相方が難病ALSとなって3年が過ぎた。
つまり私の介護生活も丸3年になる。
診断から半年は進行が早く、どうなることかと思ったけど、
今はゆるやかで、生活も体調も落ち着いている。
3年もたつと、この生活に完全に慣れて、
あれ?以前はどうだったけ?と思い出せないくらいである。
1年通してほとんど来客がなかったわが家に、
毎日ヘルパーさんはじめ、入れ替わり立ち代り人がこられる。
生活時間はきっちり決まっていて、
休みの日だから遅めに起きようか・・・はできない。
つねに相方中心に時間がまわるわが家。
でも、もう完全にこれが普通なので、どうとも思わなくなった。
「介護はたいへん」は事実そうであるけれど、
わが家はサポート体制が充実していて、
たいへんさの分散が上手くできている。
重度訪問介護サービスの時間数が今年さらに増えたことで、
身体的・精神的負担、両方とも減った。
具体的には、ワンオペ時間が激減したのが大きい。
もちろん細かいバトルは毎日のようにある。
こちらも生身の人間。
疲れているとき、ちょっとサポタージュしたりする。
でも命に関わるからストライキをすることはできない。
そうした緊張関係がベースにある生活。
でも、たくさんの人の手助けに支えられ、
この状態が続けばいいな・・・と思える生活。
そう思える介護者はまれかもしれない。
余裕もない、疲れはてて声を発せない介護者は
全国にあふれているのがこの国の現状だと思う。
家族や地域に介護責任を押し付けるこの国の政治。
「当事者とは、『問題をかかえた人々』と同義では
ない。問題を生み出す社会に適応してしまっては、
ニーズは発生しない。ニーズ(必要)とは、欠乏や
不足という意味から来ている。私の現在の状態を、
こうあってほしい状態に対する不足ととらえて、
そうではない新しい現実をつくりだそうとする
構想力を持ったときに、はじめて自分のニーズ
とは何かがわかり、人は当事者になる。ニーズは
あるのではなく、つくられる。ニーズをつくると
いうのは、もうひとつの社会を構想することである」
(中西正司・上野千鶴子『当事者主権』岩波新書)
これからも、介護の当事者として、
声をあげていきたいと思う。