長久啓太の「勉客商売」

岡山県労働者学習協会の活動と長久の私的記録。 (twitterとfacebookもやってます)

考えたことをツラツラと

(いま書いている『学習の友』の連載4回目をどういう内容に
するのか悩んでいて、ツラツラ考えたことをメモがわりにツイート
しています。最近つぶやいたことをそのまま貼り付けます)

■自由時間とは「何をするか選べる時間」。必要な時間としては、
寝ることを中心とした休息時間。所得を得るために働く時間。
家事や育児や介護などの家事労働時間。24時間から必要な
「休息・労働・家事」を引いた「何をするか選べる時間」が
自由時間。働く時間や家事の時間が増えると自由時間が減る。

■1日の自由時間を確保することと同時に、休日を増やす
ことが大事。働かないということは、通勤時間もなく、拘束
される時間が大幅に減るので、家事や自由時間にかなりまわ
せる。自由時間は「その人らしさをつくる」時間でもあり尊厳。
人類の生産力からすれば1年の半分は休日にしてもよいと
ぼくは思う。

■「日本の労働組合は“賃上げ組合”で、それ以外の問題には割合
関心が低かったのであるが、これは、労働組合の指導部にも
責任の一端がある。というのは、賃金の問題でないとたたかえ
ないという先入観によってこれまで指導が行なわれてきたから
である」(藤本正『ストライキ』新日本新書、1971年)

■日本の労働組合が“賃上げ組合”だったという藤本氏の指摘
(40年以上前)は納得だけど、これにはジェンダー的問題も
はらんでいるのではないかと思ったり。つまり組合指導部は
男性が圧倒的で、「家族を養う」というジェンダー規範の影響。
労働時間短縮は生活問題で、自分の生活に疎かった男性労働者。

■いまは男性でもだいぶん意識が変わってきたところもあると
思うけれど。生活を大事にする男性増えた。でも労働時間の
規制が弱いから長時間労働になってしまっている状況がある。
あと組合役員のなかでの女性の比率をもっと上げれば、時短
要求や社会保障の要求も大きく進むのではないかと思ったり。

■ゆとりは人権 休みは人権

■人権とは、人間にとって不可欠なもの。

■8時間労働制は、雇われて働く労働者にとって「人権のかなめ」。
8時間以上働くことを拒否する権利と同時に、8時間働けば人間
らしく生活できるだけの賃金を得られる権利。職場だけでなく、
家庭でも地域でも生活できる時間の保障。

■長時間労働によって自由な時間、生活のための時間を奪われて
いる状況を、「人権侵害」と捉えられるような社会的合意を
つくりたい。

■時間外労働(残業)は雇用契約外であり、私的生活の侵害。しかし
労働者の立場は弱いから拒否しづらい。割増率(25%)が低すぎる。
賃金が安いので残業がなければ収入の面で窮屈になる事情も。
そもそも仕事量に対して人員が少なく契約時間内に終わらない。
そういう「おかしさ」が常識化している。

■サービス残業(賃金不払い残業)は、使用者自身が労働契約を
ないがしろにした行為であり、労働力商品の不当な窃盗である。