長久啓太の「勉客商売」

岡山県労働者学習協会の活動と長久の私的記録。 (twitterとfacebookもやってます)

後悔とヒューマニズム

きょう(2日)の午前中は、ソワニエ看護専門学校での

13回目の授業でした。

 

読書日記で紹介した

徳永進さんの『わたしだって看取れる』の

中から、「それぞれの後悔」というところを紹介。

「後悔」について考えました。

 

授業内容は、「ヒューマニズムを考える(1)」ということで、

これまでの授業内容を少しふりかえりながら、

人間とはなにか、人間くささとは何かを

問うてきた人間の歴史について考えました。

14世紀からはじまったルネサンス。

人権という考え方の確立。

などなど・・・。

 

ちょっとヒューマニズムの話は難しかった

ようで、感想文は「後悔」に関して

書かれたものが多かったです。

 

 

以下、学生さんの感想文です(一部)

 

◆この講義は毎回1冊本を紹介されますが、

私はこの夏に佐野有美さんが書かれた「歩き

つづけよう」を読んで、今までの考え方が大きく

変わりました。読むまで私は、出産前診断で、

胎児に障害があるかもしれないとしたら、産ませ

ないかもしれないと考えていました。それでも

この本を読むと、障害があっても頑張れる。でき

ないことで悩むのでなく、できることをする。という

とても前向きに考えさせてくれるものでした。

私は生きていれば頑張れる、生きて産まれることに

意味があるのだと感じました。私はこの夏休みで、

人間として成長することができたのではないかと

考えます。

 

◆私の祖父母はガンで亡くなりました。ガンは、

特効薬がなく、放射線治療など、苦痛を伴う治療を

しなくてはなりません。看護師はその痛みといまは

寄り添うしかありません。これから出会う患者の

中にもそういった方がおられると思います。そこで、

これから自分自身、何を感じるのか何を学ぶのか、

これからの自分の成長の糧にしたいです。

 

◆徳永さんの本の紹介は、心に残った。別の授業の

課題で、闘病記を読んでの感想文を作ったのですが、

その時に内科医の先生がガンにかかったときの本を

読みました。その際に感じた事が改めて、頭をよぎり、

悲しい話ではあるが、こういった死について考える本を

少しでも多く読まないと、死に向かう人についてかける

言葉や態度が理解できないと思いますので、勉強に

なりました。ヒューマニズムについては、あまりに壮大な

話すぎて、現実味が湧きませんでした。難しいです。

 

◆後悔は人生に必ずついてくるものだと思います。

私も後悔することがたくさんあります。しかし、一度

後悔したことを繰り返さないように努力することに

よって、今後の人生では少しずつ後悔の回数が

減ってくるかもしれません。そう考えると、後悔は

人を成長させるために、必要な要素なのだと思いました。

 

◆生きてきた中でたくさんの後悔がありますが、

できるだけ後悔がない生き方をしたいと思いました。

看護師の立場になったら、患者さんに関わることでの

後悔は絶対にあることだと思いました。告知をする

ことで、それを受けとめられない患者が死んでしまう

のは、とても悲しくむずかしいことだと思いました。

しかし、後悔はそんなに悪いことではないことを

知りました。

 

◆後悔は人間が生きていく上で必ずあるものである

と思う。しかしその後悔があるからこそ人間は成長

していくものだと思う。

 

◆告知は言ってもいわなくても、どっちにしろ後悔を

生じる場合があるから難しいと思った。しかし、私の

家の場合、祖母に病気のことを伝えるか伝えないかで、

伝えないという方を選んだ。祖母の性格を見て判断

した。最終的には亡くなったが、言わなくてよかったと

思っている。医者と家族で、患者さんの性格とかを

理解することが大事だと思った。

 

◆『わたしだって看取れる』を読んで、泣きそうになり

ました。死ぬ前までは素直になれず、ケンカばかり

していた人も死ぬ間際には、後悔して死なないように

と素直になるのは、とても良いことだと思います。

でも、それが死ぬ間際ではなくて、いつも素直に

気持ちが伝わることが1番なんじゃないかと思い

ました。

 

◆私は後悔を数えきれないくらいしてきました。けど

一つのことをいつまでも後悔したと思わず、後悔した

ことを忘れるくらい今を全力で生きて前にすすんで

いこうと思ってます。後悔する時間があるのなら今

自分にあたえられたことを一生懸命してたのしく

すごすべきだと思います。

 

◆後悔の話を読んですごく共感できた。後悔があり、

満足があるから人生はおもしろいのだと思う。

 

◆『わたしだって看取れる』を読んで、やっぱり後悔

することが多いと思いました。あれもこれもいままで

後悔したことなんて数えきれません。でも後悔した

ことをいかに自分で修繕できるかが、大事だと思い

ました。

 

◆『わたしだって看取れる』を読んで、医療の世界

は後悔であふれていることを知った。私はこれから

多くの後悔に出会うことと思う。その度に悩むことと

思うが、その悩んだ過程を大切にして、同じことで

後悔しないようにしたい。

 

◆自分が生きていることを宇宙規模で考えると、

奇跡としか言いようがないと思いました。宇宙の

向こうには、さらに何があるのだろうか??

ヒトとは・・・考える事?であるというようなことを

勉強した気がします。まさにその通りだと思います。

考える事によって、色々な気づきがあると思います。

ただ、考え込みすぎるとストレスになるので、たまに

がいいと思います。

 

◆私は精神科に勤めていました。当然亡くなられる

方もおられ、何人もの方を看取ってきました。患者

さんのほとんどが若い頃から発症されて結婚も

されておらず、親・兄弟もすでに亡くなられている

方もいました(そうゆう方のほうが多かったです。

なので、家族や連絡先は甥、姪、または遠い親戚

などでした。その患者が亡くなられて連絡をしても

特に(病院内では)何もなく、お葬式の準備などを

されておりました。私は、「そうゆうものなのかなあ…」

と思っておりましたが、ある患者さんが亡くなられた日。

連絡をして、ご家族の方が来られました。そこで

驚くべきことを笑いながら言われてました。「やっと

死んだ。荷物は全部始末しといてください」。そのことを

聞いたとき、私はとても悲しい気持ちになりました。

その患者は「何のために生きていたのだろう、ただ

生かされていただけじゃないか」と思いました。たしかに

その患者さんの悪い話も聞いていましたが、それでも、

そう思わずにはいられませんでした。私は、日頃から

患者さんに対してどう接していこうか悩んでいます。

患者さんの最後、それはとても大事なものだと思います。