長久啓太の「勉客商売」

岡山県労働者学習協会の活動と長久の私的記録。 (twitterとfacebookもやってます)

健康で文化的な制定限度の生活、はうまっち?

きのう(22日)午後は、
ソワニエ看護専門学校での今年度11回目の授業。
読書日記では小児科医の先生の本を紹介。

講義は前回に続いて憲法の人間観について。
尊厳についてふれたのち、
「健康で文化的な最低限度の生活」とは、
所得でいえばどれくらい必要? と問いかけ、
わいわいと一緒に考える。

4人家族、子どもは小学校と保育園と仮定し、
「いくら必要?」と投げかけ。
「20万」「25万」「30万」「50万」などの答え。

さらに具体的に
住居費、食料費、水光熱ガス、通信費、交通費、
医療費、保育料、子どもに関わる費用、被服費、
趣味にかかる費用、その他その他考えていく。

「20万じゃ無理」という声や「30万でもキツイ」
という感覚がでてくる。
「せんせー、そんな水準の生活できてる人のほうが少ないよ」
という声も。

というわけで、働いても生活カツカツになる現状、
社会保障の貧困、声をあげないと、という話に展開していき…。
まあ語りきれない部分は多々ありましたが、
現状への疑問や問題意識を憲法をつうじて
育てるひとつのトレーニングになればいいなと。

にしても、学生さんからは
「映画館じゃなくてTSUTAYAでいいじゃん」
「散歩を趣味にすれば」
「子どもの塾やスポーツクラブは最低限度じゃない」
などの意見もあり、
人間らしい生活を構想する力が
奪われているんじゃないかと思ったり。

まあ難しいところではありますが。
もっといろいろ話をしてみたいなあ。

思ったよりバタバタの8月後半。あれれ。

病み上がりで本調子でない気もしますが、
やらねばならない仕事はあれこれとあり、
ふんばってお仕事中。

これからソワニエ看護専門学校での
今年度11回目の授業です。

明日(23日)はちょっとだけ事務所に出ますが、
夕方長野に移動です。
24日に長野と富山で講師仕事、
25日は金沢の祖父母に久しぶりに会いに行きます。

そんなわけでなかなか腰を落ち着けての
仕事はまだまだできそうにありません。はい。

せめて、早く涼しくなってほしいなり。

今年初のダウン。とにかく寝た。

土曜日(19日)、まさかの発熱。今年はじめて。
一時39.9度まであがる。こんなにあがるのも久しぶり。
熱しか症状がなかったので
まあ寝とけば大丈夫かなとひたすら寝た。

そんな土曜日は、わが家で写真の会がとりおこなわれる。

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相方の親友と職場の後輩が来訪し
後輩くんの青森旅も聞くという会。
あれやこれや語られていたが、
ぼくはひたすら寝ているという(+_+)。

日曜になって37度を下回りだいぶラクに。
仕事のない週末でよかった。
借りていたDVD『アイヒマン・ショー』『ゲルニカ』を観る。

今日から無事に復帰。

平和ゼミナールで戦争との距離を考える

木曜日(17日)は、
岡山県民医連の第5回平和ゼミナールの2回目。

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事前学習の感想交流をしたのち、
「戦争との距離―生活と人権の視点から」
というテーマで私が講義をしました。

なぜ平和問題との距離が生まれてくるのか、
戦争を知るとはどういうことか、
基本的人権の角度から平和を考える、
日本人の平和思想をつくってきた憲法、
などなど。あれやこれや。

ちょっとまとまりない講義になってしまいましたが、
ゼミ生の受けとめがしっかりしていて
救われているような。

でも今年度はまだちょっと全体的におとなしめ。
これからだんだんと打ち解けてくるとは思いますけど。

次回は文献を選んでの独習発表交流です。

バッタを、抑止力、哲学する、弱者の、人間は

最近読み終えた本。


『バッタを倒しにアフリカへ』(前野ウルド浩太郎著、光文社新書、2017年5月)

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これ、めちゃくちゃ面白い。
若き昆虫学者がアフリカのモーリタニアへ。
砂漠の国で悪戦苦闘のバッタ研究。
楽天的かつ柔軟、学者としてのバイタリティーにも刺激を受ける。

