長久啓太の「勉客商売」

岡山県労働者学習協会の活動と長久の私的記録。 (twitterとfacebookもやってます)

ぶらり、時間散歩 (第8回)

『学習の友』の時間エッセイ8回目です(6月号掲載)。


第8回「ゴロ寝の権利、怠惰への賛歌」

 
2匹の猫と生活しています。「猫はいいなあ」と
思うことが頻繁にあります。なんといっても、「し
なければならないこと」がない。時間を意識的に使
って目的を果たす、ということもない。ひたすら自
分の好きなように過ごす。たいていはお気に入りの
場所で寝てる。気ままに寝られるということの幸福。
やっぱりうらやましい。
 マルクスは「時間は人間発達の場である」といい、
未来社会は自由時間が飛躍的に増え人間の全面的発
達が可能となる、という言われ方もします。でも、
その「意義」にちょっとだけ違和感。自由な時間っ
て、なんにでも使える時間だから、別に「発達した
い」と皆が思わなくても、「猫のようにひたすらダ
ラダラ過ごしたい」という時間の使い方も「あり」
なんではないかと。
 故・藤本正弁護士の『時短革命―ゆとりある私的
時間』(花伝社)には、ゴロ寝のススメが。強く共
感したのを覚えています。
 「休日、休暇の朝。昼食近くまで眠り、肘を枕に、
二時間もかけて、半開きの目でうとうとと新聞を読
む。その快感はいいようもない。『ゴロ寝』は無趣
味な人間の、気の利かない余暇の過ごし方のように
いわれてきた。しかし、そんなものでは断じてない。
日本の働く者は、まず、休日、休暇にゴロ寝をすべ
きなのだ」「ゴロ寝で充電したあと、本を読めばい
い」「時間が余り、自然に『本が読みたくなる』
―それだけの時間がなければ『余暇』とはいえない」
 目的をもって、凝縮した時間の使い方ができるの
も人間ゆえだし、それが人間社会を発展させてきた
とも思います。でも、ゴロ寝したっていいし、ぼん
やりしてもいい、終日怠けてしまってもいい、とも。
どのように使ってもいいのが自由時間、なのですか
ら。勤労は美徳だ、さあ朝活だ、スキマ時間の活用
だ、目標管理だ、となっているみなさんに、もっと
怠けてもいいよ! とお伝えしたい。
 「おお、〈怠惰〉よ、われらの長き悲惨をあわれ
みたまえ! おお、〈怠惰〉よ、芸術と高貴な美徳の
母、〈怠惰〉よ、人間の苦悩の癒しとなりたまえ!」
(ポール・ラファルグ『怠ける権利』平凡社)