このかん、「健康とはなにか」「文化とはなにか」を
語る機会が多く、あらためて憲法25条の
条文について考えています。
憲法25条の1項は「生存権」と言われていますが、
ぼくは「人間的生存権」と言うべきかと。
だって、たんに「生きられればいいっ」て
25条は言ってないですから。
健康という言葉。文化という言葉があります。
健康も、文化も、人間にとって必要不可欠であり、
どちらも社会性をもっています。
健康には3つの側面があり、
肉体的健康、精神的健康、そして「健康でありたい」という
“健康観”をつくる動機にもなる「社会的健康」(人間関係)です。
とくに大事なのが、社会的健康、ということです。
生きがいとか、生きる目的とか、自分の存在価値。役割。
それって、孤独のなかからは生まれません。
さまざまな人間的な諸関係のなかから、
培われてくるものです。
だから、社会的健康という土台があって、
「自分のいまある力を最大限に発揮したい」
という「健康観」が生まれてくるのだと思います。
文化は、ゆとりです。
ゆとりには、「お金」「時間」「人間関係」の要素。
貧困は、こうしたゆとりを奪います。
貧困は文化を蝕むのです。
貧困はまた、健康も蝕みます。
社会的排除としての不健康、という問題です。
わたしは、憲法25条は、
「すべて国民は、貧困であってはならない」
という人権宣言だと思います。
そして、2項でその責任を国に求めているのです。