なにより、これだけ「好き」なものを持てるって
幸せなことだとも思う。

「憧れた人を超えていくのは、憧れを抱いた者の使命だ」(370P)

「夢を語るのは恥ずかしいけど、夢を周りに打ち明けると、
思わぬ形で助けてもらえたりして流れがいい方向に向かって
いく気がする。夢を叶える最大の秘訣は、夢を語ること
だったのかなと、今気づく」(372P)


『抑止力のことを学び抜いたら、究極の正解は「最低でも県外」』
         (鳩山友紀夫×柳澤協二、かもがわ出版、2017年7月)

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元首相と元防衛官僚との対談。
その当事者でしか語れないことがあってふーむという感じ。
第2章「抑止力とは何か、それは沖縄に必要なのか」が
中心ポイントかなあ。


『哲学する〈父〉たちの語らい ダウン症・自閉症の〈娘〉との暮らし』
             (竹内章郎・藤谷秀、生活思想社、2013年)

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ともに哲学を専攻する研究者であるふたりの著者が、
障がいをもつ娘さんとの暮らしや
そこで感じてきたことを経験的に語りあう。
深い考察と率直な葛藤が入り混じる良書。


『「弱者」の哲学』(竹内章郎、大月書店、1993年)

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これまた深く有意義な学びだった。
能力差による処遇差別を克服するものの論考。

「能力の個別実態的な把握や個体能力論の是非(中略)。
この問題は、社会保障の根本に及ぶだけでなく、
人間観の根幹にも触れるきわめて大きな問題」

この本については、またいずれ
メモなどとってまとめていきたい。


『人間はだまされるーフェイクニュースを見分けるには』
              (三浦準司、理論社、2017年6月)

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メディアリテラシー入門。わかりやすく読みやすい。
そして現代社会に生きる人の必須知識。

「間違った知識には気をつけよ。それは知らないことより危険だ」
(ジョージ・バーナード・ショー)

わが家のにゃんずはスター。

お盆はほとんど自宅で過ごしました。
こんなお休みの仕方はほんと久しぶりです。

ところで、
最近新しくこられた訪問リハビリのPTさん。
昨日もにゃんずにメロメロで「かわいいっ」を連発。
「光のかげんで目が青くみえるんですよ」と
青い目写真をみせると
「え~!」と信じられないかわいさといった反応。

わが家のにゃんずは2匹とも人あたりよいし、
来訪者との話題の中心は必ずにゃんず。

まさにスターです。

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りくです。

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りんです。

明日から5日間お休みです。

久しぶりに事務所でゆっくりしている。

あ、いや、
やらなければならないことはあるのだけれど。
それを脇にそっとおいて、
事務所で本を読んでいる。

仕事中に学べるって、ほんと特権。
そういう時間があるという幸せ。
いろいろ新しい考えや発見が生まれる。

いまは社会保障について学び、考えている。
学んだことを、たくさんの人に伝えるのがぼくの役割。
さて、成果はいかに。


明日から15日までお盆休み。
ブログもそのあいだはお休み。

「思いを引き出す技を取り戻す」

『学習の友』8月号論文、
「“物言えぬ社会”と憲法・表現の自由」(佐貫浩)よりメモ。
32P~33Pの部分。


表現の自由は、二重の構造を持っています。
1つは、縦軸の、上からの権威や権力との関係
(それに対する対抗)としての表現の自由です。
もう1つは横軸における表現の自由です。今日
ではこの2つの局面の不自由さが相互に補完し
合い、強め合っているのです。
 横の関係における表現の自由が、大きく抑制
され、表現をシュリンクさせています。表現と
は人と人との間に、自分を登場させる行為です。
その空間がその表現を励ます仕組みを持たず、
さらに異質性へ攻撃の矛先を向ける性格をもつ
とき、表現は、それが縦軸における抵抗に向か
う前に、挫折させられ、その力を奪われてしま
います。そして公共的な空間に、新しい価値を
提示し、権力に異議申し立てをする力や勇気を
奪われてしまいます」

