長久啓太の「勉客商売」

岡山県労働者学習協会の活動と長久の私的記録。 (twitterとfacebookもやってます)

人は変わるということ

きのう(17日)の夜は、

第86期岡山労働学校「超入門! 資本論教室」の

2講義でした。16名参加。

(今後は15名~20名の参加で推移すると思います)

 

テーマは「マルクス・エンゲルスの青年時代」。

75分間、彼らの若き時代を語り、楽しかったです。

時代や環境は違うけれども、ぜひ彼らの生き方や

感性から、多くを学び取ってほしいと思います。

 

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グループ討論のようすです。

 

 

【第2講義の概要です】

 

はじめに:今日のポイント

     ①『資本論』を書いたマルクス、支えたエンゲルス。その青年時代をみる。

     ②彼らは、社会の矛盾に全力でぶつかり、それを変えるために理論をみがいた。

     ③彼らのヒューマニズムの源流をさぐる

 

一。マルクスの青年時代

 1。ドイツライン州、トリールに生まれる(1818年5月5日)

  ◇フランス革命の影響の強かった町で

  ◇環境

 

 2。ギムナジウム(高等中学校)に12歳で入学

  ◇この学校も、フランス革命の影響で、進歩的な教師が多かった

  ◇さまざまな学問と出会い、学びを深めていく

   *文学や歴史、ラテン語やフランス語、数学・・・。

   *フランスの啓蒙思想家たちの著書、ドイツの古典哲学者たちの著書・・・。

   *この頃には、すでに父と対等にヨーロッパの政治のこと、思想家たちの考えやその矛盾点について、語り合っていたという。

  ◇1835年、17歳でこの学校を卒業する

   *卒業のさいのドイツ語作文の3つの課題

 

 3。ボン大学へ入学(1835年)

  ◇トリールからの旅立ち

  ◇父と同じ道として、弁護士という職業も考えていた・・・法学を学ぶ

   *しかし、法学だけでなく、文学や、美学、物理学、化学の聴講届けを出した。

 

 4。ベルリン大学(1836年)・・・18歳のとき、やはり法学部へ入学

  ◇最初から自分で専門の文献と原典を熟読して評価をくだす学習方法で

   *のちには、ほとんど講義を聴くのをやめてしまった

   *法律の勉強より、哲学に熱中する

  ◇ヘーゲル哲学との格闘

   *ドイツ古典哲学、とくにヘーゲル哲学の本格的な研究、それを乗り越えていく

 

【補論:知の巨人-ヘーゲル(1770~1831】

  ◇大器晩成型の、思想の巨人

 

  ◇発展をつらぬく糸筋を

 

  【マルクスに戻ります】

  ◇大学の学位論文(1941年3月・・・22歳)

   *「デモクリトスの自然哲学とエピクロスの自然哲学との差異」

   *イエナ大学に提出し、哲学博士の学位を授与される

  ◇大学教授になる夢はあきらめる

   *ヘーゲル左派の先輩であるブルーノ・バウアーは、プロイセンの文教政策の反動化によって、大学を追放される。マルクスも、大学教授としての道はあきらめる。

 

 5。ライン新聞

  ◇ヘーゲル左派が編集部の主力になっていた「ライン新聞」(日刊紙)

  ◇1942年10月、マルクスは24歳にしてライン新聞の編集長に

  ◇ライン新聞への政府の圧力の高まり・・・廃刊への危機

 

 6。フランス・パリへ(1943年9月)

  ◇『独仏年誌』の発行計画、執筆による生計の見通し

  ◇6月19日、マルクスとイェニーの結婚式、ささやかな新婚旅行に

  ◇マルクスは、ジャーナリストとして実社会に出て、経済学研究の必要性を感じて

いたが、まだ足をふみだせてはいなかった。

   *そこに、マルクスが目をみはるような経済学の論文(「国民経済学批判大綱」)を寄稿してきたのが、生涯の盟友となる、フリードリヒ・エンゲルスだった。

   *エンゲルスの論文には、いまから見れば不十分で不正確な記述が多く見られたが、『資本論』にいたるマルクスの経済学研究の全体を方向づける天才的な問題提起がふくまれていた。

 

二。エンゲルスの青年時代

 1。ドイツライン州、バルメンに生まれる(1820年11月28日)

  ◇マルクスの生れたトリーアと違い、保守的な町だった

  ◇名の知られた工場経営者の長男として誕生

 

 2。学業も、父の命令で中断させられる

  ◇14歳でバルメンの実業高校をおえ、ギムナジウムに入る

 

 3。ブレーメンでの商店員修行(1838年7月・・・17歳)

  ◇父の知人の店で貿易事務見習いに

  ◇2年8か月の修行時代に、はげしい独習を通じて、急速に成長していく

   *1939年3月(18歳)執筆「ヴッパータールだより」(全集1巻449P~)

 

 4。兵役のためにベルリンへ(1841年10月~1842年10月)

  ◇兵役のあいだをぬって、ベルリン大学の聴講生に

  ◇マルクスというすごい人間のことを伝え聞き、あこがれをもつ

 

 5。イギリスのマンチャスターに(1842年11月~)

  ◇父の出資する工場へ見習い仕事に

  ◇当時、資本主義のもっとも進んだ国で、エンゲルスが見た光景は・・・

   *エンゲルスは、マルクスとは違った道を歩いて、マルクスと同じように、経済学

    の研究の必要を痛感する。

 

   *そして、『独仏年誌』に経済論文を寄稿する-マルクスとの同盟と友情の開始

   *エンゲルス『イギリスにおける労働者階級の状態』(1844年)-事実による告発

    ・若きエンゲルスの情熱ほとばしる名著。

 

 6。マルクスとエンゲルスの共同の開始-『資本論』完成へ向けて

  ◇マルクスは、エンゲルスとの出会いをきっかけに、猛烈に経済学の研究をすすめる

  ◇1848年、ヨーロッパで革命運動が勃発。2人の共同執筆による『共産党宣言』。

  ◇革命が各国で敗れたのち、マルクスはロンドンに亡命

   *本格的な経済学研究に入っていく

 

 

さいごに:マルクスとエンゲルスは、目の前の現実を変革するには

     経済学の研究が不可欠と考えた・・・

 

 

 

 

以上。

 

 

感想文を少し。

 

◆マルクス、エンゲルスともに裕福な家庭に生まれながらも、

苦しい労働者のために、行動できたことは、なかなかできる

ことではないと感じた。

 

◆マルクスとヘーゲル、マルクスとエンゲルスの関係が

おもしろい。土台となる教育がしっかりとできているから

発展した思想になったんだろうな。同じ時代に生きた

ナイチンゲールと一緒だなと。エンゲルスが「労働者の

声を直接聞いた」から、生きた思想になったのだと思う。

 

◆ヘーゲルがもしもマルクスと顔をあわせ、議論を交わして

いたら、歴史はどうなってるか、と考えたりすると、なかなかに

おもしろくなりました。人の歴史は興味深い。

 

◆当時の10代の若者ってかなり成熟していて大人だな・・・。

2人とも自分の知りたいことにすごく貪欲でそこは見習いたい

なと思いました。

 

◆「現実の中からこの社会を変える」というのが、今にも

通じるなと思った。エンゲルスの育った環境を初めて知った。

保守的な家庭の中で、「はげしい独学」によって、科学的な

ものの見方を身につけたということは、人は変わるということ

だなと、実感した。

 

 

 

86期岡山労働学校「超入門! 資本論教室」は、

毎週木曜日、12月中旬まで、

岡山市勤労者福祉センターで開催中です。

いつでもお気軽にご参加ください。