『前衛』5月号より
佐貫浩論文「安倍教育改革の道徳観と人間像」
からの私的メモ。
「いつも、社会秩序の乱れや非行の強まりが理由にされて、
道徳教育の必要が持ち出されてきた。今日もまた、いじめや
校内暴力、時として発生する青少年の凶悪犯罪などを材料
に、道徳教育の強化を求める声が高まっている。そのとき
人々は、道徳性の課題は子どもの心の中、人格の中にある
と考え、したがって道徳教育とは、個人の考えや規範意識に
働きかけることであると考えてしまう。しかしこの一見自明な
常識をこそ疑ってみる必要がある」
「道徳性は、まず第一に人々が取り結ぶ社会関係の中に
存在している。だから現代の青少年の道徳性の内容や質を
規定するのは、彼らを取り囲む日々の生活そのものである
という点を冷静に見ておかなければならない」
「道徳性とは他者との関係を取り結ぶ際の価値意識や方法
に関わる事柄であるからである」
「その時代の人間の道徳性をマクロレベルで決定する大きな
力が、その場(生活空間、行動空間、制度空間)に組み込ま
れた支配的なメッセージ、規範にある」
「社会の規範が個人に内面化されていく。だから、道徳規範の
変容や崩壊の原因は、大局的には、個人の側にではなく、
社会の側にこそあるべきであろう」
「道徳性とは、現実とたえず格闘することによって、何が自分の
取るべき態度(正義)であるのかを、他者との根源的共同性の
実現―ともに生きるということ―という土台の上で、反省的に
吟味し続ける力量であろう」