『3・11と教育改革』(教育科学研究会編、かもがわ出版、2013年)
を読み終える。
シリーズ教育実践と教育学の再生・5巻目。
東日本大震災と原発事故という未曾有の事態に、
学校と教育のあり方・課題を問いかける。
被災地での、困難な状況のなかで希望をつむぐ教育実践記録。
競争知から共同知への転換を。
以下、自分用のメモ。
「教えるということはこの信頼関係のなかで、人間が
人間らしく生きるという真実を手渡すことでなくては
ならない。そして、子どもに安心して暮らせる明日を
手渡さなければならない」
(白木次男「あの日からのおくりもの」、29P)
「学校が再生されることで地域がいかに形成されて
いくのか、いずれコミュニティの中心となっていく生徒
たちをいかに育てるか。“過去問”のない難題に挑んで
いるのである」
(制野俊弘「みかぐら『荒くずし』に見る生と祈り」、77P)
「ここに何枚かの絵がある。これは生徒たちが自分の
希望をハンカチに記したものである。生徒たちの多くは
自分の住んでいた地域に戻りたいと考えている。新しい
家を建て、元のようにみんながひとつ屋根の下で、平和で
幸せな暮らしを送りたいと願っている。当然といえば当然、
さもない願いといわれればそうなのである。
しかし、ここには人間としてのまっとうな要求がある。
人を蹴落としてまで学力アップを図り、世界に冠たる
大企業に就職しようなどという野心はない。ただ家族が
そばにいていっしょに食卓を囲み、他愛もない会話を
交わす風景を望んでいる。狭隘な仮設住宅の暮らしの
なかで見つけたものは、ごく平凡なわが家の風景なの
である。最も極小で最もローカルな願いこそ、生徒たちの
すべてなのである。ここに教育行政が求める学力像と
生徒が考える『幸せ像』の乖離を見ることができる」
(前掲、78~79P)
「こわがることをもっと表立って素直に表現していい、
ということだ。こわがることは人間として当然の生理
であり、生命と生活が脅かされれば、まずはこわがる。
こわがることを隠し、平気を装う。これは真に現実に
向きあう姿勢としてある弱点を内包している」
(佐藤広美「復興の教育思想を考える」、96P)
「今日、教育改革は、学習と知の有り様の組み替えに
及ぶ根源的性格をあわせもたなければならない。その
ためには、教育において、知を『共同知』という姿において
把握しなければならない。競争知は、競争で勝つために
獲得される知であり、その価値は、その知の所有者が
競争を勝利に導くことで証明される。そのような知は
独占されることでその価値を高める。それに対して共同知
は、その時代の課題を背負った知であり、その知を
できるだけ多くの人々が共有することで新しい社会を
創りだし、その価値を実現することができる。3・11の
被災による危機と苦難をどう乗り越えていくかという
問いに向かい合う学校は、そういう共同知を学びあう場
となることが求められている。社会の歴史的変革や進歩は、
この共同知の広まりによってこそ支えられる」
(佐貫浩「生存権保障と教育の自由の回復へ」、290~291P)
以上
これで、
「シリーズ教育実践と教育学の再生」(かもがわ出版)の全5巻、
(3巻が未刊ですが)
とりあえず3月に一気に読むという目標は達成。
学んだことを、日々の学習運動にもしっかり活かしていきたい。
教育実践から学ぶことって、ほんとに多い。
困難だからこそ、その実践と教訓は貴重。
そして、次の学びのテーマは「ギリシャ神話」。
もちろんいろんな読み物と並行しながらだけど。
4~7月ぐらいを目処に、ギリシャ神話にどっぷり浸かりたい。
以前何冊か関連本を読んだことあるけど、
今回は原典ふくめ読みすすめたい。
「その学びが、社会変革の役にたつのか?」と
問われれば、まあ直接にはたたないでしょうが、
つながってる要素がある、
人間の思考を考えるヒントがある、という直感はあります。
どんな発見があるのか、楽しみに、読みすすめていきたいです。