長久啓太の「勉客商売」

岡山県労働者学習協会の活動と長久の私的記録。 (twitterとfacebookもやってます)

ストライキとはなにか 学習会

きのう(25日)は倉敷医療生協労組の
「超入門!ろうどうくみあい講座Ⅱ」の第7回目、
「ストライキとはなにか」でした。

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わかもの4人が参加。ストライキのそもそもの学習会って、
あんまりされてないですよね…。
でも労働運動の歴史はストライキの歴史でもあるんですよ。

1886年雨宮製糸の女工さんたちのストライキや、
最近の世界のストライキも紹介。
医療労働者も1960年の全国的な統一ストライキがすごい。
当時全日赤の看護師で組合員としてストライキに
参加した川島みどりさんの回想を紹介しました。

参加者の感想はこちら。

■団結したら対等の立場になれるのだと思いました。
今、働きやすい環境、待遇もいいのは、がんばって
ストライキをおこしてくれた人たちのおかげなのだと
学べました。

■労働者は雇われる側なので、いつも弱い立場になって
しまうためストライキは要求の実現のための大切な手段
だとわかった。

■海外ではストがあたりまえだけど日本は知られていない。
ストをうつことを納得してもらうには地道に学習会をしたり、
説明しないといけません。

■学生の頃はストライキのことなんてまったく知ること
なく、考えることもなかった。就職して、いまの労働
条件が先輩方の勝ち取ってきたものなんだと知りました。


講義の概要は以下です。

一。労働条件を決める力。労働組合の必要性とストライキ論。
 
1。労働条件は、さまざまな要素の集合体―生活と働きやすさを左右する
  ◇いくら賃金をもらうか、働く時間はどれぐらいか、自分の希望する
   日に休めるか・・・。
  ◇休憩時間、仕事量、残業代、職場環境、配置転換、安全衛生、
   有給休暇、研修機会・・・。
  ◇職場内の雇用形態とその比重。ハラスメントはないか、差別はないか、
   ものが言えるか・・・。
  ◇妊娠・出産・育児にさいして、安心して休暇を取ることができるか。
  ◇きちんとした人員がいて、民主的な風土があってこそ、いい仕事もできる。

  ■労働基準法第2条「労働条件は、労働者と使用者が、対等の立場に
  おいて決定すべきものである」。ただじっさいは、労働条件を決め
  る力(先に提示できる力)は、使用者が持っている。雇用形態、
  人事権も使用者に決定力。

   「相対的過剰人口をバックとする労働者相互の競争にもとづいて、
   労働条件はいつでも雇主の一方的判断によって決定される必然性
   がある。われわれの生活している資本主義社会では、労働市場は、
   いつでも買手がかってに値段をつける買手市場なのである」
               (藤本正『ストライキ』新日本新書)

  ■労働者はひとりで労働条件の交渉(条件提示すること)ができない。

 2。労働力の安売りはしない。労働力の酷使もごめんです。
   だから、みんなで交渉・団結。
  ◇ストライキは、労働組合より先に始まった(歴史について)
   *18世紀のイギリス。産業革命。「雇われて働く人」(労働者)
    たちが急増した。
   *しかし、長時間労働、低賃金、首切り自由、セーフティネットなし、
    住環境悪く・・・
   *経営者の言われるがままの労働条件。最初の抵抗は「盗み」や
    「機械打ちこわし」。
   *労働者はバラバラではダメだと徒党を組み始めた。パブが拠点に。
   *みんなで助けあい(共済活動)。みんなで交渉。「これ以上安い
    賃金では働かない」と申し合わせ。使用者が譲歩しなければみんな
    で仕事拒否。
   *数が多い。「みんなで」を武器にすれば対等に近づける、雇用主に
    ものが言える!
   *労働組合結成。1799年団結禁止法。でも生活がある(尊厳)。
    弾圧のりこえ権利としての労働組合1824年。国の法律として
    争議権(ストライキ)をふくむ労働基本権が確立1906年。
    団結禁止法制定から100年以上。世界中にたたかいと権利が広がる。

    ★こうした200年以上にわたる先輩労働者たちの厳しくも熱い
     たたかいがあったからこそ、さまざまな人権や働くルール
     (労働法)が獲得され、私たちに「信託」(憲法97条)され
     ている。労働者の連帯は世代をこえる。

   *労働運動の歴史は、ストライキの歴史と言っても過言ではない。
    現在でも世界中の労働者はストライキを「最高のたたかう手段」
    にして要求実現のためにたたかっている。

