『わたしだって看取れる』(徳永進、KKベストセラーズ、2013年8月)
を読み終える。
鳥取の「野の花診療所」の徳永進医師の最新刊。
この人の本からは、いつも多くのことを教えられる。
死と向きあうことが日常の臨床の現場は、
一筋縄ではないかないことばかり。
だから、とても弁証法的なのだ。
「砂漠に迷い、水を失った人が井戸に出会ったように、
飢えに飢えた人がおにぎりにかぶりつくように、逝く人は、
日常を味わうこと、暮らしの心を感じることに、しあわせを
感じるのだ。健康なときより、もっと強く純粋にしあわせを
感じられるのだ。
だったら、ぼくの臨床は、『食う』『眠る』『歩く』を大切に
しよう。
『空』『星』『風』『木』『海』『鳥』『花』を味わえるようにして
みよう。
『おぎゃあ』『汗』『涙』『おはよう』『おやすみ』『お帰り』
そういう言葉をたくさん言えるようにしてみよう。
そう思った。」(52P)
「『必ずしもそうとは言えない』という言葉を心に用意
しておくことが、臨床を渡るには欠かせないと思う。
臨床は『必ずしもそうとは言えない』だらけだから」(133P)