体調は上向きですが、
今日(27日)は午後から4時間ほどの出勤です。
そろそろ帰ります。
書くネタがないので、
昨夜、ふとんにもぐりつつ活字をあさりながら
Twitterで「つぶやいたこと」をまとめて貼っつけます。
なんの脈略もありません。
ええ、それがTwitterの特徴ですから。
以下。
硬貨はほとんど銅でできてるんだなあ。
1円玉だけアルミニウムだけど。
銅の成分割合は、5円玉60~70%、
10円玉95%、50円玉75%、100円玉75%、500円玉72%。
今日は扁桃腺を腫らしてしまい、
午後から家で安静にしています(>_<)
熱はないので、寝込んではいませんが、
布団にもぐって、どうでもよいつぶやきをしていこうかと。
しかし、鼻水はいつもより出ています。
病気になると、逆に自分の身体の自然治癒力を
実感する貴重な機会でもあります。
熱がでればなおさら。
「おお!体が外敵を排除するための戦闘体制に
入ったな!がんばれ!」と、自分の身体が愛しくなります。
と、こんな考えをもつようになったのは、8年前、
「病気とは、回復過程である」とした
フロレンス・ナイチンゲール(1820~1910)の
病気観を学んでから。
病気は、いろんな気づきをくれるものでもあるのです。
しんどいけど。
まぶたの「ま」は眼のことであり、まぶたとは、
文字通り「眼のふた」という意味である。
まぶたを開ければ光をキャッチできる。
眼球に物体が接触しそうになったり
光が強すぎたりした場合には、
閉じることで眼球が守られる。(Newton4月号を読んでいます)
涙は涙腺から分泌される。
まばたきをすると、涙がついたまぶたが眼球の表面をなぞり、
眼球の表面全体に涙が行きわたる。
古い涙は鼻涙菅を通って鼻へと流れる。
……なるほどー。
ときどき、あまりまばたきをしない人もいるが…。
世界的に見れば、一重まぶたは、
「新モンゴロイド」と呼ばれるおもにアジアの
東部や北部に暮らしている人々によく見られる特徴であり、
その他の民族にはあまり見られない。
……一重まぶたは、世界的にはめずらしいのか。知らんかった。
料理をつくることは、複数の異なる作業を手際よく
同時進行させなくてはならないため、
「脳の司令塔」とも言われる前頭前野の活性化に
たいへん有効(脳の老化予防)。
ただし、いつも同じようなメニューで漠然と作業を
こなしている場合は、前頭前野やほとんど働かないそう(>_<)
わからないことに自覚的であれ。
科学的な態度とは、「自分はひょっとしてどこかで
間違っているんじゃないか」と自己の主張に懐疑的な
姿勢を持ち続けること。
あわせて、でも事実と正しいことにどん欲で、
つねに真理を求めつづける努力を怠らないこと。
さらに、知識を理性で包みこむこと。
雑誌『経済』4月号の大瀧雅之さんと小池晃さんの
対談読んだけど、あんまりおもしろくなかったなー。
ページ数も少なかったし。
ほんとうにこんなにキレイな
対談だったのかなあと疑ってしまう。
理論的なぶつかりあい、真摯な論争が、
たがいを高めると思うのだが。
批判なき対談って、あんまりおもしろくないな。
ほう。古代ギリシャの大哲学者プラトンは有償教育を
痛烈に批判していたのか。該当部分を読んでみたい。
高等教育も無償があたりまえになっているヨーロッパは、
そういう思想的源流と、たたかいがあったわけだ。
なるほど。社会全体で支える無償教育は、
それを享受した子どもたちに、
「社会のために学んだ成果を役立てよう」という
自覚や意欲を高める。そうだよ、そのとおりだよ。
逆に有償教育は、教育の自己責任・競争原理が強まり、
その学習の動機や目的も、
狭い個人的・利己的利益に偏りやすい。