  ◇ちなみに日本最初のストライキは、1880年代後半、製糸工場の
   女工たちによるもの。
   *1885年に山梨県甲府の製糸工場で、女工たちによるわが国
    最初のストライキ。
   *1886年には雨宮製糸工場の女工たち100人が近くの寺にたて
    こもり、明確な要求かかげてストライキ。
    ・県下の製糸業者が同業組合をつくり、「工女取締規約」を
     定めたことへの抗議。その内容は、(1)朝4時半~19時半
     の拘束15時間の長時間労働であること(2)遅刻、早退は
     もちろん、トイレ、水飲みの時間まで厳しく計算して賃金を
     差し引いたこと(3)「上等」工女で1日32.3銭であった賃金
     を22.3銭に切下げようとしたこと。
    ・「雇主が同盟規約という酷な規制をもうけ、わたしらを苦し
     めるのなら、わたしらも同盟しなければ不利になり、優勝
     劣敗の今日において、かかることに躊躇すべからず。先んず
     れば人を制し、おくるれば人に制せらる。おもうに、どこの
     工女にも苦情あらんが、苦情の先鞭(ほかの人よりも先に馬
     にむち打つこと=長久)はここの紡績工場よりはじめん、と
     いいしものあるやいなや、お松、お竹、お虎、お梅のめんめん、
     ひびきの声に応ずるごとく・・・」といっせいに職場を引き揚げて、
     近くの寺にたてこもったと、『山梨労働運動史』に紹介され
     ている。この争議では労働時間の短縮などの要求を勝ち取った。
    ・この雨宮製糸のストライキは、同じようなひどい規制で苦し
     められていた他の製糸工場へとひろがっていった。

二。日本国憲法で保障されている「団体行動権=争議権」
 
1。日本国憲法28条の、労働基本権(労働三権)
  ◇「勤労者の団結する権利及び団体交渉その他の団体行動をする権利は、
   これを保障する」
   *団体交渉権・団体行動権(争議権)は、労働組合にだけ認めら
    れている特別な権利。立場の弱い労働者に「これでがんばれ」と
    手段をあたえる趣旨。
   *団体行動権には、“争議行為”と“組合活動”が含まれている。争議
    行為とは、使用者の業務の正常な運営を阻害するいっさいの行為
    と広くとらえられている。

   ■「現実の労使間の力の差のために、労働者は使用者に対して不利
   な立場に立たざるをえない。労働基本権の保障は、劣位にある労
   働者を使用者と対等の立場に立たせることを目的としている」
           (芦部信喜『憲法 第5版』岩波書店、2011年)

 2。ストライキは“正当な脅し”
  ◇仕事を拒否するということは労働契約違反。でも認められている。
   *刑事上・民事上の責任はいっさい問われない。
   *労働組合法第8条「使用者は、同盟罷業(=ストライキのこと
    <長久>)その他の争議行為であつて正当なものによつて損害
    を受けたことの故をもつて、労働組合又はその組合員に対し賠
    償を請求することができない」

  ◇使用者も労働者に依存している―“正当な脅し”で、交渉力を対等に
   *使用者は労働者に「会社あっての労働者じゃないか」「おまえの
    替わりはいくらでもいるぞ」「いやならやめてくれ」と脅せる。
    だから労働者側も脅し返す必要がある。労働力の安売りはしま
    せん。酷使もごめんです。私たちの生活を考えてください。
    「いざとなったら私たち、申しあわせて、いっせいに職場に行き
    ませんよ、それでもいいですか」と。

  ◇ストライキは目的でなく手段
        ―要求実現のための団体交渉をバックで支える
   *仕事を放棄することは、やはり大変なこと。労働者だってほん
    とうはやりたくない。でも生活と仕事の尊厳を守るために。
    ストライキをすることが目的ではなく、交渉力アップのための
    手段。要求が団体交渉によって実現されれば、ストライキは回避
    できる。

 3。職場や社会を動かしているのは私たち
           ーストライキから「見えてくるもの」

    「ストライキが決行された空港の様子を見ながら私は、会社
    という巨大な組織を動かしているのは、1人ひとりの従業員で
    あることを思い知ったのである。それはとても新鮮な感動だっ
     た」
   (土井清『俺たちの翼-巨大企業と闘った労働者の勇気と団結』文芸社)

