長久啓太の「勉客商売」

岡山県労働者学習協会の活動と長久の私的記録。 (twitterとfacebookもやってます)

乾孝 「伝え合い保育と集団主義」よりメモ

1960年代前半の論文です。考えるための自分用のメモ書きです。
すべて引用です。『乾孝幼児教育論集』(風媒社、1972年)より。


■教育は要するに「伝え合う」ことだし、その伝え合いが
効率よく組織されたところによく組織された集団の第一の
ねうちがある。

■コトバは、体験を他からうけとることができ、それに
よって目標を描くに足る力をもっているから、同時に
だまされ、見通しを謬らせるワナをそなえている。また、
言葉は目標を描き、現在の感覚的苦痛に耐えさせるほどの
力をもっているから、同時にコトバだけの充足感に
安住させるワナもそなえている。

■「命令」は、「相談」よりも低い伝えです。まったく
一方的で、イヌに対する合図と同様でさえあります。

■「説得」は、命令よりはましです。少なくとも、相手が
自分の意思で説得者の望む方向に進むように、相手の心を
動かそうとするわけですから、多少なりとも彼の気持ちを
理解しなければなりません。けれども、説得者は、いつも
自分の結論を相手に認めさせるという狙いの狭さに災い
されているので、その意味では自分を発展させることが
できません。力を合わせて真実を発見しようとするのでは
なく、自分が真実だと思っていることを相手に承知させる
ことに力点があるからです。

■伝え合いは、もう一段上の働きだといわなければなり
ません。誠実な伝え合いを経れば、Aがもっていた仮説が
Bに受け入れられるにしろ、それができなかったにしろ、
AもBもともにお互いに対する理解だけでなく、お互いと
2人の当面している課題との関係に対する相互の認識を
深めるからです。

■伝え合うとは何かの意味で、あるレベルでの協力をくむ
ためでした。伝え合いの質は協力の質につらなり、協力の
水準はそのグループの伝えあいの水準を規定します。

■まともな伝え合いのチャンネルが切れ、バラバラに孤立
した各人が、「上から」の一方的伝達に操作され、「生活」
からくみ上げた知恵を組織しそこなっている。