きのう(26日)午後は、
林精神医学研究所(林病院、ひだまりの里病院)の
中堅職員研修で日本国憲法の講義。
いつものように、
「憲法ってなんですか?」の質問から。
途中(15時過ぎ)「ガタガタッ」て揺れました。
地震があるとみなさん心理的に不安になるので、直後に休憩。
たいしたことなくて良かったです。
以下、レジュメです。
一。憲法のそもそも
1。憲法とはそもそもなんでしょうか。
2。人権とはなんでしょうか。
3。立ちどまり、問う力―私自身の経験から
「入院して病室で過ごしている患者さんは、普段はどんな
風に生活しているんだろう、どんな家で、どんな人たちと
どんな町や村で生活されているんだろう・・・、あまりにも
ぼくら医療者はそれを知らない。例えがよくないが、患者
さんをスーパーの切り身の魚のように思って済ましている
ところがある。ほんとは1匹の魚で、それぞれに泳いでい
た自然の海や川があったはず」
(徳永進『野の道往診』NHK出版、2005年)
◇理念の存在意義を考える―慣れる力。慣れない力。
*「慣れる」という力は大事。でも、慣れていいことと、
慣れてはいけないこと(立ちどまるべきこと)があると
思う。しかし、問いをもち議論することは、エネルギー
が必要。流すほうがラク。日々の仕事や生活にゆとりが
ない場合や、めんどうくさい摩擦・対立を避けようと、
慣れてはいけないことにも、慣れてしまう可能性がある。
*その結果、どこまで現実に流され、踏みとどまるべき
「立ち位置」から乖離してしまう。ふんばることをあきらめる。
◇「理念」「価値観」がある意味
*理念や価値観は、現実の「ありよう」を照らすひとつの
鏡(ものさし)になる。
■現実との緊張関係。なにが障害物か。問い続けること。
それが前向きな葛藤やエネルギーを生み出す。仲間と議論し
共有する。集団としてアプローチできるのが強み。
4。日本国憲法が生まれた歴史的背景
◇日本の近現代史。戦争し続けた国から、戦争できない国へ。
◇1931年~1945年のアジア太平洋戦争。巨大な人権侵害。
*たくさんの悲しみを背負って憲法は誕生した。
二。人権感覚をみがく
1。人権感覚は、つねに磨き続ける努力がないと脆い。さびついていく。
◇人権侵害が「常態化された」場所は、それが強固な常識や文化に
なっている場合が多い。
*権利侵害があまりに一般化していると、それを権利侵害と
認識することが難しくなる。
*「人間らしさ」の「質」「あり方」を議論する。「健康で
文化的な生活」「人間の尊厳とは」をつねに問い続ける。
訓練や環境が必要。
*みずからの人権感覚を研ぎ澄ませる(生活や人生を大事にし、
人間らしさを問う)ことと、患者や利用者の人権を尊重する
こととは、同じ地平にある。補強・補完関係。
◇言語化でき、ニーズ化(要求化)していくために
*おかしい、違和感、モヤモヤ、不満・・・
*その「おかしいこと」を「人権問題・人権侵害」と認識
できる力(知識)
*不足しているものへの自覚、あるべき状態を「構想」しニーズ化。
アクションへ。
「自己定義によって、自分の問題が何かを見きわめ、自分の
ニーズをはっきり自覚することによって、人は当事者になる。
したがって当事者になる、というのは、エンパワーメントで
ある」(中西正司・上野千鶴子『当事者主権』岩波新書、2003年)
2。目の前の事象だけに対応していても、人権は守れない
―認識深化への努力を
*イチロー・カワチさんの例え。川の下流だけでなく上流も。
*上流への認識。社会や政治に強くなる。
「医師として私たちは病人を治療するように訓練されている。
当然だ。しかし、行動と健康が人々の社会的条件に結びつい
ているならば、社会的条件を改善するのは誰の仕事であるべ
きかと私は自問した。医師が、少なくともこの私が関与すべ
きではないのか? 私は人々の健康の改善を手伝いたいと思う
からこそ医師になった。人々が病気になったときに治療だけ
することがせいぜい一時しのぎでしかないとしたら、医師は
人々を病気にしている条件の改善に関わるべきだ」
(マイケル・マーモット『健康格差』日本評論社、2017年)
*民医連綱領より。「私たちは、(略)・・・生活と労働から疾病を
とらえ、いのちや健康にかかわるその時代の社会問題に取り組ん
できました。また、共同組織と共に生活向上と社会保障の拡充、
平和と民主主義の実現のために運動してきました」
3。人権と平和について―障害者と戦争体制
「人類社会のすべての構成員の固有の尊厳と平等で譲ることの
できない権利とを承認することは、世界における自由、正義及
び平和の基礎であるので、人権の無視及び軽侮が、人類の良心
を踏みにじった野蛮行為をもたらし、言論及び信仰の自由が受
けられ、恐怖及び欠乏のない世界の到来が、一般の人々の最高
の願望として宣言された」(世界人権宣言・前文)