長久啓太の「勉客商売」

岡山県労働者学習協会の活動と長久の私的記録。 (twitterとfacebookもやってます)

ぶらり、時間散歩 (第11回)

『学習の友』の時間エッセイ11回目です(9月号掲載)。

第11回「ヒマの復権を」

 哲学活動家・高田求さんの『学習の方法―学び方の
弁証法』(学習の友社)のなかに「「急ぐこととゆっ
くりすることの弁証法的統一」という言葉があります。
 弁証法とは、あるものごとのなかで、対立しあい排
除しあう傾向や要素が、じつはお互いの存在を前提に
していて離れられず、そのぶつかりあいによってもの
ごとは動いていく、という見方をします。ややこしい
ですね。
 「急ぐこと」と「ゆっくりすること」は、真反対の
傾向です。でも、急ぐことを求めるがゆえに、「ゆっ
くりすることの価値」が再発見できる。ゆっくりすす
むという傾向があるからこそ、急ぐことへのパワーが
生み出される、そんなふうに私はこの言葉をとらえて
います。弁証法的時間とのつきあい方です。
 資本の時間に支配された社会では、急ぐことの対極
にある「ヒマ」という言葉は評判がよろしくありませ
ん。「あいつはヒマなやつだ」とか、「ヒマをもてあ
ましている」とか、「そんなヒマがあるのなら~をし
ろ」とか。資本はムダを嫌います。余暇を嫌います。
そして人々の内面まで支配してしまうのです。
 三省堂『新明解国語辞典』は「今しなければならな
い仕事などが無くて、自分の好きなことが出来るのん
びりとした時間(状態)」とヒマを定義しています。
いい! ヒマバンザイではないですか!
 そもそも、私の好きな哲学という学問も、ヒマがな
ければ生まれませんでした。古代ギリシャの哲学者は
仕事も家事もせずに、たっぷりとしたゆとり時間があ
りました。つまりヒマだったのです。「自分の好きな
ことができるのんびりとした時間」は、学問、自然科
学、文化の発展の条件となりました。ヒマこそが、人
類を発展させるパワーになったのです。すべての人類
はヒマに感謝しなければなりません。
 何かを「効率よく行う」「急いでたくさんのことを
する」ことにも価値があります。でもそれは、ゆっく
りとできる時間がたっぷりあるなかで、より輝きを放
つと思います。人間らしい急ぎ方ができるようになり
ます。
 いまこそヒマの復権をたたかい取りましょう。生活
のど真ん中にヒマを! 健康で文化的で、ヒマのある生
活を!