長久啓太の「勉客商売」

岡山県労働者学習協会の活動と長久の私的記録。 (twitterとfacebookもやってます)

『「女の仕事」のエスノグラフィ』 中谷文美さんの講義は今週木曜

『「女の仕事」のエスノグラフィ
    バリ島の布・儀礼・ジェンダー』
       (中谷文美、世界思想社、2003年)を読み終える。

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インドネシアのバリ島に20か月住みこみ、
生活をともにしながら、
村の女性たちの「3つの仕事」について調査。
「その生活にとけこんで」というのが、文化人類学の
フィールドワークの大前提なんですね。刺激を受けます。

3つの仕事とは、
バリ島の人びとの重要な営みである「儀礼」の供物づくり、
実際に収入を得るための「機織り」、
そして「家事・育児」という3つである。
この3つの領域を女性たちがどのように「組み合わせ」、
工夫し、悩み、エネルギーの配分をしているか。
ほんとうに丁寧な調査だ。生活のにおいが伝わってくる。

以下は、中谷さんの研究の問題意識の一端。

「生きること、働くことをめぐってバリの女性たちが
日々喜び、悲しみ、語る内容は、日本の女性たち1人
ひとりの経験と一致はしなくてもどこかで呼応する
もののように思えるのだが、どうだろうか」(終章)

「女性が二重役割をにないつづけることが前提となる
枠組があればこそ、女性は労働市場で二流の労働者
としての位置づけしか与えられないことになる。女性
と仕事の関係を規定するこの二重の二重性(自分のこ
なしている『仕事』が収入をともなう労働と収入を
ともなわない労働の二種類であること、そして自分が
職場と家庭の両方に同時に忠誠心をもたざるを得ない
こと)こそが、働く女性であればだれもが日々いだいて
きたはずの、『女の仕事にはきりがない』という実感
の根拠である」(はじめに)

「ジェンダーという変数をもちこむことによって、
仕事にまつわる議論はその定義自体を省みざるを得な
くなる。『仕事とはなにか』という問いから出発する
のではなく、『女がじっさいに日々していること』の
内容と意味をトータルに分析の俎上にのせようとした
とき、おのずと『仕事』と『仕事でないもの』の区分
にも疑念が生じることになるのである。なぜなら、
産業化社会の水準に照らして、経済的対価を支払われ
ない行為という意味で『仕事でないもの』の範疇に
入れられる家事・育児は、そうかといって『仕事』の
対極に位置づけられる『余暇』には相当しないからだ」
(はじめに)

「仕事という概念、仕事と仕事でないものの区別と
両者の関係性がけっして普遍的でないことをあきらか
にするとともに、女性の働き方や労働をめぐる女性
たちの自己意識、その労働にたいする周囲の評価と
いった問題が、いかに既存のジェンダー概念やより
広範な文化的規範と有機的に結びついているかという
ことを東南アジアの一社会から提示したい」(はじめに)

「もはや仕事というものへのこだわりは、おそらく
わたしのライフワークともいえる研究主題のひとつ
となりつつある。女が働くとはどういうことか、働く
ことと子育て、あるいは老親のケアの両立が女だけの
問題にすりかわってしまうのはなぜか、男女にかかわ
りなく、だれもの生の中でその二つの要素を無理なく
組み合わせていけるような社会はどんな社会か、と
いった問題を、人類学の視点を生かせる方法を模索
しつつ、今後は日本やオランダでも考えていきたいと
思っている」(あとがき)