長久啓太の「勉客商売」

岡山県労働者学習協会の活動と長久の私的記録。 (twitterとfacebookもやってます)

人間の尊厳と、個人の尊重の規定

先月読んだ
『人間の尊厳保障の法理』(玉蟲由樹、尚学社)より、
自分用のメモです。

本書を読み、人間の尊厳という規定がない
日本国憲法のなかで、その意味内容をどう
関連づけたらいいかの整理がついたように思います。
これからの講義に生かしたいです。


■憲法が保障する人権とはいったいいかなる射程を
もつものであるかという問題は、少なくともドイツ
においては、人間の尊厳をどのように理解するかに
よって強く影響を受けることとなる。(3P)

■人権を「人間が人間らしく生きていくための最低
限の条件を保障するもの」と理解するとして、そこ
にはやはり時代による変化の可能性を読みとる必要
がある。「人間らしく生きるための最低限の条件」
は、時代によっても社会によってもさまざまであり、
時代や社会が変化すればそれにしたがって変化しう
る。(5P)

■人間の尊厳条項をもたない日本国憲法において、
憲法上の人権規定の射程を論じる上で基本的な指針
を与えうるのは、「個人の尊重」規定の解釈に他な
らない・・・。このとき問題となるのは、「個人の尊
重」がいったいどのような「個人」をその主体とし
て想定しているかであり、また「個人の尊重」とい
う保障が憲法上どこまでの意義と射程をもつかであ
る。(7P)

■ドイツにおける人間の尊厳と日本国憲法上の個人
の尊重とはその内容・機能において互換的な概念
である。(35P)

■人間の本質的な平等性を核心的な内容として保障
しつつ、いかに相互に衝突しうる多様な利益・生を
も保障するかという2つの問題を、「個人の尊重」
は同時に要求するのではないだろうか。(47P)

■個人の尊重規定の核心には個人の主体性の保障が
あるのであって、国家はこれに干渉することはいか
なる理由があっても許されない。(156P)

■憲法13条の意味における「個人」は、全体的に
把握され、均質化された、抽象的な「個人(=人間)」
として尊重されるのではなく、あくまで多元的で多
様な存在としての「個人」として尊重されなければ
ならない。(156P)

■近時、人間の尊厳を日本国憲法上、13条が定め
る「公共の福祉」の一部をなすと理解する見解が示
されていることが注目に値する。それによれば、日
本国憲法においては人間の尊厳に反する行為を禁ず
るという要請が、公共の福祉の一内容として、人権
に対する制限規範として妥当するとされる。(157P)

■人間の尊厳が公共の福祉の一内容となり、それに
よって人間の尊厳に反する行為が制限されるという
ときには、これを行う国家の客観的保護義務もまた
認められねばならない。(158P)