長久啓太の「勉客商売」

岡山県労働者学習協会の活動と長久の私的記録。 (twitterとfacebookもやってます)

民主主義とは・・・「参画」(言葉による意思表示)

さきほどまで、岡山県労働組合会議の
青年部定期大会へ。

前段の学習会で「サルでもわかる民主主義」を

60分ほど講義。

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なかなか難しくも、おもしろい内容。

まずは参加者に

「民主主義ときいて連想することは?」

という問いかけから。

 

それを素材にもしてあれこれあれこれ。

 

政治制度としての民主主義のほうが語られることが

多いけど、考え方・思想としての民主主義を深めたい。

 

人間は、「集団」をつくり属しながら生きていくからこそ、

民主主義が問題になる。

ひとりで生きていたら、民主主義は必要ない。

 

集団は、ある目的や方針をもとに活動していく。

社会、職場、家庭、団体、労働組合、政党etc・・・。

集団のなかには、いろいろな人がいる。

いてあたりまえ。だから、民主主義が必要。

 

ぼくは民主主義はひと言でいっちゃえば、

「参画する」ということ、だと思う。

参画の具体的中身は、「YESかNOか」だけでは不十分で、

その人自身の意思表示、とくに言葉による意思表示が中心。

 

主体者としてものごとの意思決定に言葉をもち参加すること。

それが民主主義。

 

デモクラシーの芽生えは、古代ギリシャの時代からあったけど、

概念の示すところも多義的になっている。

 

現代日本では「民主主義は多数決で決めること」

という狭い理解が一定浸透しているが、

それは民主主義の内実のごく一部で、本質ではない。

 

1人ひとりが参画し、話しあい、討論する。

民主主義は時間がかかる。めんどうくさい。

だから、エネルギーがいる。

ときに意見の違いがぶつかりあうから消耗する。

ゆとりがないと脆(もろ)くなる。

 

民主主義の反対語は、「ファシズム」という

政治体制のことを指す場合が多いけど、

「参画」が民主主義の本質であるならば、

反対語は「おまかせ」「傍観」「奴隷的」

「あくまで観客」「黙ってついていきます」

ということなのだと思う。

 

そして、そっちのほうが、

じつは1人ひとりにとってはラクなのだ。

そういう意味でも、民主主義はもろい。

 

これは労働組合民主主義にも言えること。

執行部に「おまかせ」「私はついていくだけ」

「言われたらやるけど」ということでは、

労働組合は力を発揮できない。

 

そして、民主主義がなければ、労働組合でさえ、

簡単に幹部請負運動になり、官僚主義もはびこる。

1人ひとりの組合員の参画をいかに追求するか。

 

民主主義の大事でしかし難しい問題は、

「違う意見の人を排除しない」ということ。

「一致点を積み上げていくこと」「聴く姿勢」。

 

どれもたいへんなエネルギーがいる。

でも、そこを踏み外すと、どんな社会・集団でも、もろくなる。

 

表現の自由は民主主義の大前提。

人間は、応答関係のなかで、自分たちを育てあう。

表現しあう、話しあう、書きあう、聴きあう、気づきあう。

どれも、憲法21条の実践。

 

民主主義が機能すれば、間違いが少なくなる。

ひとりでは間違うことも多いけど(認識に限界があるから)、

みんなで議論した結論は間違いが少なくなる。

(絶対に間違わないわけではない)

 

民主主義的感覚は、訓練が必要。

日本の場合は、

1人ひとりの身体感覚として「民主主義」という言葉が

定着していないように思う。

それはなにより、学校現場・教育現場における

民主主義的土壌がいちじるしく弱いからだと思う。

訓練がない。だから気持ちよく討論できない。

 

「話しあってものごとを決めていく」という文化自体が弱い。

自分とは意見や立場が違う人との、気持ちの良い議論と

いうものがしにくい。

相手を言い負かす、否定する、打撃する形での議論が多い。

 

話しあうなかで、「ここは違うけど、ここは一致できるね」

という一致点を積み上げていく、そんな議論が大切。

 

というような感じの話をしました。