長久啓太の「勉客商売」

岡山県労働者学習協会の活動と長久の私的記録。 (twitterとfacebookもやってます)

ぶらり、時間散歩 (第3回)

月刊誌『学習の友』のエッセイ3回目(1月号掲載)です。


第3回「余暇を楽しむ能力」

 
余暇とは、あまったヒマのこと。しなければならな
いことから解放され、使い方を選べる「自分の時間」
のことです。余暇の貧困が蔓延している日本では、貴
重で希少な余暇時間に、「したいこと」をめいっぱい
詰め込んでしまうこともあるかもしれません。
 逆に「さあ、あなたに1か月のバカンスをあげます
!」と突然言われたら、たっぷりある余暇時間の前に
ぼうぜんとなり、「いったい何をしたらいいのか…」
と戸惑ってしまう人もいるでしょう。

 「じつは、何も考えずに他律的な時間に流されて、
行動を他とあわせていくことは案外簡単なことですが、
あり余るほどの自由時間やバカンスを自分の力で充実
したものにしていくためには、自律的な生活のリズム
づくり、創造的な発想、仲間を組織して楽しみをつく
り出す力などの、すぐれて人間的な能力が求められる
のです」
 「それは、一生懸命働くこととは別の種類の文化的
能力です。…『待つ心』だとか、『何も生みださない
くだらないことをして楽しみあえる資質』とか、『受
け身になって物事を受け入れる力』だとか、体を休ま
せてはいても『イメージ豊かに想像する力』とか、そ
ういう能力がないと1か月のバカンスはできません。
一生懸命働き学ぶ能力だけではなく、ゆっくりと遊び
を楽しみながら暮らすことのできる能力が必要なので
す」(増山均『アニマシオンが子どもを育てる』旬報
社、2000年)

 余暇を楽しむ能力は、子どもの頃からのトレーニン
グが必要ですが、日本では、悲しいことに子どもも忙
しい。せっかくの夏休みには宿題がいっぱい。子ども
たちに、たっぷりある自由時間を自分のプランで過ご
すという訓練を積ませてあげたいなあと思います。そ
れは、大人になり労働者になってからも、人間らしい
余暇を要求する力になると思うからです。
 「何人も、労働時間の合理的な制限と定期的な有給
休暇とを含む休息および余暇を得る権利を有する」
(世界人権宣言24条)。
 余暇は人権です。労働から離れて、何ものでもない
私を楽しむ。余暇をすべての国民が享受することを希
求する。そうした人権感覚をみがきあいたい、と思い
ます。