「人生は美しい」と言える余暇文化を
きのう(1日)午後は、
オンライン連続講座「労働組合たんけん隊2024」の第2講義土曜回。
リアルタイムで22名の参加。
「休日賛歌—休日・有給休暇・余暇の意味を考える」をテーマに、
休みは人権、日本の有給休暇制度の現状と課題、余暇の意味、
まとまって休むには文化的能力が必要、労働組合の役割、という流れ。
日本では、こういう「余暇」の意味を学ぶこと自体が少ない。
だから労働者も「まとまった休み」の意味を語れない現状がある。
感想交流でも出された「現場の実情」とのギャップは大きい。
「休めない理由」が次々と頭に思い浮かぶ。
だからこそ、「休む」ことを議論の俎上にのせ、
「人生は美しい」と言える余暇文化を日本でもつくりたい、と思う。
第2講義の感想を紹介します。
■国際的基準を休暇について考えてみたこともなかったので、
目から鱗でした。日本は本当に遅れていると思いました。
バカンスというものを取りたい!
■講義を聞いて、外国と日本では休みに対する意識や感覚が
こんなにも違うのかと驚いた。「休みが取れない、とりにくい」と
嘆くばかりでなく、どうしたらみんながお互いにしっかり
休めるかを考えていきたい。
■休みの取り方について考える時間になりました。休暇を
全然とれていない現状なんだということに驚きました。
休みについて、とりやすいように1人ひとりが考えて
いくことが大切だということも学びになりました。
■子ども時代から「気晴らしのできる能力」を養うことが
不可欠という話があり、子どもにもくつろぐ権利や
のんびりする権利があったりと子ども時代の過ごし方にも
影響があることがわかりました。自由時間があっても
何かしなきゃ、どこかへ行かなきゃという志向になって
しまいがちなので、のんびり過ごす時間を作っていきたい
と思いました。
■お話の中にあったように、職場の有休取得率の低い原因が、
まさに、「人員ギリギリ、休むと職場の仲間に迷惑、
自分の仕事がキツク…」その感じです。私自身も、そういう
環境に慣れてしまい、完全に毒されているなと感じました。
休みの日も、家事に無償労働に明け暮れ、だらだらする
こともままならないですが、今回のお話を聞き、有休を
捨てずにしっかり休んでダラダラしようと思いました。
若い職員は特に、用事や、体調不良でしか休んでは
いけないと思っている節があるのでみんなの意識を
変えていきたいと思いました。
■2週間の休暇がとれたら・・・きっと日本人の多くは
戸惑ってしまうんでしょうね。最後には罪悪感さえ
抱いてしまうかも(私は完全にそっちのタイプ)。
特に日本人は、資本主義のなかで、知らず知らず、
社会における価値は働く事で、休むことにあまり意義を
見いだせなくなってしまったと思います。休日や休暇に
対する意識は、労基法などの法律をしっかり学んだり、
世界のスタンダードやその歴史を知ったりしていく
ことで変えていかないとならない。そして、意識を変えて、
実践=行動していくことが必要と分かりました。
1ヶ月ものバカンスがとれるなんて所詮外国でのことと
諦めるのは簡単だけど、(森の中のおじさんのように)
休みを豊かな時間として自分の中に取り込んでいくには
努力がいるんだなと。休むことに対する新たな視点というか、
自分では考えもしなかったことに気づくことができました。
休むことは労働者の権利、労働者を休ませることが
雇用者の義務。大切な自分のための権利を行使するのは
自分自身だと気づいていけるよう、伝えたいと思いました。
■「忙しすぎると社会の出来事に関心を持てない」との
話にすごく共感しました。気持ちにゆとりがないと目の前の
しないといけないことしか見えないと思いました。
■日本では、有給休暇をまとめて取ると「職場の仲間に
迷惑をかける」と取りにくい雰囲気があるが、有給が取り
にくい人員配置であることが問題であり、余裕のある
人員配置を求めていく必要をあらためて思いました。
■2 週間連続休みがあったら、リフレッシュでき、人生も
豊かになるだろう、仕事ももっとがんばろうと思えるだろうな。
■私は以前、営業会社に勤めていたことがあり、有給休暇制度
があることは知っていましたが、上司含め誰もとっていま
せんでした。冠婚葬祭の時や、どうしても休まなければ
ならないときしか使えないような雰囲気の職場でした。
有給休暇を申請すると、なんで休むか聞かれました。
有給休暇を申請する時は、理由を言わなくてよく、雇用側も
きいてはいけないとは初めて知りました。今の働き方に
なるまでは、諸先輩方の運動があったおかげでここまで
きているので、やはり声をあげていかなければ何も変わって
いかないのだと思いました。
■休み方を考えることが必要だ、と『休暇のマネジメント』
という本の中で触れられていた「休み方」とは、次の仕事を
考えて休みを取るのではなく、休むために休むのが重要で
あると捉えました。休みは人権と講義の中でも言われ、
長久さんが「日本は特に有給休暇や休むこと自体について
2週遅れている」と言及されていましたが、全くもって
その通りだと感じています。これは私が知っている職場
だけに限らず、日本の多くの労働者が同様に「休みづらい
状況」にあるのではないかと思います。講義で触れられ
ていましたが、休んでいるゆとりがないと、社会参画も
難しい状況になります。勿論、社会のことを考え政治を
意識し……というのはとても重要なことですが、生活する
ことで・生きていくことで精いっぱいな人は自分の
生活に政治が直結していると考え・活動することは
難しいでしょう。私はこの話を聞いていて、冒頭の
「2週間休みがあったら……」と繋がるようにミヒャエル・
エンデの『モモ』を思い出しました。幼少期読んだ
ものなのであまり鮮明な記憶ではありませんが、
主人公のモモが暮らしている街の人々が、どんどん
時間泥棒たちの手によって自分の時間を盗まれ人が
変わったようになっていきます。当時は『時間泥棒が
街の人たちの時間を盗んでしまったから、その人たちの
余裕が無くなって性格が怖くなっているんだ』程度に
思っていましたが、今思い返すと正に余暇時間が
なくなった人の末路を表現していると理解しました。
自分の余暇がある。何もしない時間があることで初めて
社会参画するための活動家たる時間を取ることが出来る。
このサイクルが崩れると、人から考える時間を奪い、
人権を尊重しない社会に繋がってくるのだと学びました。