長久啓太の「勉客商売」

岡山県労働者学習協会の活動と長久の私的記録。 (twitterとfacebookもやってます)

安全性の考え方

『安全性の考え方』(武谷三男、岩波新書、1967年)。

f:id:benkaku:20130513140838j:plain

46年前の本。

でもわかりやすい(まだ最後の13章しか読んでいないが)。

 

今の状況はこの指摘どおり。

ほんと、「社会的立場」というのが、

物事の判断や価値基準をゆがめますからね…。

 

 

「安全を考える場合、いつも日本では、まず実施側の

いわゆる専門家とか専門技術者の意見が、一番よく

知っているという理由で大事にされ、彼らの“立場”と

いうことは問題にならない。これが日本の安全問題の

最大の欠点である。安全という問題には“公共”の立場

に立った人が当たらねばならないのである。現代の

安全の問題の中では、いつも“公共・公衆の立場”と“

利潤の立場”の二つが対立している。したがって安全

を考えるには、公共・公衆の立場にたつ人の意見が尊

重されなくてはならない」

 

「新鋭ジェット機は科学技術の粋を集めたものだから

安全。原子力潜水艦は技術の最先端を行くもの、故に

安全。文明の進歩の結果なのだから安全―こういうよ

うな論法が多いが、これは、性能のよさということを安

全にスリかえた議論である。性能の優秀というのは、

ふつう、利潤の立場からみてのよさなのであって、公

共の安全を守るという立場からのよさではないのだ。

そこをだまされてはいけない」

 

「利潤の側にいる人は“危険が、危険だ”といったので

は商売にならないから“安全だ、安全だ”というにきまっ

ている。一般に“危険だ”といってトクをすることはない。

“危い”という人はいつも損をしたり、袋叩きにあったり

する。それをあえていう人は、公衆の側に立っている人

だ、だからその人の方を信用すべきだということである。

もう一つは、『危い』という人は、真にその性質をよく知っ

ている人である。だからこそ“危なさ”を強調するのだし、

それだけに、よく注意して取り扱うことになる。だが、『安

全だ』という人がやると、安心してなれっこになり、思い

がけないことが起こる可能性が多い。そういう面からも、

“危い”と警告した人にあずけるべきで、『安全だ』という

人に実施さすべきではない」