長久啓太の「勉客商売」

岡山県労働者学習協会の活動と長久の私的記録。 (twitterとfacebookもやってます)

則武真一さん。岡山県学習協の初代会長でした。

先日の「しんぶん赤旗」に、則武真一さんの
訃報が掲載されていました。
10月2日に亡くなられたとのこと。

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則武さんは、1963年に創設された岡山県学習協の初代会長。
2003年の「創立40周年企画」のさいに、
自宅にうかがって直接、当時のことを聞く機会をいただきました。
当時のようすを楽しそうに語られたお姿を今でも思い出します。

またそのとき、「40周年に寄せて」を寄稿していただきました。
則武さんのご冥福をお祈りし、その一文をここに再掲します。


県学習協40周年に寄せて
         
岡山県労働者学習協会 初代会長 則武真一

 
岡山県労働者学習協会が誕生して40年になるそうです。
創立時に会長をひきうけたので、そのころのことを思い出
して一文を寄せます。ともあれ、きびしい職場環境のなか
で労働者の学習運動に取り組んでこられた皆さん方のご苦
労をねぎらい、運動をいっそうの発展を期待しています。
 1960年といえば安保闘争と三井三池のたたかいをま
ず思いだします。この2つのたたかいを通じて、それまで
の経験主義的な労働運動から脱皮し、労働者の団結をもっ
ともっと拡げていかなくてはならないことに気づきました。
マルクスが『共産党宣言』のなかで強調しているように、
労働者は「時々しか勝利しない。しかし、真の勝利の基準
はたたかいを通じて拡がっていく団結である」、というこ
とを日本の労働者が身をもって自覚しはじめたのです。
 そのためには学習をしようという機運が高まりました。
学習することを独自の任務にした学習運動組織の結成が全
国的に提起されたのです。
 私は山陽新聞労組の委員長をしていたので、労働組合の
強化をはかる立場から、職場に『学習の友』による学習会
を組織してがんばりました。県学習協は、私が会長、事務
局長は自治労県本部書記長の鴨川俊作さんでした。県学習
協の任務は『学習の友』の配達、集金、職場へ学習会を組
織したり、学習会のチューターの要請があれば派遣するな
どです。このほか中央から有名講師をよんで、数百人規模
の学習講演会を度々開きました。職場学習会を基礎にして、
学習講演会参加者の職場へも学習会をつくっていきました。
 学習会運動が労働組合の強化に果たした役割を資本家も
いち早く察知、アカ攻撃、労働組合への分裂攻撃をしかけ
てきました。不当解雇、不当配転などありとあらゆる攻撃
が学習グループにかけられました。しかし、一部をのぞい
て、その多くは解決されました。
 学習運動40年の歴史に誇りをもって、『知を力』に、
21世紀の展望をきりひらいていきましょう。