月刊誌『学習の友』のエッセイ5回目(3月号掲載)です。
第5回「時間の節目、時間の色」
近代看護の基礎を築いたナイチンゲールは、後輩
たちに次のようなメッセージを送っています。
「新しい年のくるたびに、私たちひとりひとりは、
自分のあり方を『棚おろし』して吟味してみようで
はありませんか。そうして常に、自分の看護のあり
ようを、良心の計りにかけてみようではありません
か。・・・(略)。
この新年の『棚おろし』の方法としては、つぎの
ように自分に問いかけてみようではありませんか。
『自分はこの仕事を選んだときの心の動機を今でも
保ち続けているだろうか? 自分はこの仕事をたん
に毎日過ぎればそれでよいものと考えてはいないだ
ろうか? 自分は今でもこの仕事を神に与えられた仕
事だと思っているだろうか? たんなる惰性によっ
てではなく、自分のためや名誉のためでもなく、引
具をつけられた家畜のように、他の人がしているか
ら、仕方がないから自分もするというのでもなく、
本当に他の人々の幸せのために、日常の仕事にひた
すら励んでいるだろうか?』」(『看護婦と見習生
への書簡(6)』1878年)
ナイチンゲールらしい厳しさがありますが、私は
この文章を読むと、いつも自分の背筋がピンとなる
のです。
でもここで考えたいのは、その内容よりも、「新
しい年」を節目として自分のありようや立ち位置を
考えるという、人間の時間の使い方です。新年、新
年度、誕生日、○○記念日、創立○○周年・・・。人は、
時間の節目にたったとき、過去を振り返ったり、新
しい目標を立てたり、時間の流れのなかで自分(た
ち)のありようを検討したりします。「今日はあの
震災から何年・・・」というような悲しい出来事も、
立ちどまってその出来事の意味を捉えなおし、記憶
の継承をしたりします。時間の節目を意識するので
す。
きのうも今日も明日も、同じ1日、同じ24時間
です。時間は無色透明、万人に均質です。でもそこ
に自分なりに意味をつけ加えていく。色を塗ってい
く。過去や現在、そして未来も、人それぞれ、自分
なりの「時間の色あい」を持っていると思います。
みなさんにとって、2019年はどんな色の時間
になるでしょうか。