長久啓太の「勉客商売」

岡山県労働者学習協会の活動と長久の私的記録。 (twitterとfacebookもやってます)

生誕200年。統計学者としてのナイチンゲール。

5月12日は、ナイチンゲールの誕生日。
また生誕200年(1820年生まれ)で、ちょこちょこ話題に。

で、今日はこんな本もありますよ、の紹介。

『統計学者としてのナイチンゲール』(医学書院、1991年)

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ナイチンゲールは、幼少期から数学が大好き、また得意で、
やがて統計学を研究し、実践に活かした人でもあった。

本書は、冒頭でこう指摘している(早川かつ「刊行に寄せて」)。

「ナイチンゲールはデータ収集の科学的方法を利用する
看護研究者であり、また事実の証明をグラフで示す熟練
した統計学者であった。
 彼女はデータを集め、分析して、よりよい看護の方法
を計画するという組織的研究を、1800年の半ばという時
代に行ない、理論的概念を看護の実践に適用したのであ
る。もし研究が看護ケアを進展させる方向のものならば、
その研究結果は実践に適用されなければならないもので
あって、ナイチンゲールはまさにその実践者である。そ
して看護理論が看護実践と看護教育の書くことのできな
い部分として統合されないならば、それは無用の長物と
なるのであって、ナイチンゲールはまさにその方法を示
したのである。
 ナイチンゲールは、スクタリの野戦病院で、傷病者や
瀕死の患者が夜間は看取られることなく、ただひとり
寂しく死んでゆくのを見て、早速データを集め、調査
した結果、彼女は彼女の看護師たちと夜間の看護を始め
たのである。したがって夜間の看護はこのときから始ま
ったといえる。さらに彼女は患者の環境、食事、個人的
ニードが看護の重要な要素であるという考えをもってお
り、それらの改善に不眠不休の努力を続けた結果、スク
タリの病院では6か月の間に死亡率が40%から2%に減少
したのである。
 このクリミアの白衣の天使は、傷病兵を愛し、正義の
ためには如何なる権力にも屈しなかった情熱の統計学者
でもあったのである。彼女は統計について進んだ考えを
もっており、データを集めるのに科学的方法を用いて、
実際の証拠を生き生きした統計グラフで示したのである」


ナイチンゲール自身の言葉も紹介しよう
「病院覚え書」(1863年)という論文の、しめの言葉である。

「真実をつかむために私はいたるところに情報を請求し
たが、比較検討の目的にかなうような病院記録をほとん
ど手に入れられなかった。それらが手に入れば、ここに
言及したほかの多数の問題にも判断が下せたかもしれな
い。そうしたものがあれば、それら病院の財力がどのよ
うに使われているか、本当にはどのくらいの利益が得ら
れたか、財力は利益どころか危害をもたらさなかったか
どうか、などの記述が出てきたであろう。各病院の実際
の衛生状況も告げてくれるであろうし、その記述に不健
康の原因とその種類を探し求めることもできるであろう。
そしてもしうまく利用すれば、そうした進歩した統計は
現在確認しているものよりもより比較価値のある特殊な
手術や治療方式をわれわれに知らせてくれるかもしれな
い。さらに、いろいろな病気の患者の同居、過密でおそ
らく換気不良の病室、位置の悪さ、排水の悪さ、不純な
水、清潔の不足、あるいは以上全部の反対の状態を備え
た病院が、そこの病室で経験される手術や疾病の一般
経過に及ぼす影響をも確かめられる可能性がある。かく
して確認された真実をもとに、われわれは生命と苦しみ
とを救うことができ、また病気や負傷した貧民の治療と
管理とを改善することができるであろう
  (『ナイチンゲール著作集 第2巻』現代社、325P)

いま新型コロナウイルスの感染拡大で、
日本は検査数があまりに少なく、感染者の概数や
感染傾向を、誰も把握できていない。

事実や統計を軽視した政治は、「生命と苦しみ」を
救うことはできない。

いま、ナイチンゲールが生きていたら、
烈火のごとく怒り、「真実」「統計」を求める行動を
起こしているだろう。命を救うために。