月刊誌『学習の友』のエッセイ4回目(2月号掲載)です。
第4回「回り道の時間」
「道くさの貧困化」という言葉に出会ったのは、10
年前、『子どもの道くさ』(水月昭道、東信堂)という
本を読んだときでした。子どもの道くさに寄り添い、分
析し、居住福祉の視点で子どもの発達にとっての「道く
さの意義」を説かれていて、目からウロコ。
現代社会では、空間・時間・仲間の「3つの間」が乏
しくなり、子どもが道くさを展開しにくくなっています。
みなさんの住んでいる地域で、子どもたちは道くさでき
ているでしょうか。
ここでいう道くさとは、「目的(地)に向かって進む
途中で、他の事に時間を費やすこと」(『岩波国語辞典』
第5版)。目的からそれてしまうわけですから、積極的
に「道くさどうぞ!」と言う先生や親はいません。
「なぜ道くさは社会的に見て悪者のように扱われるの
だろうか。二〇世紀の価値観とのかかわりに注目したい。
前世紀は、効率追求型の社会のなかで何ごとも合理的で
あることが好ましいことのように信じられてきた。・・・
(道くさは)効率の対極にある無駄、合理の対極にある
非合理と見られても仕方のないことと言えなくないだろ
うか。かくして道くさには悪者のレッテルが貼られてい
ったように思えるのだ」(『子どもの道くさ』)
子どもに限らず、もともと人の一生は目的にまっすぐ
向かうような単線ではありません。じぐざぐ、うねうね、
後戻り、そして回り道もしながら、無駄をたっぷりふく
んだ時間であるはずです。でも、資本は一直線に「利益」
という目的をめざし、無駄を許しません。資本の時間に
社会が支配されてしまったとき、人間の時間は貧困化し
ます。山田洋次監督の映画『十五才 学校Ⅳ』より「浪
人の詩」を紹介して終わります。
草原のど真ん中の一本道を/あてもなく浪人が歩いて
いる/ほとんどの奴が馬に乗っても/浪人は歩いて草原
を突っ切る /早く着くことなんか目的じゃないんだ /雲
より遅くてじゅうぶんさ/この星が浪人にくれるものを
見落としたくないんだ/葉っぱに残る朝露/流れる雲/
小鳥の小さなつぶやきを聞きのがしたくない/ だから浪
人は立ち止まる/そしてまた歩きはじめる