「自己の人格をそのなかに刻み込んだ、自己の
尊厳の中核としての自己の思いをそのなかに組
み込んだ表現を、まず横の関係のなかにおいて
どう交流し合うかが問われています
 ジュディス・ハーマンの『心的外傷と回復』
(中井久夫訳、みすず書房、1996年)は、戦争
神経症、レイプ、虐待、いじめ、等々の心的外
傷を背負わされた人々、暴力によって安全を奪
われ、自己の表出を極力避ける閉寒の中にしか
生きられず、その意味ではまさに表現を奪われ
た人々、自分を他者との関係のなかに押し出す
勇気も自信も奪われた人々の病理を解明してい
ます。そして、その中に、他者に自分を表面し
て良いのだ、自分の思いを表明して他者との関
係を紡ぎ直しても良いのだ、そうしても攻撃さ
れない安全と共感の空間がいまあなたの周りに
作られつつあるのだという表現回復の場と安心
を提供し、人間性の自己回復の過程を紡ぎ出し
ていく方法を『ケア』として提起しています。
私たちは、今こそ、その方法に依拠して、各人
のなかにある根底的な人間としての思いを引き
出す技を、取り戻す必要があるのです。
 個の心理の内奥まで及んで侵された表現の自
由を、まさにその人格の根底から回復していく
戦略を、そしてそれを縦の関係においる表現の
自由へとつなぎ合わせていく方法を、どう創り
出していくのか、いまそういう共同を日本社会
に創り出せるかどうかが問われているのではな
いでしょうか」


後半の「技」「戦略」という表現が、
そうだな、と思いました。

これって、学校の教育空間への警鐘の文章ですが、
労働運動やさまざまな社会運動の組織にも
あてはまることですよね。

自分たちの組織のなかで、自由な表現ができなければ、
権力に異議申し立てをする力なんて育ちませんし、
その勇気を支えあう人間関係はつくれません。

佐貫さんの大事な指摘と受けとめました。

労働組合入門の連載を『友』で

また気軽に引き受けてしまった。

『学習の友』の10月号から、
労働組合入門の4回連載を書くことに。

秋に発売予定の『労働組合たんけん隊』も
あるので、ちょっと違った角度から書かないとなあ、
と思ったり。

1回1回は長い字数でもないのですが、
だからこそ難しさも。
でもまあ、書きながら新しい発見をしていきたい。

それが書く楽しみであり、
原動力のひとつでもありますから。

とりあえずお盆に1回目書いちゃお。

8月6日を広島で

きのう(6日)は、中学3年生のめいっこと
広島に行ってきました。
この日に広島に行くのは久しぶりです。

新幹線で9時40分頃に広島駅に到着。
ただちに移動して、まずは本川小学校へ。

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爆心地近くの小学校で、教職員と児童約400名が亡くなりました。
鉄骨の建物が被爆当時から保存されていて、地下にも生々しい
当時の傷跡が展示されています。
ふだんは予約しないと入れませんが、
8月6日前後は一般に開放されていて、誰でも入ることができます。
この日もたくさんの見学者の方が訪れてしました。

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めいっこは、原爆資料館には2回ほど行ったことがあるようですが、
この小学校は初めてで、真剣に展示をみていました。

その後は平和公園内を説明しながらうろうろ。
原爆供養塔の前で一緒にお祈りをしました。

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こちらは韓国人原爆犠牲者慰霊塔。
2万人の朝鮮の方が犠牲になったといわれています。

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72年前のこの日、広島では1人ひとりの生活があり、
人生がありました。
だから被爆体験もその苦しみも、1人ひとり違います。
個別の怨念、個別の悲嘆、心の傷もそれぞれです。
原爆は人を選びません、生活を選びません。
無差別で抽象化された人間の破壊。
人間と相いれない核兵器は、なくすしかありません。

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午前中は、快晴。72年前の8月6日も快晴でした。

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爆心直下の島病院。この上空580メートルで原爆が炸裂。
その真下が命をまもる病院だったということは、
原爆の無差別性を象徴することだったと私は思っています。

