昨夜(21日)の93期岡山労働学校第8講義、
「人間の時間について」のレジュメです。
一。人間にとっての時間とは
1。人間にとっての時間の意味
◇時間のなかで生きている。時間を認識できる。意識して生活する。
*暦を作り出してきた人類。太陽や月と環境の周期性を認識することで。
*時計の発達。個人が時計を持つようになるのは近代社会以後。
「われわれにとって時間とは、なにより時計が刻むものとして
イメージされ実感されている。しかしこのようなありかたは、
じつはそれほど歴史をさかのぼれるわけではない」
(福井憲彦『時間と習俗の社会史』新曜社、1986年)
「人はそれぞれの時代と社会のなかで、時間の処理のしかたや
時間についての意識において、それぞれ固有の枠組みを形成し
ている・・・。さらに角度をかえれば、時間の組織だてを支配す
るものは、人びとの時間意識や社会生活を、かなり左右しうる
ということでもある」(同上)
◇手持ち時間(寿命)は限られている。他者との時間も有限。
*死を認識できるのが人間。自分が生きていることを知りながら
生きている。
*そこから、どう生きるかが、問題になってくる。それは、
どう時間を使うのかと重なる。
◇過去(歴史)から学べるのが人間。現在の生き方によって過去や
未来の意味は変わる。
「人間にとって、いったん生きられたその過去というものの
意味は、もう決まってしまってどうしようもない、というも
のではなくて、それは現在の生き方いかんによって、その意
味を変えられることができるということです。人間にとって
過去と未来は、現在によってその意味をえてくるのだからです」
(真下信一『時代に生きる思想』、新日本新書、1971年)
◇時間主権―自分の手持ち時間を、自分の使いたいように使えること
「『豊かに生きる』には、いろいろな意味づけ、内容がある
だろう。私は、『豊かさ』を決めるカギの一つは、『時間を
使う』か『時間に使われるか』にあると思っている。…どう
やったら時間をアゴで使えるようになれるかをいつも考えつ
づけている」
(中沢正夫『「死」の育て方』情報センター出版局、1991年)
*自由に選べる(使える)時間の確保。ゆとり。
2。労働者という時間と、生活者という時間。
◇労働時間の長さの幅について
*社会を成り立たせている活動であるため、平均労働時間をゼロ
にはできない。
*労働時間は、歴史的に変遷を繰り返してきた。
*資本主義社会では「資本の時間」が人々を支配するようになる。
長時間労働の蔓延や効率重視の過密時間。24時間型社会。
*自分の時間を使用者(資本家)に売るのが、雇われて働く
“労働者”。資本の時間に組み込まれる。労働時間の長さを
決めるのは力関係。8時間労働制はたたかいの成果。
*仕事の時間も、「人間らしい時間」にするためには、労働運動
が不可欠。
◇休日・休暇(職場に行かなくてもいい日)
*疲労回復の意味が大きかった20世紀以前。仕事のための休日。
*余暇時間の価値の認識が発展。有給休暇制度の獲得。
20世紀の100年で大きく前進。
「現代労働の質的変化を抜きにしては年休権の拡大は考え
ることができない。長期間にわたって、労働からは断絶し
た私的生活を確立する。そのことによってストレスから解
放され、心も身体もリフレッシュさせる。それこそが、
バカンスであり、長期間の年休である」
(藤本正『時短革命』花伝社、1993年)
「年休を満足に取らないこと、それは、自らの生命と健康
を、切り刻み、家庭の平穏を捨てていることになる。年休
は、疲労回復のためにだけあるのではない。労働という名
の、他者からの支配・従属から離脱して、自分の時間として、
自分の生活をエンジョイするためにある」(同上)
*ILO(世界労働機関)の年休条約(1970年)
→年間3労働週(うち2労働週は分割してはならない)。
日本は未批准。
*連続休暇を取る訓練をしよう。職場の「余暇文化」を変え
るのは①労働組合による休暇獲得のたたかい、②1人ひと
りの余暇実践、③余暇という価値への国民的共通理解。
二。人権としての“余暇”を考える
1。余暇の意味の再確認―「豊かさ」のとらえ方の発展。人権として。
◇働くこと(有償&無償労働)から離れた時間
*何にもない、何でもない空白の時間。効率が求められない時間。
*「労働の後に入手する余暇という考え方ではなく、余暇は独自
な存在意義がある」(瀬沼克彰・薗田碩哉編/日本余暇学会監修
『余暇学を学ぶ人のために』世界思想社)
*自然のなかで生きる。受けとめる時間。余暇は「新しいつな
がり」を紡ぐ時間。仕事上の人間関係とはちがう関係性。
お金やモノ、効率が介在しない関係性。
*文化。学問や芸術を生み出す時間。または享受する時間。
*スポーツ、映画、娯楽。
*社会参画の土台
―社会運動・労働運動・ボランティアなども余暇時間が必要
◇余暇の種類―平日余暇、週末余暇、長期余暇、退職後余暇
◇定年も自分で決める―生活は年金で保障せよ
*年金や社会保障制度が脆弱な国では、「働き続けること」を
強制されやすい。それは、自分の人生の時間の剥奪。
年金支給開始年齢を70歳に? 時間泥棒から時間を守ろう。
◇私が私でいられるための自由や権利=人権。余暇は人権。
人権は勝ち取るもの。
*労働時間短縮のたたかいを労働組合で
(歴史的にも、労働運動の中心は時短闘争)
*「人間はじぶんの時間をどうするかは、じぶんできめなく
てはならない・・・。だから時間をぬすまれないように守る
ことだって、じぶんでやらなくてはいけない」
(ミヒャエル・エンデ『モモ』岩波少年文庫)
2。労働組合の活動、社会運動・政治運動の活動時間について
◇基本的には自分の時間を使う。活動時間が増えれば自分の時間が減る。
*貴重な自分の時間との天秤にかけられる宿命
◇でもそれは、「犠牲の時間」ではない。主体性と当事者意識がカギ。
*他者から強制される時間と、自分で選び取った時間は、時間の
意味あいが変わってくる。
*自分の大切なものを守るために、自分の大切なものを使う活動。
*その人の生き方・価値観と、活動の目的が合致したとき、
活動時間も「自分の時間」に。
*活動への納得と共感、当事者性をもてるように学びを保障。
あわせて、「また来たい」「楽しい」「自分がだせる」
「成長できた」「元気になる」「つながりが増えた」も
たっぷり味わう活動にしたい。時間の「使いがい」があったと
感じる活動に。
◇他者のための時間も、自分の時間になる。人間のすばらしさ。
「寿命というわたしにあたえられた時間を、自分のためだけ
につかうのではなく、すこしでもほかの人のためにつかう
人間になれるようにと、私は努力しています。なぜなら、
ほかの人のために時間をつかえたとき、時間はいちばん生き
てくるからです。時間のつかいばえがあったといえるからです」
(日野原重明『十歳のきみへー九十五歳のわたしから』
冨山房インターナショナル)
さいごに:人間にしかできない時間の使い方
*意識的に集まることによって時間を共有する。
集まることによって多くのものを生み出すことができる。
*労働学校もそうです。集まっているからこそ、おもしろい場になる。