長久啓太の「勉客商売」

岡山県労働者学習協会の活動と長久の私的記録。 (twitterとfacebookもやってます)

「このクラスには暖かい手の持ち主がたくさん」

きのう(9日)の午後は、
ソワニエ看護専門学校での3回目の授業。

読書日記では徳永進医師の
『どちらであっても』(岩波書店)を紹介。

がんばる×がんばらない
告知×非告知
無駄×効率

などの「反対言葉」が臨床の場では群生し、
一方的に「正解」「正義」を決めつけないという
態度・姿勢について考えられる本です。

講義では、「私の手について」というテーマでの
個人発表でした。
それぞれのエピソードや経験をふまえつつ、
手についてはじめて意識したという発表も多く、
また他の人の発表も気づきが多かったようです。


以下、感想文の一部です。

■みんなの「手」のエピソードがきけて、
みんなの普段は見えない気持ちが垣間見えて
おもしろく、温かい気持ちになりました。

■みんなが考える「手」、すごく面白かった。
そして感動した。37人、手は74もあるの
に、一つ一つに全部ちがう思い出がある。

■クラスの人の手へのメッセージを聞き、その
人それぞれの思いが伝わりました。「手」は
とても大切で人の気持ちを伝える役割もあると
思います。これから人の役に立てる「手」に
なりたいと思います。

■手が色々なことができるのと同様に、1つの
テーマがあっても、いろんな考え方や伝え方が
あっておもしろいなと思いました。

■手はあらゆる場面で使い、良い思い出も悪い
思い出も記憶に残るツールになることをあら
ためて感じました。感触による思い出、刺激に
よる思い出、嫌な思いも、明るい未来に向かう
バネになればいいなと思いました。もちろん、
これからもお世話になる「手」ですが、ただ
使うのではなく、頭と一緒に使い、有効にして
いきたいです。

■今回の課題で、改めて手について考えること
ができた。また、他の人の手にたいするメッ
セージやエピソードを聞き、何気なくいつも
使っているけれど本当に大切なものなのだと
思えた。もっと大事にしようと思う。

■「わたしから『わたしの手へ』というメッ
セージ(手紙)」という同じ課題でも、作文風、
手紙風、話し口調。発表の仕方も緊張で声が
震えている人もいれば、自分の話に笑いなが
らの人、先生と会話しているかのようにアイ
コンタクトをとりながらの人もいた。1つの
課題でも人数分の受け取り方、表現の仕方に
個性が出ていて、同じ「手」の話×38でも、
退屈さを感じたりしなかった。

■手についてのみんなの作文をきいて、人それ
ぞれの思いがあるなあと思った。それと同時に、
周囲の為に使ってあげたいと言っている人が
多くて、このクラスは暖かい手の持ち主がたく
さんいて、いいクラスに居れて良かったと思った。