きのう(7日)の夜は、
第86期岡山労働学校「超入門! 資本論教室」の
第5講義でした。17名参加。
いつもと違う、ちょっとせまい部屋でした。
テーマは「労働力という商品」。
いまの日本の労働者の現状などもふまえて、
労働力商品の所有者である労働者という
存在について深めていきました。
【以下、第5講義の概要です】
はじめに:今日のポイント
①労働力という商品とは何かをつかむ
②労働力商品を再生産し続けなければいけない。その条件とは。
一。前回のおさらい
◇商品とは
◇商品の価値の大きさはどうやって決まるか
◇商品経済が発展してくると、貨幣が生まれる。
◇貨幣所有者は、市場で「労働力」という商品を見いだす
-資本への転化の出発点
二。資本は自己増殖する価値
◇どこから「もうけ」は生まれるのか???(搾取のひみつ)
*この運動の目的は、貨幣の増加、つまりより大きな貨幣(価値)の獲得。
*しかし、商品流通のところでは、価値は増えない。
*その秘密は、「労働力」という商品の秘密にある
→ところで、搾取の仕組みは来週の講義・・・
三。労働力とは何か?
1。労働者は、労働力という「商品」を時間決めで売っている
◇「労働」と「労働力」は違う
*「労働」は、生産手段(土地、建物、機械、原材料など)と
労働力が結び合わされないと行なえない。
労働者は、「労働」は売れない。
*「労働力」は、労働者の体に備わっている、
身体的精神的エネルギー・働く能力の総体のこと
「われわれが労働力または労働能力と言うのは、人間の
肉体、生きた人格のうちに実在していて、彼がなんらかの
種類の使用価値を生産するそのたびごとに運動させる、
肉体的および精神的諸能力の総体のことである」
(『資本論』第4章「貨幣の資本への転化」新書版286P)
◇「奴隷」と「労働者」の違い
*奴隷はその肉体、人格もふくめて、人間まるごとが商品。
奴隷主の所有となる。
*労働者は、自分の体に備わっている「労働力」のみを
資本家に売る。
「労働力の所有者が労働力を商品として売るためには、
彼は、労働力を自由に処分することができなければな
らず、したがって自分の労働能力、自分の人格の自由な
所有者でなければならない。労働力の所有者と貨幣所
有者とは、市場で出会って互いに対等な商品所有者と
して関係を結ぶのであって、彼らが区別されるのは、一方
が買い手で他方が売り手であるという点だけであり、した
がって両方とも法律上では平等な人格である。この関係
が続いていくためには、労働力の所有者がつねにただ一定
の時間を限ってのみ労働力を売るということが必要である。
というのは、もし彼が労働力をひとまとめにして全部一度に
売り払うならば、彼は自分自身を売るのであって、自由人
から奴隷に、商品所有者から商品に転化するからである。
人格としての彼は、自分の労働力を、いつも自分の所有物、
それゆえまた自分自身の商品として取り扱わなければならない」
(『資本論』第4章「貨幣の資本への転化」新書版286~287P)
2。自分の労働力以外に、「売るものありません!」=労働者という存在
◇「はたらく人」=「労働者」ではありません。
◇お金の手に入れ方の違い
*生産手段をもっているか。どの程度もっているか。
*自宅では基本的に働けない人。雇われ組。
生産手段のもとに出勤する人。
「貨幣を資本に転化させるためには、貨幣所有者は商品
市場で自由な労働者を見いださなければならない。ここで、
自由な、と言うのは、自由な人格として自分の労働力を
自分の商品として自由に処分するという意味で自由な、
他面では、売るべき他の商品をもっておらず、自分の労働
力の実現のために必要ないっさいの物から解き放されて
自由であるという意味で自由な、この二重の意味でのそ
れである」
(『資本論』第4章「貨幣の資本への転化」新書版289P)
*資本主義社会における労働者という存在
・「身分的・人格的自由」「生産手段からの自由(失業・
貧困の自由)」の二重の意味での自由。
三。労働力商品の再生産
1。労働力を売り続けなければいきていけないのが労働者
(背負わされた宿命)
◇明日も、あさっても、1週間後も、来月も、来年も・・・40年前後!
