長久啓太の「勉客商売」

岡山県労働者学習協会の活動と長久の私的記録。 (twitterとfacebookもやってます)

「人間の時間について」レジュメ

昨夜(21日)の93期岡山労働学校第8講義、
「人間の時間について」のレジュメです。


一。人間にとっての時間とは
 
1。人間にとっての時間の意味
  ◇時間のなかで生きている。時間を認識できる。意識して生活する。
   *暦を作り出してきた人類。太陽や月と環境の周期性を認識することで。
   *時計の発達。個人が時計を持つようになるのは近代社会以後。

    「われわれにとって時間とは、なにより時計が刻むものとして
    イメージされ実感されている。しかしこのようなありかたは、
    じつはそれほど歴史をさかのぼれるわけではない」
       (福井憲彦『時間と習俗の社会史』新曜社、1986年)

    「人はそれぞれの時代と社会のなかで、時間の処理のしかたや
    時間についての意識において、それぞれ固有の枠組みを形成し
    ている・・・。さらに角度をかえれば、時間の組織だてを支配す
    るものは、人びとの時間意識や社会生活を、かなり左右しうる
    ということでもある」(同上)

  ◇手持ち時間(寿命)は限られている。他者との時間も有限。
   *死を認識できるのが人間。自分が生きていることを知りながら
    生きている。
   *そこから、どう生きるかが、問題になってくる。それは、
    どう時間を使うのかと重なる。

  ◇過去(歴史)から学べるのが人間。現在の生き方によって過去や
   未来の意味は変わる。

    「人間にとって、いったん生きられたその過去というものの
    意味は、もう決まってしまってどうしようもない、というも
    のではなくて、それは現在の生き方いかんによって、その意
    味を変えられることができるということです。人間にとって
    過去と未来は、現在によってその意味をえてくるのだからです」
       (真下信一『時代に生きる思想』、新日本新書、1971年)

  ◇時間主権―自分の手持ち時間を、自分の使いたいように使えること

    「『豊かに生きる』には、いろいろな意味づけ、内容がある
    だろう。私は、『豊かさ』を決めるカギの一つは、『時間を
    使う』か『時間に使われるか』にあると思っている。…どう
    やったら時間をアゴで使えるようになれるかをいつも考えつ
    づけている」
    (中沢正夫『「死」の育て方』情報センター出版局、1991年)

   *自由に選べる(使える)時間の確保。ゆとり。

 2。労働者という時間と、生活者という時間。

  ◇労働時間の長さの幅について
   *社会を成り立たせている活動であるため、平均労働時間をゼロ
    にはできない。
   *労働時間は、歴史的に変遷を繰り返してきた。
   *資本主義社会では「資本の時間」が人々を支配するようになる。
    長時間労働の蔓延や効率重視の過密時間。24時間型社会。
   *自分の時間を使用者(資本家)に売るのが、雇われて働く
    “労働者”。資本の時間に組み込まれる。労働時間の長さを
    決めるのは力関係。8時間労働制はたたかいの成果。
   *仕事の時間も、「人間らしい時間」にするためには、労働運動
    が不可欠。
  ◇休日・休暇(職場に行かなくてもいい日)
   *疲労回復の意味が大きかった20世紀以前。仕事のための休日。
   *余暇時間の価値の認識が発展。有給休暇制度の獲得。
    20世紀の100年で大きく前進。

    「現代労働の質的変化を抜きにしては年休権の拡大は考え
    ることができない。長期間にわたって、労働からは断絶し
    た私的生活を確立する。そのことによってストレスから解
    放され、心も身体もリフレッシュさせる。それこそが、
    バカンスであり、長期間の年休である」
             (藤本正『時短革命』花伝社、1993年)

    「年休を満足に取らないこと、それは、自らの生命と健康
    を、切り刻み、家庭の平穏を捨てていることになる。年休
    は、疲労回復のためにだけあるのではない。労働という名
    の、他者からの支配・従属から離脱して、自分の時間として、
    自分の生活をエンジョイするためにある」(同上)

