおのおの身につける
ことが欠くことのできない前提条件」
(『人権宣言集』はしがきより、岩波文庫、1957年)
◇学習と実践の両輪で、人権をまもる職場をつくる
*憲法学習、近現代史学習、じっさいの様々なたたかいのなかで
人権感覚をみがく。
*企業・使用者・管理者に人権をまもらせる最大の保障
―労働者の団結とたたかい
3。「犠牲なき献身こそ真の奉仕である」(F・ナイチンゲール)
◇私たちも人間だ!-その意味すること。
*全寮制、月の半数にもわたる夜勤、妊娠制限、健康破壊、前近
代的な労使関係や職場環境・・・そのなかで立ち上がった看護婦た
ち。「恋愛・結婚の自由を」「ナイ賃ガールはご免だ」「看護
婦も人間である」。1960年の医療統一闘争でかかげられたスロ
ーガン。
*みずからの人権感覚を研ぎ澄ませること(生活や人生を大事に
し、質を問うこと)と、患者や利用者の人権を尊重することと
は、同じ地平にある。補強・補完関係。
◇国家(政治)が「個人の尊厳」を置き去りにする日本社会のなかで
*医療や介護、福祉のシステム自体が「尊厳」よりも「制度」
「利益」にゆさぶられている状況。でも目の前の人の尊厳を
置き去りにするわけにはいかない。
*そのしわ寄せ(犠牲)はシステムを支える労働者集団に。でも
私たちはシステムを支える道具ではない。尊厳の担い手である
個人。人間らしく!の声をつなげ、連帯しよう
「看護するものは、その治療の妨げとなっているものと闘わな
ければなりません。たとえ、それが社会的・政治的なものであ
っても、敢然と起ちあがって闘うのでなければ、真の看護とは
いえない。きわめて狭い意味での看護だけに限定して考えるも
のは、看護婦ではなく看護屋です。私たちは一段と高い立場、
つまり医療労働者としての自覚と誇りをもちましょう」
(植月秀子『白き流れはたえもせず-看護婦のたたかいの歴史』
あゆみ出版、1980年)
さいごに:システムそのものの質を問い考える大切さ。
育ちあう舞台としての労働組合。
問うこと・考えることには「ゆとり」が必要。
ゆとりはたたかい取るもの。