長久啓太の「勉客商売」

岡山県労働者学習協会の活動と長久の私的記録。 (twitterとfacebookもやってます)

ぶらり、時間散歩 (第5回)

月刊誌『学習の友』のエッセイ5回目(3月号掲載)です。


第5回「時間の節目、時間の色」

 
近代看護の基礎を築いたナイチンゲールは、後輩
たちに次のようなメッセージを送っています。
 「新しい年のくるたびに、私たちひとりひとりは、
自分のあり方を『棚おろし』して吟味してみようで
はありませんか。そうして常に、自分の看護のあり
ようを、良心の計りにかけてみようではありません
か。・・・(略)。
 この新年の『棚おろし』の方法としては、つぎの
ように自分に問いかけてみようではありませんか。
『自分はこの仕事を選んだときの心の動機を今でも
保ち続けているだろうか? 自分はこの仕事をたん
に毎日過ぎればそれでよいものと考えてはいないだ
ろうか? 自分は今でもこの仕事を神に与えられた仕
事だと思っているだろうか? たんなる惰性によっ
てではなく、自分のためや名誉のためでもなく、引
具をつけられた家畜のように、他の人がしているか
ら、仕方がないから自分もするというのでもなく、
本当に他の人々の幸せのために、日常の仕事にひた
すら励んでいるだろうか?』」(『看護婦と見習生
への書簡(6)』1878年)
 ナイチンゲールらしい厳しさがありますが、私は
この文章を読むと、いつも自分の背筋がピンとなる
のです。
 でもここで考えたいのは、その内容よりも、「新
しい年」を節目として自分のありようや立ち位置を
考えるという、人間の時間の使い方です。新年、新
年度、誕生日、○○記念日、創立○○周年・・・。人は、
時間の節目にたったとき、過去を振り返ったり、新
しい目標を立てたり、時間の流れのなかで自分(た
ち)のありようを検討したりします。「今日はあの
震災から何年・・・」というような悲しい出来事も、
立ちどまってその出来事の意味を捉えなおし、記憶
の継承をしたりします。時間の節目を意識するので
す。
 きのうも今日も明日も、同じ1日、同じ24時間
です。時間は無色透明、万人に均質です。でもそこ
に自分なりに意味をつけ加えていく。色を塗ってい
く。過去や現在、そして未来も、人それぞれ、自分
なりの「時間の色あい」を持っていると思います。
 みなさんにとって、2019年はどんな色の時間
になるでしょうか。