長久啓太の「勉客商売」

岡山県労働者学習協会の活動と長久の私的記録。 (twitterとfacebookもやってます)

なぜこの世論?戦争と基地を考えるin岩国

金曜日(15日)の夜から、岩国へ。

2013日本平和大会in岩国。開会集会に参加。

 

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16日は写真のようなテーマの分科会8(入門編)で

40分間の講師お役目。

思ったより参加者多くて、若者中心に50名近い参加。

 

全国から集い、学びあう貴重な場。

集中力たかめて、言葉に魂こめました(笑)。

 

10時から16時までの長丁場の分科会。

午前中は、「基地をめぐる街頭アンケートの世論」を

もとに、グループ討論。午後に私の講演と

中国戦線の加害者証言DVD鑑賞、グループ討論、

さいごに発表、という流れ。

 

私の講演、内容ちょっと盛り込みすぎで、

飛ばしながらのお話でしたが、

みなさんしっかり受けとめていただき、

とてもよい時間になったと思います。

 

感想交流や発表を聞いていて、

私の話のなかでとくに印象に残ったらしいことは

このようなものでした。

 

「戦争を知らない(体験していない)ということと、

戦争の歴史や悲惨を知らないということは、

区別して考えてほしい。

戦争を知らないということそれ自体は素晴らしいこと。

でも、戦争の歴史や悲惨を学ぶことは不可欠。

なぜなら、戦争への足音や危機を敏感に

キャッチし、行動をしていくためには、戦争の歴史に

ついてしっかり学んでいることが必要だから」

 

「体験しなければわからない、というのは違う。

人間には言葉があり、言葉によって、

その体験の苦しみや痛みを伝えることができる。

そして、私たちには想像力がある」

 

 

以下、講義の概要です。(しゃべれなかった部分もたくさん…)

 

 

はじめに:午前中の議論を受けて

 

一。戦争や基地について考えることの難しさ

 1。平和である、ということ―時間的距離、社会的距離

 

 

 2。本土では意図的に米軍基地との「距離」がつくられてきた

◇85%-15%(1955年) 陸軍は韓国へ。海兵隊は沖縄へ。

  ◇55%-45%(1960年)

  ◇26%-74%(現在)

 

   *「基地問題は安保に刺さったとげである。都市に基地

があるかぎり、安保自衛隊問題について国民的合意を

形成するのは不可能だ」(久保卓也防衛局長・1972年)

   *米国も、できるだけ日本国民との摩擦を避けたいという

政治的思惑があった

   *安保条約10条問題。一方的に廃棄できる。

そういう政府ができないように。

 

   *参考文献

『基地はなぜ沖縄に集中しているのか』

(NHK取材班、NHK出版、2011年)

『戦後平和主義を問い直す』(林博史、かもがわ出版、2008年)

『米軍基地の歴史―世界的ネットワークの形成と展開』

(林博史、吉川弘文館、2012年)

 

3。政府やマスコミなどによる因果関係の「ずらし」「脅威論」

  ◇アメリカが守ってくれている

  ◇北朝鮮や中国

 

 

二。ひとりひとりの人間の視点・声から―戦争や基地を考える立ち位置

 1。日本国憲法の立場-憲法は中立ではない

  ◇憲法の立場とは?

   *国の安全保障のためなら、少々の我慢・犠牲は「しょうがない」…?

    →こうした立場をとらないのが日本国憲法。犠牲の論理の否定。

   *憲法13条「すべて国民は」「個人として尊重」「生命・自由・幸福追求」

    ・取り替え不可能。かけがえがない。

命は1つ。人生は1回。だれも見捨てない。

   *日本の侵略戦争・・・アジアで2000万人以上、日本人は310万人。

おそるべき人命軽視・人権抑圧の戦争だった。

    【補論:数字を取り扱う場合に必要な視点】

 

   *基本的人権は、人間らしく生きるために欠かせない目録であり、

「侵すことのできない永久の権利」(11条・97条)

*「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに

生存する権利」(前文)

 

◇同じ「現実」をみても、見え方とらえ方が違う-「中立に見たい」の限界

*人権の立場にたたないと、見えてこないことがある-学びと行動の動機に

 

 2。固有名詞をもつ、当事者の視点・声

  ◇『私たちの教室からは米軍基地が見えます』(渡辺豪、ボーダーインク、2011年)

 

◇『それぞれの「戦争論」-そこにいた人たち』(川田忠明、唯学書房、2004年)

 

  ◇『冬の兵士』(反戦イラク帰還兵の会・アーロングランツ、岩波書店、2009年)

 

 

三。安保条約をどう「つかむ」のか

 1。歴史を学ぶ

  ◇敗戦後・米国による全面占領の時代(1945年~1952年4月28日)

   *当初の民主化政策(その象徴は日本国憲法の制定)

   *政策の転換-レッドパージ、労働組合敵視、戦犯解除、自衛隊の創設etc

1948年12月のA級戦犯の釈放。50年10月から戦争犯罪者の「追放解除」。

大量の戦犯政治家、大資本家がアメリカに忠誠を誓いながら戦後日本の

政界・財界(=支配層)に復帰。その後の対米従属を深く規定づけることとなる

  ◇占領の継続のための仕組み-サンフランシスコ講和条約と旧安保条約(秘密裏に)

   *旧安保は、基地を自由においていいよ条約。同時に、沖縄は切りすてられる。

  ◇1960年に改定された安保条約-公然たる軍事同盟に

   *「基地貸与条約」という性格を引き継いだ(6条)

   *「有事のさいに米軍と共同して戦う日米共同作戦条項」の新設(5条)

*「日米経済協力」の条項(2条)や、防衛力増強条項も(3条)

*安保の規定にない「思いやり予算」。日米地位協定(裁判権放棄など)、密約問題。

*基地の使用料もタダ。沖縄の地主などには日本政府が地代を支払っている。

*安保改定反対の大闘争-その意義

   *安保体制の拡大・強化-安保の枠を超える異常~現在まで

 

 2。世界的視野で

  ◇軍事同盟による「安全保障」=冷戦時代の思考・遺物

   *従来あった世界の軍事同盟の多くは、解体・機能不全におちいっている

  ◇いま、世界の大きな流れはどうなっているのか

   *東南アジア諸国連合(ASEAN)などの取り組みも注視

   *軍事力で領土問題は解決しない

 

 3。さまざまな問題の「根っこ」に安保条約

  ◇異常なアメリカ従属の政治がもたらしているさまざまな問題

*国の借金の膨張、「規制緩和」、郵政民営化、原発、医療制度改悪、農業破壊、

総決算がTPP! いま大問題の特定秘密保護法案もアメリカからの要求。

   *日米同盟の枠でしか安全保障・外交政策を考えられない「こびりついた体質」

  ◇国会内の政党で日米安保解消の政策をもつのはごく少数

   *国民に、安保条約をどうつかんでもらうか、大事な課題

 

さいごに:平和運動をつづけていく力

     *知ること、聴くこと、学びあう、政治に強くなる

     *仲間の存在

     *集まる、組織を大事に、話しあう、書きあう、表現する!(憲法21条の実践)