長久啓太の「勉客商売」

岡山県労働者学習協会の活動と長久の私的記録。 (twitterとfacebookもやってます)

ずっとやっている「人間の手について」

きのう(1日)は15時より、
ソワニエ看護専門学校での今年度2回目の授業。
テーマは「人間の手について」。
もうずっとやっているテーマですが、
学生さんにとっては新鮮な学びになるようで、
感想文読むと、こちらも気持ちあらたになります。
以下、一部を紹介します。

■「手」について、こんなに考えたことなかったです。手にはたくさんの役割や意味があるのだと思いました。私は「手」というのは、自分のためでもあり、相手のためでもあると考えています。困っている人にも手をさしのべたり背中をさすったり、自然とそういうことができるような人間でありたいです。


■手について考えたことなかったけど、手1つでこれだけのことが出来るんだと改めて考えることができました。これからも、死ぬまでつき合っていく手を大切にしていこうと思いました。寝る前に手をまじまじとみつめてみようと思います。


■「手」でできることが、こんなにあるのかと驚きました。何かをしようと思うと、「手」をたくさん使うことを実感しました。「癒しの手」の担い「手」になるために、どんどん勉強をしていこうと思いました。


■「手」は意識していないだけで、たくさんのことをしているなと思った。「手」には癒しの力や不安を低下させる効果があり、自分も「他人の手」に助けられたことがたくさんあるなとあらためて思いました。


■自分たちは何も考えなくても書くやつかむなどの動作を行っているんだなと思った。無意識って不思議だなと思った。だいたいのものは人の手にあわせてつくられていて、逆で考えると、自然の物は手にあわせてつくられていないと分かった。支えが必要な人に対して手を差し伸べる、背中に手を添えるだけでも安心感を得られたりすることが知れた。


■手について考えたことはなかった。でも、手はいつも奥に心が控えているというのがとても印象的だった。


■人と人とのつながりはコミュニケーションだけだと考えていたが、「手と手で触れあう」という新しい考えも加わった。


■手はすごく便利だけど、時には人を傷つける。でも、手のおかげで、誰かがすくわれたり、自分がすくわれたりします。手は、持ったり、にぎったりする行為をするだけでなく、人と人の心をつないだり、癒されたりします。自分の手を上手に使い、誰かのために、誰かの力になりたいです。


■今日の授業で、「つくる」がないことがすごく気になった。一人ずつ例をあげていって、とても大きなとても大事なであろう「つくる」が誰も発表しなかったところが気になっていた。手についていろいろ考えさせられた。


■今日の授業はとても楽しかった。手は様々なことができるんだなあと思った。世界は手に合わせてできていてすごいと思った。


■この授業を受けて、手はいろんなことに使える体の一部であることを知れた。また自分のためだけでなく他の人を支える力を知れてよかったです。


■黙っていても手で感情が伝えられる。赤ちゃんのつるつるの手とおばあちゃんのシワシワの手でも、疲れている時に手をにぎってくれるだけで疲れがとれる。手はすばらしいものだ。


■手仕事の不思議について書かれてあり、私はアンティークや骨董品が好きなのですが、好きな理由が現代にない職人の手仕事にひかれているからだと改めて思いました。時代を超えて職人や過去に使っていた人と心を通わせられるものだと思いました。実際に、物理的でなくても『手をさしのべる』という行為はとても重要で、「助ける、寄り添う、救う、支える」といった意味が込められていると思いました。それにより、精神的に落ち着き、安らぎ、穏やかになると思いました。看護の看という漢字に『手』が含まれているのはまさにこの意味で、技術以外でも手をさしのべる看護師になりたいと思いました。


■普段、意識してなかったけれど、“物”は、手の形にあわせてつくられていることに気づいた。助け合うこと、支えあうことの意味をもっと深く考えていきたい。絵本や詩を読んでもらって「あ~」と感じることが多くしっくりくる感じがした。手について、今日から意識ができそうです。


■手は人に対してあらゆる効果があることが分かった。手には愛情とぬくもりを与えることができる。自分がここまで大きく成長できたのは、親の手から愛情をもらったからこそだと思う。自分1人ではどうにもならないし、生きてはいけないから、人の手には大きな力があるんだと心にしみた。反対に大きな心のキズもつくることができる力をもっているから、自分の手は人を助けるために使っていこうと思った。


■いつも、この授業で、自分でも気にしたことのない点に気づかされます。私は、幼い頃から祖母に育てられましたが、子育てを終えて孫である私まで育ててくれた手は、すごくボロボロですが、今でも安心できる手でもあります。コロナが収まった時にもう一度、しっかり手を見ます。

f:id:benkaku:20210601142959j:plain