長久啓太の「勉客商売」

岡山県労働者学習協会の活動と長久の私的記録。 (twitterとfacebookもやってます)

なぜ労働時間問題にこだわるか

今夜は県労おかやまの常任幹事会の
連続学習会2回目。テーマは「労働時間とはなにか」。

20分講義+討議10分の短い時間なので、
あれこれとお話できないのですが、
この問題を基礎学習の2回目にもってきたのにはワケがあります。

賃金問題は、いつの春闘でもいちばんの焦点ですし、
労働者の関心もそこに集中します。

「どれだけ働いたか」よりも「いくらもらったか」と
いうのが、労働者の眼前の要求です。
生活における賃金依存率が高い日本の労働者ですから、
ある意味必然ですが。

でも、労働者は「仕事の成果」を売っているのではなく、
「時間」を売っているのです。
自分の働くエネルギーを時間決めで「使っていいよ」と。
これは、学習しないとわかりません。

労働組合は徹底的に、「時間を売っているのだ」
という学習運動をしなければ、と思います。
賃金不払い残業は、賃金泥棒であると同時に、
時間泥棒なのです。

でもほおっておくと、
労働組合は賃上げのための組織である、と思われます。
結果、労働時間短縮の課題が弱くなります。

労働組合の目的は、
1人ひとりの人間らしい生活の実現であって、
その人間らしい生活の宿敵は、
「貧困」と「働きすぎ」です。

働きすぎは、生活をのっとります。
生活を押しつぶします。健康も壊す強い因子になります。

労働組合の歴史は、ものすごく荒っぽくいってしまえば、
この「貧困」と「働きすぎ」とのたたかいを
第1義的な課題として取り組んできた歴史でもあるのです。

また、この「働きすぎ」を防止するのは、
労働組合運動の発展という意味でも、きわめて重要です。

なぜなら、労働組合の活動は、
仕事以外の時間を基本的に使うわけですから、
長時間労働によって「自分の時間」が削られると、
優先順位がよっぽど高くなければ、
「自分のための時間」>「労働組合の活動に使う時間」
となります。当然です。
自分の少ない生活時間を削ってまで、労働組合の活動はしません。

「働きすぎ」を放置していれば、
「集まる時間」「主権者として成長する時間」
「新聞や本を読む時間」「英気を養う時間」も削られ、
運動のエネルギーが生まれない、蓄えられないのです。
にっちもさっちもいかなくなります。

とりわけ、日本の財界・政府は、労働時間問題については
「階級闘争のキモ」であることをよく知っているので、
ILO条約のなかの、労働時間に関する条約は
ひとつも批准していません。
「労働者にゆとりを与えると、運動への力になる」ことを
わかっているわけです。

こうした状況のなかで、
労働運動自身が労働時間問題で
おおきな運動を起こしていかなければ、
「働きすぎ」=「運動のエネルギー枯渇」となってしまい、
結果、団結力が失われ、賃金の底上げもできない、
というわけです。かなり単純に言ってますが。


「われわれは、労働日の制限こそ、それなしには改善と
解放のための他のいっさいの企てがむだに終わるような
予備条件であると考える。それは労働者階級、すなわち
あらゆる国民の基幹をなす多数者の体力と健康とを回復
させるために必要である。それは、知識的発達や社会的
交際や社会的政治的活動の可能性を労働者に返還させる
ためにも、それにおとらず必要である。われわれは、労
働日の法定限度として8労働時間を提案する」
 (1866年9月、ジュネーブの国際労働者大会の決議)


そんなわけですので、
労働組合は、労働時間問題をとりわけ重視して、
組合員教育も抜本的に強めて、「働きすぎ」を防止し、
たたかうための「ゆとり」を獲得する大闘争を
みずから起こしていく必要があるのです。