この日、広島は最高気温37度の酷暑。
ちょっと歩いただけでバテテしまいます。

ひと通り見たあと、めいっこと喫茶店に入り休憩し、
お昼はラーメンをすすりました。
いろいろ話もできてよかったです。

午後からは、原水爆禁止2017年世界大会の広島集会がある
グリーンアリーナへ。

13時開始ですが、岡山県の参加者の結団式があり、
12時からの集合でした。

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岡山からの参加者は220人。なかなかすごい数です。

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そして広島集会。全体で2000人の参加だったそうです。
今年の本大会(比重が重い)は長崎なので、
会場を埋め尽くす参加者! ではありませんでしたが、
核兵器禁止条約が国連で122か国の賛成で採択されたことが、
大会全体の方向を明確にし、画期となる集会だったと思います。

ただ2時間半のあいだ、聞きっぱなしというのは、
ちょっとキツイなとも感じました。
もうちょっと参加者が一体になれるような運営工夫が必要かなと。

いずれにせよ、
8月6日を広島で過ごせたことは貴重でした。

引き続き、核兵器廃絶のために、
自分にできることをやっていきたいと思います。

生協労組分会長研修から九条美術展へ

土曜日(5日)の午前中は、
生協労組おかやまの新分会長研修4回目。
この日が一番人数多く、グループに分けての交流も。

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私からは、いつもの労働組合そもそも話。


午後は、岡山9条美術展の憲法学習会で講師。

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憲法の背負っている歴史や理念、9条2項がもってきた役割、
最近の安倍改憲動向、
主権者としての憲法感覚を鍛える問題まで、
あれこれあれこれ1時間ほど。

みなさん熱心に聞いていただき、若干の質疑応答も。
これからも地道に憲法学習会を広げる必要ありですね。

西日本民医連看護教職員研修交流会にて

今日は朝から大阪に移動。堺にある泉州看護専門学校へ。

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築ウン十年で、近々移転するそうです。

午前中、
西日本民医連看護学校教職員研修交流会にて講師仕事でした。

民医連が母体になっている看護学校が
西日本には4校あって(京都・大阪・岡山・福岡)、
その教職員さんが集まって年1回の1泊研修会。約50名の参加。
その冒頭での講演でした。

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「生活と労働から疾病をとらえるー看護教育に期待すること」
をテーマにあれやこれや90分。
理念をもっていることの意味について強調しました。

お土産にとらやの羊羹をいただきました。
でも残念ながら寄り道なし。
さきほど岡山にとんぼ返りで帰ってきました。ふう。

以下、講義の大枠です。

一。生活と労働をどうとらえるか
 1。上田耕一郎「現代の生活における貧困の克服」(1963年)より
  ◇生活は小宇宙。かけがえのないもの。価値基準。
  ◇しかし、他人の生活は目にみえない。

 2。生活の「小宇宙」を図に表してみる試み
  ◇自分らしい生活を「選べる」こと―ゆとりが条件
  ◇生活は人権

 3。生活は、壊れるリスクがある
  ◇自然災害、原発事故、戦争・・・。
   労働問題。生活の宿敵は「働きすぎ」と「貧困」。
  ◇生活が壊れるのを防ぐのは政治のおおきな役割(憲法の要請。社会権)

二。民医連看護と「生活と労働の視点」
 1。私自身の最近の経験から

 2。組織の「理念」「価値観」「ものの見方」がある意味
  ◇「生活と労働から疾病をとらえ」(民医連綱領)
  ◇議論するなかで共有され、1人ひとりにしみ込んでいく

 3。民医連看護を支え・補強する「ものの見方」
  ①現象から本質へ。結果から原因へ。木も森も見る。
   ―認識の深化への努力。
  ②憲法の人間観―「個人の尊重」(13条)、「個人の尊厳」(24条)
  ③矛盾がある

 4。国民の命と人権、生活を置き去りにする政治(安倍政権)
  ◇「いのちや健康にかかわるその時代の社会問題にとりくんできました」
   (民医連綱領)
  ◇社会や政治を知らなければ、さまざまな背景をせおう人間を
   看ることはできない
  ◇人権感覚をとぎすませ、仲間とともに民医連だからこその取り組みを

三。看護教育に期待すること
 ◇私が看護学生さんと向きあうなかで考えていること
 ◇自分自身が対象に憧れ続ける情熱