長久啓太の「勉客商売」

岡山県労働者学習協会の活動と長久の私的記録。 (twitterとfacebookもやってます)

藤本正『時短革命』よりメモ(上)。

藤本正『時短革命』(花伝社、1993年)よりメモ(まだ残りあり。残りは明日メモする)。

「どんな社会や時代でも、時間短縮を実現する真の力は、労働組合であった」

「言論の自由、表現の自由などの市民社会の生み出した輝かしい市民的人権とともに、『ゆとりある私的時間』を確立することもまた、現代日本において求められる新しい『人権』である」

「日本の労働組合が、時間短縮を真剣に考えているとすれば、何よりも36協定の活用を重視しなければならない。…36協定をどれだけ重視するかに、労働組合の誠実さが問われている」

「日本社会では労働力は時間単位で買っているのではなく、業務遂行に必要な限りの無限の労働力を買っているものと認識される。こうした企業の側の姿勢に対して、労働の側の抵抗もない以上、労働力の提供は時間単位ではなく、無定量のもの、すなわちサービス残業になっていく」

「仲間の労働力=商品が奪われ、しかも深刻な事態の発生が予想されているとすれば、これを阻止することこそ、労働組合の役割ではないか」

「サービス残業の阻止ーこれは、最低限度の労働組合のモラルであり、正義感情であると私は考える」

「現代労働の質的変化を抜きにしては年休権の拡大は考えることができない。長期間にわたって、労働からは断絶した私的生活を確立する。そのことによってストレスから解放され、心も身体もリフレッシュさせる。それこそが、バカンスであり、長期間の年休である」

「ヨーロッパの1980年代は、国も労も使も、人間が人間として生きるためには、年間少なくとも5週間、労働からの解放を保障する必要のある、ということを合意した時代であった」

「年休を満足に取らないこと、それは、自らの生命と健康を、切り刻み、家庭の平穏を捨てていることになる。年休は、疲労回復のためにだけあるのではない。労働という名の、他者からの支配・従属から離脱して、自分の時間として、自分の生活をエンジョイするためにある」

「年休権の保障こそ、8時間労働制と並んで、働く者の生存権『人間らしく生き抜く権利』の、中核的部分を占めている」

「私たちの国では、付与日数も短いのに、取得率が50%しかないという異常な現象が起こっている。これは結局のところ、年休取得を見込んだ人員の配置がないということにつきる」

「年休権は、生存権に直結した基本的な権利であり、労働の対価として付与されている。したがって、この権利の行使が適正になされるように使用者は要員を配置するなど、配慮する義務がある。このような人員配置がなされていないこと自体が、実質的には労働基準法に反する」

「年休権は、もともと、まとめて取る権利である。このことは、ILO132号条約(年休条約)が、最低三労働週は付与し、そのうち、二労働週については分割取得を許さないと定めていることからも、明らかである」

「労働から解放されて、自分の生活を取り戻すべき年休は、本来、まとめて取るもので、1日単位で取るべきものですらない。まして、半日、1時間単位などは『年休』の本来の取り方ではない。こんな取り方をしていて、取得率が高まるわけがない」

「年休権の連続取得の制度が日本にはない。これは年休の取得にとっては致命的であって、取得率を大きく下げる要因となっている」

「バカンスというものは、1週間くらいは経過しないと、本当の解放感が生まれてこない。2泊3日、3泊4日の、短い、ドタバタ旅行では、ストレスからの解放どころか、疲労がたまるばかりである。まとめ取りの大胆な採用なくして、年休の取得率アップもない」

「年次有給休暇の買取りは許されない。年休が消化できないということから、買取りをする企業がある。このようなことに協力しはじめると、年休は完全消化されない方向に逆行する。…努力すべきことは買取らせることでなく、消化させることである」