   *ILO(世界労働機関)の年休条約(1970年)
    →年間3労働週(うち2労働週は分割してはならない)。
     日本は未批准。
   *連続休暇を取る訓練をしよう。職場の「余暇文化」を変え
    るのは①労働組合による休暇獲得のたたかい、②1人ひと
    りの余暇実践、③余暇という価値への国民的共通理解。

二。人権としての“余暇”を考える
 
1。余暇の意味の再確認―「豊かさ」のとらえ方の発展。人権として。
  ◇働くこと(有償&無償労働)から離れた時間
   *何にもない、何でもない空白の時間。効率が求められない時間。
   *「労働の後に入手する余暇という考え方ではなく、余暇は独自
    な存在意義がある」(瀬沼克彰・薗田碩哉編/日本余暇学会監修
               『余暇学を学ぶ人のために』世界思想社)
   *自然のなかで生きる。受けとめる時間。余暇は「新しいつな
    がり」を紡ぐ時間。仕事上の人間関係とはちがう関係性。
    お金やモノ、効率が介在しない関係性。
   *文化。学問や芸術を生み出す時間。または享受する時間。
   *スポーツ、映画、娯楽。
   *社会参画の土台
    ―社会運動・労働運動・ボランティアなども余暇時間が必要
  ◇余暇の種類―平日余暇、週末余暇、長期余暇、退職後余暇
  ◇定年も自分で決める―生活は年金で保障せよ
   *年金や社会保障制度が脆弱な国では、「働き続けること」を
    強制されやすい。それは、自分の人生の時間の剥奪。
    年金支給開始年齢を70歳に? 時間泥棒から時間を守ろう。
  ◇私が私でいられるための自由や権利=人権。余暇は人権。
   人権は勝ち取るもの。
   *労働時間短縮のたたかいを労働組合で
    (歴史的にも、労働運動の中心は時短闘争)
   *「人間はじぶんの時間をどうするかは、じぶんできめなく
    てはならない・・・。だから時間をぬすまれないように守る
    ことだって、じぶんでやらなくてはいけない」
         (ミヒャエル・エンデ『モモ』岩波少年文庫)

 2。労働組合の活動、社会運動・政治運動の活動時間について
  ◇基本的には自分の時間を使う。活動時間が増えれば自分の時間が減る。
   *貴重な自分の時間との天秤にかけられる宿命
  ◇でもそれは、「犠牲の時間」ではない。主体性と当事者意識がカギ。
   *他者から強制される時間と、自分で選び取った時間は、時間の
    意味あいが変わってくる。
   *自分の大切なものを守るために、自分の大切なものを使う活動。
   *その人の生き方・価値観と、活動の目的が合致したとき、
    活動時間も「自分の時間」に。
   *活動への納得と共感、当事者性をもてるように学びを保障。
    あわせて、「また来たい」「楽しい」「自分がだせる」
    「成長できた」「元気になる」「つながりが増えた」も
    たっぷり味わう活動にしたい。時間の「使いがい」があったと
    感じる活動に。
  ◇他者のための時間も、自分の時間になる。人間のすばらしさ。

    「寿命というわたしにあたえられた時間を、自分のためだけ
    につかうのではなく、すこしでもほかの人のためにつかう
    人間になれるようにと、私は努力しています。なぜなら、
    ほかの人のために時間をつかえたとき、時間はいちばん生き
    てくるからです。時間のつかいばえがあったといえるからです」
     (日野原重明『十歳のきみへー九十五歳のわたしから』
                   冨山房インターナショナル)

さいごに:人間にしかできない時間の使い方
     *意識的に集まることによって時間を共有する。
      集まることによって多くのものを生み出すことができる。
     *労働学校もそうです。集まっているからこそ、おもしろい場になる。