2日(土)と3日(日)は、
広島にて、学習運動中国ブロック学習交流会。
鳥取をのぞく4県から27名が参加しました。
今回のブロック企画のテーマは、
「『廣島』と『ヒロシマ』~広島の2つの顔について考える」です。
広島県労学協が、2011年に出版したこの本の主旨を
フィールドワークと講義で学ぼうという中身でした。
2日の1日目はまず、
平和公園内の追悼平和記念館で、
被団協事務局次長の大中伸一さんのお話。
1945年8月6日の広島への原爆投下と実相、
被爆者とは、核兵器禁止条約まで、コンパクトに
まとめたお話でありました。大中さんは被爆2世の方です。
その後、「軍都廣島と被爆地ヒロシマの戦争遺跡」を
めぐるフィールドワークへ。約2時間の行程。
案内していただいたのは、広島労学協理事の清水章宏さん。
そう、あの清水さんです(わかる人にはわかる)。
*碑巡り・戦争遺跡ガイドは
広島平和都市記念碑・祈りの像・旧大正屋呉服店・
原爆の子の像・韓国人原爆犠牲者慰霊碑・納骨堂・原爆ドーム
*広島城に移動し
聖蹟の井戸・歩兵第11連隊の碑・池田勇人銅像・大本営跡・
護国神社・中国軍管区司令部地下作戦室
とまわりました(清水さんのFBより拝借)。
あまり多くないですが、写真を中心にご紹介。
広島平和都市記念碑の前。天気は快晴です。ちょっと暑かった。
原爆の子の像の前で。
さすが清水さんでありまして、
たいへん詳細で視点のたしかなガイドでした。
平和公園から、広島城まわりへ。
こちらは、歩兵第11連隊の碑。
広島の部隊があった場所。この敷地に2000人もいたのだとか。
近代日本の早い時期に創設された部隊で、
各地を転戦した記録が碑にきざまれておりました。
大本営跡。1894年の日清戦争のとき、
明治天皇とともに広島に大本営が移設されたのだとか。
ここで天皇が実際に暮らしていたそう。側室も連れて・・・。
中国軍管区司令部地下作戦室。
ここでは、8月6日の原爆投下前に、
空襲警報がならなかったといわれるが、実際には
どうだったのか、の解説が。清水仮説が語られました。
ということで、写真では全箇所の紹介ができませんでしたが、
とくに広島城のあたりの「軍都であった廣島」の顔を
学ぶフィールドワークは、貴重で学ぶことの多いものでした。
このあと、宿泊場所に移動し、
清水さんから、
「軍都廣島 軍隊が生活の中にあった時代と現代」という
テーマでの特別講演。
軍隊というものが、いかに都市のありようや人々の生活に
影響を及ぼすのかが、とてもよくわかりました。
また現在の、ありがとう自衛隊キャンペーンや、
自衛隊誘致、さまざまな動きは、
軍隊が生活の中にある世界への復帰ともいえると、
警鐘をならされたことが印象的でした。
清水さんの荷物から次々と飛び出してくる
「実際がわかるグッズ」に、参加者はびっくりの連続。
まさに清水さんにしか語れない内容の講演でした。
ありがとうございました。
1日目の企画は以上でおわり、
夕食、お風呂、さらに部屋での交流と続き、
22時半頃?には健全におひらきでした。
翌朝。お宿からの眺め。この日も快晴!
9時より、広島県労学協理事の橋本和正さんより、
「日本軍マレー半島華僑虐殺」のお話。
広島の歩兵第11連隊の小隊長としてマレー上陸作戦、
そしてマレー半島での華僑虐殺に関わった橋本忠氏が、
和正さんの叔父にあたる方だったそうです。
その後、BC級戦犯裁判で、死刑の判決が出、処刑されたそうです。
おじさんの経歴、華僑虐殺とは何だったのか、
BC級戦犯裁判のこと、
2012年に和正さんがマレーシアの戦跡をめぐり、中国系住民と
交流したことなどが語られました。
広島の部隊が起こした事、また身近なおじという存在が
その当事者だったこと。侵略の歴史と向きあうこと。
橋本さんの貴重なお話に、参加者は聞き入りました。
さらにさらに、2日目の後半は、
高村よしあつさんによる「1時間でわかる弁証法」の講義。
弁証法とは何か、
弁証法は目の前の情勢やたたかいを分析する最良の道具であること、
現代日本の階級闘争について、
個人の尊厳をめぐるたたかいにふれ、弁証法的にとらえる
ものの見方の大事さを語られました。
ヘーゲル研究を蓄積されてきた高村さんならではの、
弁証法に対する強い確信と意義が参加者に伝わりました。
その後の質疑でも、活発に意見交換がされました。
ということで、
2日間の充実の学びと交流でした。
岡山からの参加者は5名と少なかったですが、
移動中よい交流もできました。
準備に尽力された地元広島のみなさん、
ほんとうにありがとうございました。
来年のブロック企画は、同じ時期に、
山口県で開催の予定です。