*労働力商品は、自分の生命活動と一体化。
かけがえのない唯一の「売り物」。
*適切に労働力を長持ちさせ、再生産できる
「働き方」でなければならない。
*「労働力の安売り=命の安売り」「労働力の酷使=命の酷使」
*労働法(働くルール)がある根本的理由。
健康であることの資本主義的意味。
*憲法25条の「健康で文化的な生活」の視点で考える。
・「労働条件は、労働者が人たるに値する生活を営むための
必要を充たすべきものでなければならない」(労働基準法1条)
2。じっさいの雇用契約は対等でない―競争をどのように制限するのか
◇圧倒的に立場が強いのは「雇う側」
*生産手段をもっている資本家は、雇用する側(選ぶ側)であり、
雇われる側の競争環境を利用し、圧倒的に強い立場に。労働
者と資本家は経済力の不均衡が存在する。「対等平等な契約」
はない。お金を持っていれば、持久戦に持ち込める。
◇日本の労働者の状態(大雑把に把握する)
*正規と非正規、失業者…
*競争環境の圧力・・・労働者どうしで
*価値増殖は資本の特性(できるだけ安く、いちばんオイシイのは
タダ働き)。資本はものすごくドケチ。働くルールは、価値増殖
(利潤獲得)の障壁。
*資本主義的価値観「勤勉」「ケチ」「蓄財」の押しつけ
・教育・職業選択・労働生活・昇進昇格・老後にいたるまで、
すべてにおいて自己責任がつらぬかれる。脱落・没落するもの
には、「怠惰」「努力不足」。
◇もの言えぬ立場に―競争を制限する仕組み(脱貧困への道)の必要性
*日本の労働者の賃金依存率の高さ(ローン・教育費・家族の養い)。
*働かなければ食べていけない宿命。失業すればあっというまに降参。
*労働者間の競争圧力を緩和する仕組み
・失業する権利(劣悪な労働を拒否する権利)
ー失業時の所得保障の充実
・競争を緩和する仕組み(労働組合・社会保障)の構築
・労働市場における規制の強化(政治変革)
・労働観を変えるー勤勉・効率・まじめさ、「働かざるもの食うべからず」
「社会保障は働く人々を貧困化から守るために存在している。
それが社会保障の第1義的な存在理由である」
(『唐鎌直義『脱貧困の社会保障』5P』
◇労働者として生きていく覚悟
*自分の労働力を大切にする
(自己責任でなく制度的・法律的・組織的に保障する)
*おなじ「宿命」を背負わされた労働者階級と生きる。
団結をひろげる。
四。労働力の価値の大きさは、どう決まるか
1。労働力の価値の3つの要素
①労働力の所有者である労働者本人の生活費。
*「明日も、来週も、来月も」元気に働けるエネルギーを補充
するために。衣食住の費用。さまざまな必要・欲求を満たす
商品・サービスにかかる費用。
②家族の生活費。養育費。
*労働者は、いつかは寿命がつきたり、老齢となって労働す
ることができなくなります。しかし、労働力はたえず市場に
補充されなければなりません。そのためには、次の労働者
を育てることが必要だからです。
③知識・技能・熟練に必要な養成費。
*特定の知識や技術や熟練を身につけるために支出される
養成費も必要です。
☆ここに注意!
労働力の価値どおりに賃金が支払われても、
資本家はもうけ(剰余価値)を獲得する!
◇商品売買の基本は、等価交換というのが原則です。
◇資本家は、等価交換をつうじて、合法的に価値を増やすのです。
◇そのしくみを、マルクスは解明しました。
*ただし、価値どおりに賃金が払われていないのが、
今の日本の現実です。
2。補論―労働力再生産のための家事労働の本質とあり方について
◇家事労働(家事、育児、介護)は、労働力の再生産のために欠かせない
*労働力のメンテナンス、次代の労働力商品の担い手を育てる
*しかし、基本的にこの時間は、無償である
*家事労働をしているあいだは「働けない(賃金を得られない)」
◇圧倒的に女性が過重負担
*1991年に経済企画庁(現・内閣府)が研究会をつうじて調査した
結果、無償労働全体の85%を女性が担っていることがわかった。
*第1子出産時点で、女性労働者の過半数が職場をやめている
(育児に専念する)。
*女性がフルタイマーであったり収入が多いほど、
男性の家事分担率が増える
*安倍内閣は「女性の活躍」政策をかかげるが、家事労働を
圧倒的に女性が負担する現状に手をつけずにいる。
正規職員の労働時間の規制。制度・政策の変更。
以上。
感想文を少し。
◆労働力の安売り=命の安売り。という言葉に
ガーン!!ってなった。組合活動がんばる!!
◆「社会保障は労働者階級のもの」という考え方は
良いと思います。
◆「立場が強いのは雇う側」ということが先月、
国会要請行動に行って、厚生労働省へ要請に
行ったときに、意図的にかくされているなと思った。
それを許さない世論と運動が必要だなと改めて思う。
◆労働力の再生産は必ず必要。あたりまえの概念
だけど、その認識をもつことで労働者の分断も
緩和されるかな。それにしても支配しやすい仕組みが
できあがってしまっているなあ。
◆労働者と資本家・経営者の関係がよく分かりました。
◆今回の講義はすごくわかりやすかったです。日本の
労働者のうち、『自分の労働力を売っている』という
認識で働いている方が何人いるんだろう・・・?
学ぶって、本当に必要だし大事だと改めて思いました。
まずは、自分のまわりの人たちから広げていこう。