三。医療労働者もストライキの歴史あり
 
1。その出発点1960年の「病院スト」
  ◇1960年、初めての統一闘争「病院ストライキ」
   *60年秋から61年春にかけて、歴史的なたたかい「病院スト」に
    たちあがる。
   *330病院、3万人をこえる医療労働者が参加する。
   *あまりにも低い賃金と前近代的な労使関係に怒りを爆発させた
    医療労働者が、「無賃(ナイチン)ガールはごめんだ」と、
    劣悪な労働条件の改善、看護婦の結婚・通勤の自由、全寮制
    打破などを要求して、十数波におよぶ全国的なストライキを実施。

   *当時全日赤の看護師・川島みどりさんの回想(『女の自立』勁草書房)

    「全日赤傘下の私の病院でも、看護婦の労組加入はこの時期に
    かなり増えて、再び従軍看護婦にはなりたくないといった形で
    関心を高めました。一方、国立高田病院の看護婦の妊娠制限や
    妊娠割当などに反対するたたかいも、私たちの人権意識をよび
    さましたのです。
     こうした前段のたたかいから、あの全国に燎原(りょうげん)
    の火の如くひろがった医療統一闘争へとつながっていくわけで
    すが、私もやっと2歳になった長男をかかえて労組役員となり、
    教宣部長として、機関紙“いずみ”を復刊し、連日カベ新聞を組合
    掲示板に貼るなどの活動に取り組みました。看護婦の人権スト
    ともよばれたストライキは、生まれてはじめての体験でしたが、
    地域の労働組合からの支援の赤旗の林立する病院正面玄関の池の
    周囲、そして伝統の苔むした白い建物の屋上に労組旗がはため
    いた光景は忘れることができません。白衣に赤い腕章を巻き、
    スクラムを組んで、秋空にむかって歌った歌、“夜勤に疲れた重い
    足に、みんなで云い聞かそう夜明けがくる、人なみのしあわせ
    もとめて・・・”、みんなの頬(ほほ)から涙がつたわっていました。
     “看護婦が職場を離れるなんて!”“患者さんはどうなるの?”
    “私たちは看護婦よ、労働者じゃないのよ” 前日の夜を徹しての
    討論、そして団交による無責任な病院側の態度に業をにやして
    とうとう立ち上がったのでした。
     賃上げ闘争、週44時間労働の実施、増員、通勤の自由、時間
    外手当の支給、全寮制の廃止などが主な要求項目でした。世論
    もこの要求の正当性を支持して、病院の前近代的経営を批判、
    看護婦の人権を認めよという論調が新聞各紙にとりあげられま
    した」

    *病院経営者や政府からの弾圧、首切り攻撃、組合分裂攻撃も
     激しくなる
    *しかし、めざめた人権意識

    「いったい医療統一闘争は、私たちに何をもたらしたのでしょ
    うか。それは、看護婦が1人の人間として生きる権利を自覚し、
    それまで無理だとわかっていても上の人に対しては何もいえな
    かったのが、自分の意思をはっきりと述べることができるよう
    になったこと、そして、労働者の連帯や団結の大切さをひしひ
    しと体験できたことではなかったでしょうか。
     (略)のどもとすぎれば・・・のことばがありますが、こうした
    歴史的経過をみつめて、先輩たちの苦労によって獲得された諸
    権利を無駄にしてほしくないと思います」(川島みどり、前掲書)

   ◇もう1度確認・・・・・・ストライキの意味
    *「みんなの力」をバックに使用者に譲歩させる。労働条件の
     改善をせまる。
    *ストライキをつうじて、団結をつよめ、労働者としての人権
     意識を高める。人権はたたかいによって獲得されるもの。

  2。ストライキをじっさいに構えるうえで配慮する点
   ◇ストライキの目的・要求項目を、“組合員全体のものにする”
    *そのための職場集会・討論が大事
        ―「これだけは譲れない」要求の意思統一
    *ニュースやチラシなどの宣伝活動を徹底しておこなう
    *連帯感をつくりだす雰囲気づくりも大切に

    「ストライキはいつでも成功するとはかぎらない。これは
    労働者と資本家とのあいだの1つの階級闘争であって、両者
    の力関係によって、成功することもあれば失敗することも
    ある。これを規定する労働者側の条件とすれば、なにより
    団結の固さいかんである。団結が弱ければ、足もとをみすか
    されて、資本の譲歩をかちとることはできない」
              (藤本正『ストライキ』新日本新書)

   ◇患者さん・利用者さんへの配慮、ストライキへの理解を十分に
    *管理職の支持を得ることも大事
   ◇ストライキのそもそも論をしっかり学ぶ(学校で教えられていないため)