長久啓太の「勉客商売」

岡山県労働者学習協会の活動と長久の私的記録。 (twitterとfacebookもやってます)

今日は「介護の日」ということで

相方が難病ALSとなって3年が過ぎた。
つまり私の介護生活も丸3年になる。
診断から半年は進行が早く、どうなることかと思ったけど、
今はゆるやかで、生活も体調も落ち着いている。

3年もたつと、この生活に完全に慣れて、
あれ?以前はどうだったけ?と思い出せないくらいである。

1年通してほとんど来客がなかったわが家に、
毎日ヘルパーさんはじめ、入れ替わり立ち代り人がこられる。
生活時間はきっちり決まっていて、
休みの日だから遅めに起きようか・・・はできない。
つねに相方中心に時間がまわるわが家。
でも、もう完全にこれが普通なので、どうとも思わなくなった。

「介護はたいへん」は事実そうであるけれど、
わが家はサポート体制が充実していて、
たいへんさの分散が上手くできている。
重度訪問介護サービスの時間数が今年さらに増えたことで、
身体的・精神的負担、両方とも減った。
具体的には、ワンオペ時間が激減したのが大きい。

もちろん細かいバトルは毎日のようにある。
こちらも生身の人間。
疲れているとき、ちょっとサポタージュしたりする。
でも命に関わるからストライキをすることはできない。

そうした緊張関係がベースにある生活。
でも、たくさんの人の手助けに支えられ、
この状態が続けばいいな・・・と思える生活。

そう思える介護者はまれかもしれない。
余裕もない、疲れはてて声を発せない介護者は
全国にあふれているのがこの国の現状だと思う。
家族や地域に介護責任を押し付けるこの国の政治。

「当事者とは、『問題をかかえた人々』と同義では
ない。問題を生み出す社会に適応してしまっては、
ニーズは発生しない。ニーズ(必要)とは、欠乏や
不足という意味から来ている。私の現在の状態を、
こうあってほしい状態に対する不足ととらえて、
そうではない新しい現実をつくりだそうとする
構想力を持ったときに、はじめて自分のニーズ
とは何かがわかり、人は当事者になる。ニーズは
あるのではなく、つくられる。ニーズをつくると
いうのは、もうひとつの社会を構想することである」
(中西正司・上野千鶴子『当事者主権』岩波新書)

これからも、介護の当事者として、
声をあげていきたいと思う。