『学習の友』9月号に、
「安心して伝えあえる空間を~憲法21条の実践」
という短い文章を書きました。以下です。
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「日本人には、長い封建主義の習慣から、頭ごな
しの強い意見を主張するものがあると、つい『さわ
らぬ神にたたりなし』といった気持ちで、言うべき
ことも言わずに、それに従ってしまう傾きがある。
労働組合の中にそのような傾向があらわれると、組
合はやがて少数のボスに占領されてしまう。組合を
動かすものは、組合員全体の盛り上がる意志でなけ
ればならない」
これは、一九四八年に中学・高校用教科書として
使われたものを復刊した『民主主義―文部省著作教
科書』(径書房)からの引用です。
労働組合の討議、運営にかぎらず、「言うべきこ
とを言わない」というのは、よくよく考えてみると、
「言うこと」に対するさまざまなブレーキが働いて
いるからです。自らの言葉を発することに対して、
いったいどんなブレーキが働くのでしょうか。
言ったことに対して、即座に「あほか」「なに言
ってんだ」「無理無理」と否定されると、次に意見
を言う気力を奪います。使用者や強い立場に対する
意見は、あとで不利益な扱い・圧力を受けることも
あると思います。自分の意見を表面するということ
は「危険なこと」となるのです。何を言ってもまず
は受けとめること、何を言ってもいいんだという人
間関係をつくること、意見表面をした人を守る人間
集団をつくることが大事です。
次に、言ったことで責任をひとりで負わされるこ
と、これはキツイです。言わなければよかったとあ
とで後悔します。意見表面をして問題提起をするこ
とは、自分で何もかも引き受けることとは違います。
もちろん発言への責任はともないますが、発言する
ことが重荷になっては、自由なアイデアも出ません。
出た意見については、みなで議論し分かち合う、と
いう組織文化が求められます。
そもそも、日本の学校教育では、人と違った意見
を言うことをあたりまえに受け止めるというトレー
ニング機会が不足しているように思います。人間関
係には、かならず強弱があり、強い人の意見、声の
大きい人の主張、経験豊富な人の説得的な話が優先
されがちです。でも、それでは一人ひとりの思いが
引き出されず、民主主義的運営が遠のきます。民主
主義はつねにそうした緊張関係とのたたかいをふく
んでいます。
憲法21条には、集会・結社・言論・出版・その
他いっさいの表現の自由がうたわれています。集ま
る、話しあう、書きあう、伝えあいを継続する、こ
のことを基本的人権として確認しています。これは、
一人ひとりが人間らしく生きていくうえで不可欠な
自由であると同時に、集団や社会に民主主義(一人
ひとりがものごとの意思決定に参画できること)を
浸透させるうえでとりわけ大事なことだからです。
安心して伝えあえる空間・人間関係をつくるには、
日頃のコミュニケーション、討議人数や空間配置、
安全安心な場であるという雰囲気づくりが欠かせま
せん。それを目的意識的に追求しましょう。民主主
義は、みんなで育てあうものであり、しみ込ませて
いく努力をつねに怠ることはできないのです。